——大法の要求に従って大法のことを行う
文/中国遼寧省の大法弟子 心浄
【明慧日本2012年4月25日】
二、全体との協力の中で恐れる心を取り除く
私が中共から迫害を受け、労働教養所を出所してから1カ月後に、一人の同修が連行されました。その日はちょうど休日だった為、週明けに同修の釈放を要求しに行きました。施設の中には家族しか入れず、私は他の20~30人の同修と一緒に外で待っていました。しかし2、3日経ってもその同修の居場所を把握できず、私は皆で一緒に施設中に入る事を提案しました。しかし、いざ皆が私の提案に同意し中に入ろうとした時、私は逆に恐れの心が出て中に入れませんでした。私はすぐに自分の考えを改め、こう思いました。口に出した事は必ずその通りに実行すべきだし、マイナス思考にとらわれず、他人を先に考えるべきです。また、修煉において最も肝心なのは、自分の心の動きを見つめることであり、他人の非を探し、他人を修めるわけではありません。こう思って、私は同修と一緒に労働教養所の中に入りました。
2カ月後に、もう一人の同修が2年間、不当な労働教育を強いられたにも拘らず、今度は洗脳班に移送されると聞き、私はどうすればいいのか悩んでいました。私は他の同修とその人の家族と一緒に、釈放を求めに行こうと思った時、以前の自分の境遇を思い出し、未だに身震いを感じました。当時、労働教養所は地区の管轄部署と連絡を取り、私を釈放後、家に帰さず洗脳班に送ろうとしましたが、同修達が真相を伝えてくれて、私は無事に家に帰れました。今、もし私が同修の釈放を求めに行き、自分がまたもや彼らに目を付けられたらどうしましょう? しかし、私はすぐにこの考えを否定し、こう思いました。私は大法弟子です。同修の事は自分の事です。邪悪の迫害を黙認せず、私は同修の釈放を求めに行くべきです。ちょうどこの時、ある同修は朝早く私の家を訪ね、夢の中で私が入院した様子を見たと言い、労働教養所に行かないよう勧めましたが私は同修に、旧勢力の按配を認めず、必ず行く意志を伝えました。その後、私たちは地方の管轄部署と政治法律委員会を訪ねました。邪悪の態度は険悪で、時に私の心は揺れましたが、最終的に正念を持って対処出来ました。
この二つの出来事を通じて、私は自分の恐れる心が大分なくなった気がします。ここで私が分かったのは、大法を実証するには、何でもはっきりと分かり、自分を良く修めてから実証しに行くのではなく、実践の中で、大法の要求で自分を律しながら実証すべきであり、その過程で自分の心性と悟りを高め、良くない心を取り除くことが出来ます。
その後、同修と協力し合う事があれば、私は出来る限り参加し、そして益々平穏な心を持って対処できるようになりました。
三、明慧ネットで受益する
私は明慧ネットを利用してまだ二年ですが、その過程で多く受益しました。師父は仰いました。「明慧は主に、大法弟子の主体の修煉情況を反映し、特に中国大陸での迫害情況を暴露し、中国大陸の大法弟子の修煉情況を主な報道対象とします。」(『明慧ネット十周年法会での説法』)
ある日、私は法を得て一年程度の一人の新しい同修の修煉体験を見ました。その主な内容は、彼の母親が修煉しながら薬を飲んでいる事についてでした。彼の体験を見て、私は自分の事を連想しました。以前、自分も大法の法理を良く理解できず、色々な事に対する考え方と対処方法に問題があって、修煉において百パーセント師父と大法を信じていなかった事が分かりました。それから、私は同じ問題に遭遇したらどう対処すべきかを分かるようになりました。
時には、問題が起きても私が気に留めない時、明慧ネットの文章は私にそれを認識するようにさせてくれます。
法を良く学び、明慧の文章を多く読むにつれて、私は邪悪を暴露する事について新たな認識が出来ました。師父は仰いました。「この方法には理性を失った悪人を極大に震撼させる作用があり、同時に当地に対する真相を伝える中で、民衆に邪悪の迫害を最も直接に、はっきりと伝え、認識させ、同時にデマに毒され、騙された民衆を救い済度する一種の良い方法です。」(『師父の学習者の文章に対するコメント』)以前、邪悪を暴露する同修達の交流文章を読んで、私はいつも恐れを感じ、自分も迫害を被ることを怖がりました。しかし、よくよく考えたら実質、真の自分が怖がっているのではなく、私の背後にいる邪悪が怖がり、暴露され、解体される事を恐れているのです。私は絶えず自分の考えを正し、正念を強め、邪悪を暴露する文章を読み、如何にして邪悪を暴露していくかも分かるようになりました。私は自分が受けた迫害の過程を書き出して発表し、また、同修達と交流し、彼らの受けた迫害の経緯を談話の形で記録し、整理してから同修にその内容を確認してもらい、それらを発表することによって最大限に迫害を暴露する作用を発揮させました。時には時間があまりなく、諦めようとも思いましたが、しかし師父を思い、大法そして同修のことを思うと、私は再び自分を奮い立たせ、自分の知っている同修、そして連絡の取れる同修とコンタクトし、彼らが受けた迫害の経緯の全てをネットで発表し、邪悪を解体させるよう努力しました。邪悪を解体する過程で、私は成熟し、邪悪を暴露する文章だけでなく、評論も書けるようになりました。これらの全ては大法から得た知恵によるものです。
私はよく自分が読んだ同修の交流文章を学法グループに持って行って、他の同修と分かち合い、学法後の交流の際、皆と意見交換しながら心性の向上を図りました。
(続く)
(明慧ネット第八回大陸大法弟子修煉体験交流会)