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河北省:唐山市の法輪功修煉者2名が労働教養処分を強いられる

(明慧日本)河北省唐山市開平区の越河鎮大豊谷村では、わずか半年間で2人の村人、徐向志さんと趙雲龍さんが越河鎮公安出張所の警官らによって強制連行され、不法に労働教養処分を宣告されている。2人が強制連行された理由はただ一つ、それは彼らが法輪功を修煉しているからである。当時、警官らは趙さんの孫(生後数カ月の赤ちゃん)を指して「彼は将来大学へ進学できない」と言った。この話の意味は、中共(中国共産党)の政策では、家族の誰か1人が中共の「敵」と見なされれば、家族全員が関連の刑罰を受けるということであり、即ち、孫まで罪に問われるということである。
 
 徐さんと趙さんにとって、こうした迫害を受けたのは初めてではない。二人はかつて2007年4月6日にも開平公安当局第110警察隊によって強制連行され、唐山市第一留置場に拘禁された。そして5月1日、2人は懲役2年の刑を宣告され、石家庄労働教養所に送られた。石家庄労働教養所で、2人は3か月間、様々な虐待と拷問を受け、非人道的な刑罰を受け尽くし、奴隷のように過酷な強制労働に従事させられた。労働教養所での7か月間で、徐さんの髪の毛は真っ白になり、徐さんの知人は皆、徐さんが20歳も年老いたと言うようになった。
迫害を受ける前の徐向志さん
迫害を受けた後の徐向志さん

 徐向志さん、徐翠花さん夫妻が受けた迫害
 
 徐向志さん(49歳男性)は、1999年から法輪功の修煉を始めた。徐さんは、1997年に越河鎮レンガ工場で働いていた際、作業中に事故に遭い、手の裏の筋肉が断裂する傷害を負った。また、徐さんはその他にも肺炎、盲腸炎など、多くの病を抱えていた。1999年初め、徐さんは知人から法輪功を紹介され、「真・善・忍」の原則に従って修煉すれば心身ともに健康になれると聞いて、法輪功の修煉を始めた。その後、夫婦ともに認識を改め、真面目に修煉し始めると、すべての難病が治り、薬ばかり飲んでいた日々から離れることができた。
 
 2010年11月14日、大豊谷村の婦人連合会主任・王秀麗は、突然徐さんの家のドアを叩き、戸籍謄本を見せるように迫ったが、徐さんは彼女を家の中に入れなかった。するとすぐに、越河鎮の公安出張所所長・李金橋、劉宝芸、蔡永剛ら7、8人の警官が徐さんの家に押し入り、法輪功の関連書籍と、パソコンなどの家財を没収した上、徐さん夫妻を強制連行した。
 
 徐さん夫妻が強制連行された後、警官は妻の徐翠花さんの指を無理やり引っ張り、指紋を取ろうとしたが、徐翠花さんに抵抗されて失敗に終わった。その後、徐翠花さんは暴力を受けて手が大きく腫れた。その後、徐向志さんは唐山市留置場に移送された。
 
 徐さん夫妻は暴行を受けても、信仰の心がゆらぐことはなかった。強制連行されて15日後の2010年12月9日の午後、徐向志さんは荷花坑労働教養所に移送され、引き続き虐待を受けた。一方、妻の徐翠花さんは開平労働教養所に護送されたが、すでに一連の迫害を受け身体に大きなダメージを負っていたため、労働教養所側は命の危険を感じて受け入れを拒否した。そのため仕方なく、警察は徐翠花さんを釈放した。
 
 2011年5月25日、徐翠花さんは越河出張所に駆け付けて夫の釈放を求めた。所長の趙明、警官の蔡永剛は、徐翠花さんに対して「もう、お前の体は回復している。健康診断に行くぞ。もし健康と診断されたら、お前を労働教養所に送ってやる」と暴言を吐いた。話が合わると、その場で徐翠花さんをパトカーに押しこみ、そのまま病院に連れて行って検査を受けさせられた。結果は健康ではないとみなされ、不合格となった。徐さんは他の数軒の病院で検査したが同じ結果だった。そのため、労働教養所側は責任を問われることを恐れて徐さんの受け入れを拒否した。警察はそれでも諦めず、午後4時まで労働教養所側を説得したが、受け入れられなかったため、仕方なく家族に通知し、徐さんを家族の手に引き渡した。
 
 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)
 
2011年06月11日

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