文/中国の大法弟子
私は山東省東営市に出張して、その日の朝に人を待っていたとき、たまたま後ろを振り向くと、多くの人が冊子を持っているのが見えました。彼らを詳しく見てみると、この冊子は現地の同修が配った真相を伝える資料だと分かりました。そこで私は同修に協力し、人を救う機会を掴むべきだと思いました。私は資料を持った人の前に行き、「あなたが持っている資料は私も読みました。すばらしい内容です。よく読んでください」と言いました。その人は「彼らは毎日来ますよ」と言いました。しかし、彼らは大法の真相を理解し、正しい認識をもっているようには感じられませんでした。私は「なぜ資料を読んでも真相が分からないのか?」と疑問に思いました。
私が彼らに真相を伝えているとき、ある同修は清掃員がたくさんの資料を片付けているのを見て、資料を取り戻しました。私がその資料を詳しく見てみると、内容は奇跡の事例や、善悪の報いの物語ばかりで、常人の受け入れられる能力の範囲を超えていました。私たちは資料を作るとき、常人が理解できる範囲内で法輪功を紹介し、中共(中国共産党)とはどのようななものか? 天安門焼身自殺事件の真相とは? なぜ三退をするのか? などについて書くべきです。
我が家は資料センターを作ったばかりで、資料を作る際の多くの困難を知っています。明慧ネットに掲載された「縁のある人への手紙」はとてもよいと思います。人々が真相を理解できるだけでなく、奇跡的な物語は佛法の慈悲と威厳を感じさせることができます。私の考えでは、資料の内容は、基本的に法輪功の真相を多く書き、奇跡的な物語は少なくしたほうがよいと思います。常人の背後にある邪悪な毒素を取り除く事が、真相を伝え衆生を救い済度することの本来の意味だと思うからです。
以上は個人の認識です、間違っているところがあれば、ご指摘をお願いします。