法輪大法デーへの投稿文章の書き方について
■ 印刷版
 

 【明慧日本2012年3月3日】明慧編集部は2012年2月17日に「法輪大法が広く伝えられて20周年を記念する作品募集のお知らせ」を掲載しました。大法が世間で伝え出されてから20年目を迎えようとしています。何たる喜ばしいことでしょう。近年、明慧ネットで掲載された文章は真相を伝える効果が良く、各地の同修たちは素朴な言葉と実際に起きた物語を通して、さまざまな角度で大法の素晴らしさを実証し、世の人々に真相を伝え、迫害に加担する人達を震撼させました。さらに、修煉をやめた人々が再び修煉し、精進するようになり、ひいては真相を知るようになった常人による投稿まで見られるようになりました。中共関連のウェブが絶えず明慧ネットを誹謗中傷してきたことから、大法弟子の書いた文章が迫害を暴くことに極めて有効であり、中共らは恐れているのです。

 本日から投稿の応募が始まりました。ここにおいて、文章を選定する題材について同修と交流したいと思い、一緒に考えを広め、より良い効果を達成できるように皆さんと分かち合いたいと思います。

 一、対象となる読者を明確に認識すること:主に常人向け

 5月13日前後に発表された文章は、主に世人に真相を伝える内容が多いことから、法会の発表する修煉体験と異なっています。主に常人に対して発信しているので、一般人が理解できる角度から、常人が真相を知るための障害を解くテーマを選定して、自分と周りの人々の物語、体験談などを述べ、人々に大法の素晴らしさを知ってもらう必要があります。使われる単語、書き方、内容はできるだけ高い次元の話、独りよがり、対象に向かないようなことを避けるべきです。文章の中で、先までは修煉者向けの内容だったのに、突然常人読者向けの内容になるようなことは極力避けるべきです。

 普段常人と面と向かって真相を伝える場合も注意すべきです。まるで常人の読者が自分の目の前に座っているかのようにイメージしながら、どのように話せば理解できるのかを前もって考えてから書くべきです。

 二、テーマの選定

 どのようなテーマを書くのか、筆者の理解にも限りがあるので、ここではこれまでに読んだ明慧の掲載文を例に挙げたいと思います。

 1、大法が広く伝わる時期の物語

 2010年と2011年の5月13日前後に明慧ネットで掲載された文章を読むと、このような文章がたくさんありました。同修の皆さんも参考に見てみると良いと思います。修煉を始めた当初の物語とか、病気治療の物語とか、道徳が向上した物語とか、師父が法を広める物語、大法が広く伝わる盛況を述べるマスコミ報道などなどがありました。

 物語を書くときは、極力詳しく書くべきです。読者がこのような記事を読むと、これは本当に起きたことだと感じるのです。

 たとえば『饅頭売りの人』は極めて短い物語ですが、1992年の山東省の法輪功修煉者たちが集団で学法するため教室を借りて、お昼に食事するときに饅頭売りの人が饅頭の代金を回収する経緯の変化が書かれていました。最初はお金を丁寧に数える様子から、最後はお金を入れる箱をテーブルの上において、入れてくる金を全く数えなくなる様子が書かれていました。常人の表情、気持ちの細部の描写を通して、大法弟子は決して人を騙したりしない誠実さが伝わります。このような物語は大法弟子の中でたくさん起きていますが、常人の読者にとっては極めて感動する内容です。

 さらに、たとえば『鉄棒が頭上に当たっても怪我しない人』は、長春の年配の同修が書かれたものですが、彼女が師父の説法伝授クラスに参加する途中におきた話です。つまり、『転法輪』の中でも言及された物語です。作者は文章の中で当時の様子を再現しました。「ちょうど家の近くで高い建物が建築されていました。ある日そこを通るときに突然、1本の鉄の棒が私の頭の上に落ちてきました。頭に当たってから滑って地面に差し込んで倒れません。私の頭に少しへこんだ箇所ができましたが全く痛くもないし、血も出ません。誰が私をたたいたのかと思って振り返ってみると、白い法輪が回転しながら上昇していくのが見えました。この法は本当にすばらしいです!」

 2012年にはこの作者はすでに81歳になります。彼女は文章の最後に「私の体は丈夫そのものです。師父が戻って来られる日を待っています。私自身がこの出来事が本当に起きたことを証明する証拠そのものです」と書いていました。

 さらに例を挙げると、『法輪大法は私の萎えていく命に花を咲かせてくれた』と『1時間学法したら、病気がすべてなくなった』の二つの文章は病気治療について書かれていました。作者の年齢はかなり離れていますが、書き方にそれぞれの特徴がありました。年配者のほうは娘との対話を記録し、若い看護師のほうも病名と病気の原因などを明細に記述していました。修煉者の内面に存在する純粋さが文章のいたるところに見られますが、いずれも詳しく、同じものはありません。

 2、法を実証する13年間の物語

 まさに明慧編集部の通知の中で触れたように、13年の間、すべての修煉者がたくさんのことを体験しました。どのようにすれば常人に理解してもらえるのか、なぜ大法弟子は迫害に屈せずずっと修煉し、真相を伝えてきたのかについては、修煉者の体験談の角度から書くべきではなく、もし常人が私たちになぜ修煉を放棄しないのかと質問されていることに答えるように、書き方を考えるべきです。時にして1つないし2つの具体的な事例を挙げるとかなり説得力が増してきます。これは真相をより深く伝える過程です。常人が本当に理解し、自分を支援するようになったら、すなわち真相をかなり理解するようになったことを意味します。

 文章は経歴、物語そして異なる角度から書くべきです。私たちの誰もが真相を伝える中で、常人に感動を与えるときがありました。慈悲とは大法弟子の基本的な状態であり、一般人には大法弟子の気持ちを深く理解してもらえるとは限りません。しかしながら大法弟子が常人と異なっていることや、尊敬に値することを気づかせることができます。

 文章を書く前にいろいろと考えて精錬することは難しいかもしれませんが、私たちの目標は真相をより深く伝えることであり、時間をかけることや頭をたくさん使うことはいとわないのです。努力した分は必ず正しい神の助けが得られます。以下に印象に残るいくつかの文章を列挙します。

 『彼は二度と鞭を手にしなかった』は、明慧ネットが2005年に掲載した文章ですが、いまだに記憶に新しいでしょう。大法弟子の慈悲なる胸襟は、人々のまだ善が残っている本性を読み覚ませます。文章はどれだけ格調高いのかではなく、実生活の中で、基本的な道理から大法弟子の善良さと正しさを読者に感じさせることができます。

 『警官:大法が素晴らしいと皆が言うが、今日やっと分かった』、『皆が法輪功を学べば、社会も良くなったのに』の二つの物語は、もう一度読むに値します。百年に一度おきるほどの洪水の災害の後、人々が商品を奪い合うときに商品の値段を商人たちは競争しあって上げている中、二人の素朴な大法弟子の年配者は決して値段を上げませんでした。道徳が急激に下がっていく現代の中国では人々が浄土を夢見ていますが、大法の修煉こそが唯一の浄土であり、人類の唯一の希望なのです。

 『真相を知った警官局長は3年で千人に脱党を薦めた』の文章は、逆境の中における真相を知った常人の言動を記録したものです。大法が13年にわたる迫害をうけながらも、なお多くの新しい修煉者が修煉の道に入り、すべての修煉者には忘れられない物語があります。いずれも世人にとって受け入れやすいものです。

 上記は限られたいくつかの例ですが、参考になれればと思います。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/2/25/253467.html)     更新日:2012年3月4日
 
関連文章