日本明慧
■印刷版   

師父は私が家に着くまで見守ってくださった(二)

(明慧日本)ある日、私は何人かの同修と一緒に、5キロほど離れた村に功法を教えに行きました。
 
 出発するとき霧が出始めており、帰るときには一寸先も見えないほどで、ライトをつけても2メートルほど先しか見えませんでした。隣村の同修と私は、車道の右側をゆっくり歩いて行きました。道は非常に長くて、私たちの歩く速度はとても遅いと感じました。
 
 歩きながら、私は「歩きにくいと感じるけれど、まだ歩けます。もし、村につながる小さな道に着いたら、どうしようか」と考えていると、いつのまにか村への交差点にたどり着きました。そして、同修と別れて、私は小さな道を曲がりました。
 
 霧のせいではっきりとは見えませんでしたが、想像したより空は明るくて、道もぼんやりと見えるようになりました。しかも私が、歩けば歩くほど、道は段々と見えるようになり、空を見上げると、月も見えました。しばらくして、道がさらにはっきりと見えるようになり、月もますます明るくなりました。まるで、晴れた日の空のように、霧がきれいに晴れました。私は「さっきまで、霧があんなに深かったのに…」と不思議に思いました。
 
 いつの間にか、私は自宅に着きました。私は自転車を止め、鍵を取り出して門を開けました。そして、自転車を室内に運んで、鍵をかけようと体の向きを変えたとき、私は驚きました。ほんの1分前には、月がはっきりと見えて晴れていたのに、今、再び霧が深くなっていました。門さえ見えないほどで、私は手探りで、ようやく門にかぎをかけることができました。
 
 その時、私はやっと気が付きました。「師父ではないでしょうか? 師父が霧を動かして、弟子の家までの道を明るく照らしてくださいました」と。
 
 (完)
 
2011年06月30日

■関連文章
師父は私が家に着くまで見守ってくださった(一)