93、99、2011、生命の三度の飛躍(三)
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   文/中国の大法弟子・鐘言

 (明慧日本2012年1月11日)知らないうちに、私は自分が徐々に地元の修煉者の中で悪い人になったと気がつきました。私は完全に落ちてしまい、何をやっても成功できず、いつも妨害に遭い、私の親友や同修は、私を助けたいという一念が動くと、すぐその人も迫害に遭って苦境に追い込まれてしまうのです。同時に、私はただ小さな悪いことをすると、すぐに市全体に広まりました。いつからか、誰もが私のことを話すとき、言葉と表情の中に自信がついたようで、まして邪悟の人や反面の人までも、私を踏み台にしていると分かりました。すべての人が、意識的にしろ無意識にしろ、どんなに悪くなってもあいつよりましだ、と私に対して思っていました。

 数年前、私が修煉者ではないと皆に言った同修がいて、また彼らは、私がいつから修煉しなくなったかを勝手に決めました。ある同修は「彼(私のこと)を相手にしないで、彼はいついつからもう修煉していないのだから」と言いました。その後ずっと、私は彼らがなぜこのように言うのかがはじめて分かりました。他の空間から見て、私は完全に落ち、地面に伏せて乱石に埋められたからです。

 ある日、私は同修の家を訪ねました。彼はコップに水を入れてくれて、とても慈悲に私に話をしてくれました。私が黙々と水を飲むだけで何も言わないのを見て、最後に長い溜め息をついて「あなたは少なくとも良い人になったらどうですか」と言いました。

 また、私が覚えているのは、ある同修が私に、他の人に分からないように一人で庭に来るように言いました。そして、彼は私を指さしながら「私はあなたに慈悲を持って話しているのです。あなたのような人は地獄に落ちるのに違いありません!」と言いました。当時、私は何も言わず、頭を下げて話せませんでした。私は彼の言ったことは正しいと思いました。その時期、私は昼間家にいても陰気で、意識が混濁として、地獄のような臭いを感じ、自分でもわけが分からずいたたまれないと感じました。同修の家に師父の法像があると、私は怖くて手足をどこに置けばよいか分からず、大法書籍も敢えて拝読せず、自分があまりにも汚すぎて、学法する資格がないと思いました。たまに無理に本を捧げ、まず指で師父の法像があるページをめくって、直接本文を出せば本を拝読できたのです。当時の私は、師父の顔を拝見する勇気がなかったからです。

 そこで、しょっちゅう慈悲で善の心を持って助けに来た同修がいました。彼らが私を助けに来るもう1つの目的は、私のような1993年から法輪功学習班に参加して修煉し始めた古い弟子、過去の補導員、大法を実証するために多くのことをやった古い同修、そして多くの人を率いて法を得させ、多くの人を導いて生死を放下した昔の弟子がこれほど堕落し、そのマイナスの影響が大きすぎるのだと考えたかもしれません。ときには、彼らは私を連れて一部の学法グループに参加しました。皆、リビングで読書し、私の順番が回ってきたとき、私はいつも字を間違って読み、あるいは字が漏れたりしました。しかし、学法グループの参加によって、私はしばらく精進できたようでしたが、私の魔難はあまりに大きく、俗事に縛られ、満身に債務があり、学法は終始一貫して堅持できず、しばらく断ったらまただらけてしまいました。

 長期にわたって魔難の中から抜け出せない私を見て、また多くの同修は多くの方法を用いて私を助けようとしました。例えば、車で私を連れて、他の市の三つことをよく行なっている同修を訪ねに行ったりしました。ある日の夜、私たち一行は同修の家に宿泊した後、皆で一緒に学法して修煉体験を交流し、私を激励して精進してもらおうと思っていたようでした。翌日の早朝3時50分、彼らは私を夢の中から起こして一緒に煉功しようと言いました。私はこんなに早く起きるのは久しぶりで、うとうとして皆と動功をやり、間違った動きがありました。煉功後、現地の同修はひそかに同行した同修に「なぜ皆さんに知らせずにこの新しい学習者をここに連れて来たのでしょうか」と責めました。この話が私の耳に入り、私は本当に恥ずかしくていたたまれない気持ちでした。毎日何もしていないとしても、法を得てもう20年近く経っているのに、なぜ私は新しい学習者だと思われたのでしょうか。

 またある日、彼らは私に、皆がどのように真相を伝えているかを知ってもらいたいため、私を連れて一緒に街で真相を伝えに行きました。その中のあるおばさんは、毎日100人以上に三退させ、彼女の学法グループは合計数万人を三退させました。彼らは私をこのおばさんについて行かせました。私は自ら、彼女が30分も経たずに20人に三退を表明させたのを見て驚きました。なぜなら、自分はどんな方法でもこのような境地に達成できないからです。彼女が三退を勧めるときの言葉は非常に素朴で、少しだけ話をすると、相手はこのおばさんを見つめ、彼女がさらに少し話すと、相手はよくうなずいて三退に同意しました。しかしその後、私は自分の生活環境に入ると、しばらく経たないうちにまた元の状態に戻ってしまいました。師父が『転法輪』第一講でおっしゃった「ここまで、煉功しても功が伸びない二つの原因についてお話ししました。高次元の法が分からないために修煉ができないことと、内へ向かって修めず、心性を修煉しないので、功が伸びないのです。この二つが原因です」のように、この法理に従って修められず、結局は煉功を体操のように感じ、その感覚の中に留まり、本当に精進することは容易なことではありませんでした。

 その後、 またさらに遠い地区の学習者、そして明慧ネットでよく報道されている、修煉と真相説明を多くやっている有名な古い大法弟子が来て、私と一緒に過ごし、一緒に学法と煉功をしました。私はだいぶ変わりましたが、それらの魔難は相変わらずなかなか越えられず、また新たに修煉し直す状態で精進するようにしました。私は魔難に縛られ、雑用が多く、学法の時間が少なく、煉功の時間も確保できず、時間も定められず、さらに煉功をしっかりせず、学法もしませんでした。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/23/248895.html)     更新日:2012年1月11日
 
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