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明慧ネットの物語(四)

師父の承認

 2000年1月19日は今でも忘れることができない日となりました。この日の前夜、師父は人を遣わして、最近撮った写真を送ってきました。当時、編集部にはまだスキャナーなどの設備はなかったため、全ての大法弟子が最も早く師父の情報を得られるように、連日連夜、車で外出し、写真をスキャンできる店を訪ねていました。翌日、明慧ネットで、師父の最新の写真を掲載しました。それは、師父が1999年7月20日の後、ニューヨークを離れ、山中で世間を静観する写真でした。それは全ての真に修める大法弟子にとって、忘れられない日となりました。師父の最近の写真を見て、全ての大法弟子は鼓舞され、師父の広大なる慈悲を実感しました。

 2000年5月22日に、明慧ネットはまた、師父の新経文『心自明』を掲載しました。

 2000年6月15日、明慧ネットは師父の御指示のもとで、新経文を発表する予告通知を出しました。予告通知の中で、はっきりと師父の伝言が伝えられました。それは、明慧ネットは間違っていないとは言わないが、ただし重大な問題については必ず明慧ネットの態度を見なければならない、明慧ネットで『心自明』の写真、及び『心自明』を発表した目的は、皆さんに信頼のできるウェブサイトを樹立させる為です、ということでした。

 2000年7月17日、明慧編集部は全ての大法弟子に対して、歴史の真相を掲示する文章を発表しました。そのタイトルは『慈悲で偉大なる師父』でした。

 師父が認めてくださったことで、明慧ネットのスタッフはさらなる自信を得ました。同時に全員が自分の背負っている重大な責任を実感しました。当時の圧力のため、これ以上耐えられないと思う時でも、心の中でよくできないのではないかと自信がなくなっても、師父のご加護と大法の要求を思いだし、同修が明慧を必要としており、そして真相を伝える必要を思い出せば、常に正念を持つことが出来ました。

 師父は1997年に発表された「佛性に漏れなし」(『精進要旨』)の中に、「今後、何かをするときには、まず他の人のことを配慮して無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです。」とおっしゃいました。この10年の道のりを思い返し、明慧ネットのスタッフたちが強く感じたことは、師父がおっしゃっていた無私無我、そして師父がおっしゃっている他人を先に、自分を後にするということは、まさに大法弟子が正念を持つ鍵であり、純粋さを保つ鍵だということです。

 大法弟子なら知っているように、私たちは千万年の輪廻転生を経て、やっと師父と会うことが出来ました。目の前にある魔難はただ、圓満成就する前の最後の紆余曲折に過ぎません。師父と大法は常に、修煉者が動じられないための原動力なのです。

 2000年10月21日、それは1999年7.20以降の全面的な迫害以来、師父が初めて公の場で説法された日でした。それは米国サンフランシスコで行われた法輪大法修煉交流会の中での師父による説法でした。全場から送られた拍手が、師父を会場に迎えました。師父の「お久しぶりです」の一言により、全ての大法弟子は涙を流しました。大法弟子たちは自らの手が赤くなるほど、拍手をし続けました。

 その後、少ししてから、2000年12月9日、師父はまた北米五大湖地区法会での説法をなされました。ある明慧編集者は、「何年経っても、この二回の師父の説法を思い出せば、いまだに涙が出てきます。師父の心のなかは無私無我であり、常に人のためを考えています。師父は誰よりも私たちを大切にしています。師父のような気概、大きな胸襟もつ人は世に2人といません。もし、世の人々が心を静め、師父の説法を聞き、師父の慈悲を見ることが出来れば、もっと多くの人が心の底からある種の感動と、敬意を感じることでしょう。これらを見ることができた私たちは本当に特殊であり、得難い機縁なのです」と話しました。

堅持

 最初の1~2年間の圧力は、今とは全く違いました。今は修煉と仕事の面で圧力を感じているのに対し、当時はまるで、すべての空間から沢山のものがのしかかってきて、全ての明慧スタッフたちを殺そうとしているかのような勢いでした。ある編集者は、「ある日の夜、私がこれ以上立つことができないと感じたときに、突然、大きな法輪が自分の周りで回転し始め、ただちに巨大なエネルギーが自分の体と頭の中を満たし、ただちに状態が良くなりました。私はその日の仕事を終えました。翌朝、他の同修と挨拶をした時、誰もが昨日、何が起きたのか、わかりませんでした」と話しました。

 続く数年間の間、各地の同修が明慧の仕事に携わるようになりました。皆、自分の仕事、家庭を持っており、また、その他の大法のプロジェクトも担当していました。多くの同修たちが、仕事の以外の時間を全て明慧ネットに費やしました。同修たちが全力を尽くすこのプロジェクトには、1円の給料も支払われません。しかしそれでも、多くの大法弟子は難しい中で、自分で自分の道を歩み出し、最期までそれを堅持することができました。明慧の全てのポジションの中で、真相を伝える中で、自分を成熟させ、自分だけでなく、さらにより多くの同修と一緒に精進できるよう励まし合っていきました。

 ある編集者はフルタイムで明慧の仕事を行い、週七日、毎日17~18時間、明慧の仕事に従事していました。朝から深夜まで、時には連続数週間、オフィスを出ることすらなく、陽の光に当たることもありませんでした。

 ある同修は、「最初の数年間はいつも、食事をしたかどうか、何を食べたのかも思い出せません。しかし、この状態になっても苦しいと感じることはありませんでした。なぜならば、人生の究極の答えを見つけ、非常に意義のあることをやっているから、頭も明晰で仕事の効率も良くなります。この状態は本当に、修煉者に生きる価値を感じさせ、超越した充実感を感じさせてくれました」と話しました。

 当時の形勢の変化は非常に早かったため、編集部は連日、重要な文章と通知を出していました。明慧ネットは昼夜を問わず、常に情報を発信する必要があります。そのため、ある同修が一つの方法を考えました。それは、深夜、寝るときはパソコンの側で寝るということです。メールボックスにメールを受信したとき、パソコンから通知の音が出るので、その通知音のボリュームを上げていれば、メールが届いた時点で必ず起きることが出来ます。そうすることで、編集を依頼する電話をもらわなくても、最も早い時間で文章を明慧ネットに掲載することができるようになりました。それ以来、緊急を要する状況は減りましたが、それでも多くの仕事のため、夜遅くまで仕事をしなければなりませんでした。徹夜することもよくありました。しかも私たちは夜明けに少しだけ寝た後、会社に行かなければなりませんでした。

 同修は、「時々隣人が子供を連れて散歩をしているのを見て、いつになれば自分もこのような余暇を得ることができるのだろうか、と思うこともありました。しかし、ただちに自分が最も価値のあることに貢献しているのだから、自分の時間は最も有意義だと感じました。この高負荷の仕事の状態は、常人からすれば我慢できるものではありません。しかし、自分は毎日、休む前、寝る前に必ず法を学びます。それによって自分は修煉者の状態を保つことができ、元気よく今日まで歩むことが出来ました」と話しました。

 ある同修は仕事の収入が良かったので、早い時期からずっと、黙々と明慧ネットで必要とされる機材、ネット回線などの経費をずっと支えてくれました。それ以外の同修がこの状態に気付くまで、ずっとこの同修が金銭的に支えてくれていました。

 これらの海外の大法弟子たちは、修煉を始める前は比較的、平安な日々を送っていました。しかし修煉を始めてから、特に明慧ネットの仕事に従事し始めてから、苦を苦とせずに堅持し続け、自分の容量を拡大することができるようになりました。それは、真・善・忍を原則として修煉することで向上したのです。人を救うことの責任感、大法の全体の形勢に協調する正念があって、彼らは正法の進展に追いつき、師父の要求している無私無我、なおかつ他人を先に、自分を後にする状態に達することができたのです。

(続く)

 

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/8/8/244934.html)
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