日本明慧
■印刷版   

我が家で起きた不思議な出来事

(明慧日本)1996年4月のある日、娘が一冊の本を持って来て「これは病気治療に効くいい本だそうです」と私に話しました。その時、私は別に気にしませんでしたが、数日たって私がその本を連続して3回読んでからは、手放すことができなくなりました。本の中にある師父の写真を見た時、私は30年以上待っていたお方にお会い出来たような気がしました。その本というのは『転法輪』です。
 
 1999年7.20以降、多くの協調人が逮捕されました。当日の夜、私が『転法輪』を両手に捧げていたとき、師父の法像は涙を流されていました。私も涙を流しました。当時の形勢は緊迫していて、私は本をめくるたびに涙が出ました。翌日、私たちは市庁に行って、修煉者の釈放を求めましたが、市庁の役人と警官に追い散らされ、一緒に行った数人の同修は逮捕されました。午後のテレビでは法輪功を中傷する報道が流され、すべての同修は驚きました。なぜこんなにすばらしい大法が迫害されるのでしょうか?
 
 私たちは北京に陳情しに行くべきではないかと思いました。師父は私たちに「真・善・忍」に基づいて良い人間になるように教えられ、私たちは大法の中でこんなにも受益しましたが、大法が迫害され、師父が誹謗中傷されているとき、私たちは黙って見ているわけにはいきませんでした。私と同修は北京に行くバスに乗りました。私たちは、バスの窓から空に回転している鮮やかな法輪を見ました。師父が感動され、私たちを励ましてくださるのが分かりました。
 
 天安門広場に着いてから、多くの私服警官が見張っていました。多くの人が一つの方向に向かっていました。ある同修は真相チラシを人々に配っていて、警官はすぐにこの同修に飛びかかりました。この時、私たちも横断幕を天安門広場で高く掲げました。その一瞬、頭は真っ白で、自分は大法を実証しに来たのだという一念しかありませんでした。その時あちこちで「法輪大法はすばらしい」という声が聞こえ、天安門広場の上空で広がりました。周りにいた多くの人々はその光景を目にし、それは言葉では表現できない感動でした。
 
 2002年、常人の夫はこの世を去りました。私の収入では、とても子供の学費と家計を賄うことはできませんでした。私は、旧勢力が経済の面で私を迫害しようとしているのだと思いました。私は師父の教えに従い、自分がやるべきことを行いました。私が正しく行ったことで、家には多くの不思議なことが起こりました。
 
 ある日、お金が急に必要となり、お金が足りないことは分かっていましたが、お金を入れていた箱を開いてみました。私は驚いて、子供に「誰かこの箱を触ったの?」と聞きました。子供は「触ってないよ。お金がなくなってるの?」と聞いてきました。「いや、なぜかこんなに多くのお金が箱の中に入ってるんだよ」と私は話しました。
 
 夫が亡くなったその年、家には15キロほどのお米しか残っていませんでした。私たちは毎日そのお米を食べ、週末になると外にいる娘も戻って来て、4人分のご飯を作っていました。しかしその15キロの米だけで、私たちは半年くらい暮らしました。後で気づきましたが、師父は私たちを手伝ってくださいました。
 
 上で挙げたような不思議な出来事は、法を実証する十数年の中で本当にわずかな出来事でした。修煉者が執着を放下したとき、師父は手伝ってくださります。この十数年、師父は常に私を励まし保護してくだいました。師父の恩は言葉では表現できません。師父の済度に感謝いたします。
 
 正法は最終段階に入りました。私は更に勇猛邁進して、着実に法を学び、自分を修めて三つのことをよく行い、より多くの衆生を済度します。そして師父の期待に背かず、世の中に来たときの大願を果たします。
 
2011年06月19日

■関連文章
しっかりと学法し、自らを修める
骨折した背骨がわずか4日で回復
海外の新しい法輪功修煉者の物語(二)
法輪功修煉者は一体である
困難の中で家庭を切り回す
身をもって大法の奇跡を体験
ひとりの兵士が修煉を始めた不思議な体験
寝たきりの私が再び健康に
絶対に利益に執着してはならない
テレパシーについて