大法に戻った経験で昔の同修を呼び戻す(一)
■ 印刷版
 

 明慧日本201222日】「上士、道を聞けば、勤めて之をおこなう。中士、道を聞けば、在るがごとく、亡きがごとし」(『シドニー法会での説法』)私は中士の部類に属しています。法輪功を修煉し始めたのは1997年の大法が一番盛んな頃でした。村の中に修煉している人はたくさんいましたが、私もその1人でした。当時は修煉に対して断固とした決意があり、師父がおっしゃった修煉の色々な状態を感じることができました。

 19997.20中共(中国共産党)邪党が圧倒的な弾圧を始めてから、私も決意の強くない修煉者たちと同じように落ちてしまいました。弾圧は原因の一つでしたが、実を言えば、自分は大法を大切にしておらず、師父の期待に応えられておらず、恥ずかしく思いました。その期間、修煉を始める前に罹っていた気管支炎がまた再発し、たくさんの薬を飲んでも効きませんでした。そのため再び煉功始めましたが、病気が治るとまた修煉をやめてしまいました。

 過去を振り返ると、私は本当に後悔しました。どうして厳粛な修煉を遊びのようにして、やりたいときはやり、やりたくないときはやらないのでしょうか? 実際には、私はタバコやお酒、賭け事、世の中の様々な執着心などを放下できず、十数年の時間も無駄にしました。もっと後悔していることは、煉功をやめたために業力が戻ってきて、非常に危なかったことでした。周りの人の中には命を失った人もいれば、危険なことに遭った人もいました。私の場合は交通事故を起こし、バイクから転げ落ちてしまいました。額を10数針も縫合し、1くらい何も出来ませんでした。そのときの気分はかなりつらいものでした。これは一つの深刻な教訓でした。

 私の両親も修煉者です。私は煉功をやめましたが、それでもやはり心の中では大法を忘れられず、大法が素晴らしいと思っていました。時間があれば両親の家に行って、師父の各地での説法や経文を読んでいました。いつか年を取った後にまた修煉しようという考えがありましたが、これは正しくないということは分かっていました。正法の広大な勢いが、留まることはないからです。

 201011月、以前転げ落ちたときの症状が再発しました。こめかみが強く引っ張られ、頭を塞いでいるような状態でした。静かに歩かなければならず、振動するとだめなので、とても悩みました。また、家の負担はとても重く、上には年老いた両親がいて、下には娘と息子が学校に行っていました。もし体が駄目になったら、どうやって生計を立てたらよいでしょうか。私は再び師父と大法を思い出し、もう一回修煉したいと思いましたが、色々なことが気掛かりでした。一回できなかったら、もう一回やりなおすと、人々はよく言います。しかし、何度も何度もあやまちを繰り返す私のような弟子を師父はまだ必要とされるでしょうか?

 あれこれ考えて迷った末、ようやく2011120日に決意しました。師父が私のような弟子を認められるかどうかにかかわらず、大法に従って修煉していこうと決め、すぐ五式の功法を煉りました。私は「師父の慈悲はすばらしい」という意味を深く悟りました。煉功が終わると、頭の中の色々な症状なくなり、さっぱりした気持ちでした。空っぽの頭の上にものが動いているように感じ、このような快適な状態は今までありませんでした。感謝を言い表す言葉がありません。師父はどれほど大きな慈悲を持って、私のような弟子を許容されたでしょうか。

 修煉して1週間が経った頃、ある年配の同修が私を誘って、もう1人の同修の家に行き師父の説法ビデオを見ました。その晩は第三講でした。私は師父の説法一言も聞き漏らさないように耳を傾けました。ビデオを見る途中で、吐き気を催し始めました。それは師父が私の身体を浄化してくださっていると分かりました。こんなにはっきりした感じがあったのは、法を聞く心が強かったからかもしれません。もし私たちが本を読むときも、法を聞くときも、また煉功をするときも純粋で清い心を持っていれば、予想外の効果を得られるかもしれないと私は思いました。

(続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/1/22/252199.html)     更新日:2012年2月3日
 
関連文章