切断された指が再び生えてきた
(明慧日本)私はずっと苦難の中で生きてきて、いろんな頑固な病気も患い、経験した苦痛は言葉では言い表せません。生きるよりむしろ死んだほうがましでした。今日になっても昔の生活をふり返ってみることもいやで、考えたくないぐらいです。2004年、私は幸いにも大法に出会うことができ、師父が済度してくださり、苦しい人生から逃れることができました。修煉を初めてからは自由で、穏やかな、充実した生活を送ることができました。
大法はあまりにも不思議です。大法の貴重さを知り、めぐり合えたことは幸運だと思っています。しかし、私は字も読めないにも関わらず、師父の法をできるだけ速く頭の中に入れたいと、焦っていました。同修たちが法を通読している姿を見て、とても焦っていました。何回も『洪吟』の本を手で撫でて、心の中で法を勉強したい、自分で法を読めるならどんなにいいでしょうと師父にお願いしました。夜寝るときいつも本を枕元に置いて、起きたら本を開いて見ました。字は読めませんが、でもこうするととても気持ちがよかったのです。ある夜夢の中で、『洪吟』の中の一つの詩を暗記していました。嬉しくて目が覚め、暗記して、本の中の詩と、正しいかどうかを主人に確認してもらいました。それは『洪吟』の中の「堅定」で、主人は全部合っていると答えました。とても感激でした。それから集団学法するとき、同修が読んでいて、私は心をこめて覚えようと心がけました。一文字一文字ずつ覚え、同修に会えば読んでもらい、今『洪吟二』まで通読できるようになっただけではなく、たくさん暗記もできるようになり、多くの字が読めるようになりました。
学法の面で絶えず努力して、心性もだんだん高めていきました。去年隣の家といさかいを起こしました。その原因は隣の家は豚小屋を作りたいと、うちと相談した結果、うちの農作物を干す土地を向こうにあげて豚小屋に使い、隣の家の農作物を干す土地をうちが使うことになりました。しかし、豚小屋が出来上がった後、最初に約束していたこととは違い、干す土地を一年だけしか使わせてくれませんでした。もともと隣の家の人とはとても仲良しでしたが、このような事が起きてしまいました。修煉者として、彼らと冷静に話し合って、人間としての道理を話したのですが、彼らは逆に木の枝と石でその場所を囲んで、うちが置いたトウモロコシのわらを全部運び出して、あっちこっちに散らかしました。本当に師父が説かれたように「人の心の奥深いところを刺すような激しいものでないと効果が上がらず」(『転法輪』)です。そのときはあまりひどいと思い、心がなかなか落ち着かなく、辛く感じ、恨む心も湧いてきました。それらの心を抑えて、コントロールできたと思っても、また何度も繰り返し湧いてきて、夜も眠れず、とても辛く感じました。嫁に行った二人の娘もこのことを知っており、腹が立たせて豚小屋を壊し、裁判所に判断してもらおうと言いだしました。私は修煉者なので、大ごとにしないように娘を説得しました。絶えず法を聞き、何回も何回も自分が修煉者であることを自分に言い聞かせ、師父に迷惑をかけてはいけない、自分は必ずこの事をうまく対応できると信じていました。最後にやっと修煉者の基準で自分に要求することができ、個人の得と失を放棄して、交換条件であげた土地を返してもらわないことにしました。すべての人心を放下できたとき、村から失った土地に当たるお金を与えてくれました。これは師父の按配だと悟りました。
もう一つあります。とても暑い中、我が家の果物園で果物に袋を被せて、忙しくてとても疲れていたときのことです。午前の仕事を終わって、家に昼ごはんを作りに帰り、急いでいたあまり、思わず自分の指を一段切り落としてしまいました。慌てて医者に縫い合わせてもらい、うまく再接着できないかもしれない、腫れたりすることもあるので、よく休んだほうがいいといわれました。私は修煉者なので、あまり気にせず、昼以降も引き続き働き続けました。その時は痛くも感じず、数日後、医者に言われたとおりうまく再接着できず、切れた指が落ちてしまいました。それでもあまり気にせず、昼は一生懸命に働き、夜には煉功していました。煉功をしていた時、師父が指を浄化してくれているように感じました。それからびっくりするような奇跡が起きたのです。切り落とした指が再び生えてきて、しかもつなぎ目の部分はとても綺麗で元の指と変わらず、見た目では指を切り落としたことも全然分からないぐらい、肌もみずみずしいのです。
大法は本当に不思議です。師父にはいつもいろんな面で助けて頂いています。それなのに私はあまり精進できておらず、師父と衆生に顔を合わせる勇気もありません。これから確実に修煉し、本当の修煉者として、法を正す進展についていき、円満成就して師父と共に本当の家に戻りたいと思います。
2011年06月21日
|