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武術気功の先生が法輪大法を修煉する(一)


文/中国の大法弟子・回歸

(明慧日本)私はかつて少年体育学校で教師をしていました。私が教えていた武術気功は、ある先生が私に秘伝を伝えて下さったものでした。1980年代は文化大革命の最中で、武術気功がブームの時代でした。その当時から、私は少年体育学校で武術気功を教え始めました。教え子は、省、市の大会で好成績を収めていました。当時「少林寺」という映画の影響で、年齢を問わず多くの人が私の所に武術気功を習いにきました。50歳以上の人もいて、私が歩くと、後ろに多くの教え子がついてくるほどでした。
 
 世の流れとともに道徳が落ちていく
 
 しかし、社会のいろいろな良くない誘惑のもとで、私は多くの悪い習慣を身につけました。タバコ、酒、喧嘩など、私は一日中酒を飲み、既にアルコール中毒になっているにも関わらず、飲み続けていました。酔って家に帰ると、家族に因縁をつけて、ののしり、トラブルを起こして、さらに暴力を振るいました。このため、妻と娘は落ち着いた生活を送ることができませんでした。会社では誰もが私を恐れて逆らうことができず、私は名誉を求めてひどく争っていました。
 
 以前の私は明るい性格で、豪快で多彩多芸で、妻にとって自慢の夫でしたが、こういったことが原因で家庭は崩壊しそうでした。
 
 修煉を始めてからの私
 
 1994年に妻が離婚を決意し、子供を連れて田舎に帰省しようとしていたとき、私は法輪功に出会いました。奥深い法理としなやかな功法の動作に心をうたれ、私は法輪大法の修煉を始めました。
 
 修煉を始めると、心身共に大きな変化が現れました。修煉する以前は名、利、情を重く見ていましたが、大法を修煉し始めてからは、人と名利などで争わなくなり、闘争心がほとんどなくなりました。20年間続いた酒癖はなくなり、タバコも止めました。暴力的な性格が優しくなり、妻を思いやれるようになりました。
 
 結婚して30年来、家事など全く構わなかった私が、初めて妻に料理を作ってあげたとき、妻は「今日はどうしたの? 今までこんな事はなかったのに」と喜んで言いました。私の家庭は崩壊寸前でしたが、私が法輪大法を修煉したお陰で救われました。1997年に行われた修煉体験交流会で、妻は涙を流しながら、法輪大法が家族を救ってくれたことを語りました。妻の話を聞いて涙を流していた参加者もいました。これを聞いて、私は大法に対する信念がさらに増し、最後まで修煉する決心をしました。
 
 私の仕事で、高い地位の職に就く為には、評論委員会に申請する必要があり、その前に会社で誰を申請するかを投票して決める必要があります。毎回の投票で、私は一票の差で選ばれませんでした。私の論文と仕事能力は誰よりも優れていましたが、私は何の不満もなく、上司に文句も言わず、心も動揺しませんでした。これは、修煉する以前ならあり得なかったことです。私は全国林業卓球大会で「道徳風潮賞」をもらい、多くの同僚から「法輪功を修煉してから、本当に変わりましたね」と言われました。
 
2011年06月20日

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