仕事の環境の中で自分を修める(一)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本201299日】私は1997年に修煉を始め、すでに15年経過しました。師父の慈悲なる済度に心から感謝いたします。弟子は世の中のすべての言葉を使い尽くしても、師父への感謝の気持ちを言い表すことができません。着実に修め、全体に円融し、より多くの衆生を救うことで師父に恩返ししたいと思います。次に、私が仕事の環境の中で修煉し、会得した体験を同修の皆さんと交流したいと思います。

 2003年の年明けに父が亡くなりました。父は中共(中国共産党)により迫害されて死亡したも同然です。父は以前大法を修煉していましたが、19997.20以降、中共の残酷な迫害により、怖がって修煉を諦めました。その後、病的な症状が表れ、師父は何回も夢などで啓示してくださいましたが、父は悟らず、世を去りました。

 また当時、夫は自分の過失で懲役8年の判決を受けて拘禁され、私は失業状態でした。母の少ない年金で8歳の息子と3人が生活し、生活はどん底状態にまで陥りました。しかし、生活上での挫折は私の修煉に対する意志を弱めることはできず、大法の法理は一艘の船のように、私を乗せて生活の海を渡っていきました。

 母の年金だけでは生活していけませんでした。昼夜の別なく続いた、半身不随の父の看病後の疲れもあり、また時期も年明けだったので1カ月くらい休んでから働こうと考えました。学法する時間があり、学校に通っている息子を送り迎えする時間さえあれば、どんなに疲れる仕事でもしようと思っていました。

 ちょうど1カ月後、知り合いが清掃の仕事を探してくれました。すべてが私の願った通りの職場で、時間的制限がなく、ただいつも清潔でなければなりません。私は毎朝息子を学校へ送って行き、その後職場に行きます。職場と息子の学校は同じ方向で、仕事が終わればすぐ帰ることができ、母と学法する時間も十分でした。本当に私の状況にぴったり合った仕事で、師父に按排していただいた修煉の道は、すべてが最善の状態でした。

 私は営業ホール以外に、三つの役員室の清掃を担当しました。社長は私が仕事をこつこつと確実にするといつも感心していました。祝日などに会社が社員に対して行う福祉待遇は私にはありません。しかし、社長は自分の分をプレゼントしてくれました。仕事をしてから2カ月後、給料が上がりました。

 「苦を嘗めるをもって楽と成す」の法理に基づき、私は仕事を楽しく、よりよく行い、仕事の中で至る所、法理によってさらに自分に厳しく要求しました。清掃用品などは使用に耐えるまで十分に使用し、無駄使いせず、壊れたら修理して使い、人目につかないところほど、自分に厳しく要求しました。

 20039月、会社は新しいビルに移転し、仕事の量が増え、それに伴い人も増えました。私はこのように変った環境の中でいかに修煉するかを考えました。同僚のお姉さんが来た初日、私は彼女を連れて、新ビルの状況や仕事の範囲を説明しました。休憩時、自分の生活状況と私の法輪大法に対する信奉について正直に話しました。彼女は驚きながら「めでたいことがあれば人は元気になると言いますが、あなたにそんなに大きな苦難があるとはどうしても見えません。あなたの笑顔から私はあなたが非常に幸せな人だと思っていました。私がそんなに大きなことに出遭ったら、絶対笑えません」と言いました。

 仕事の量が増え、子供の送迎には影響がありませんが、学法は職場の休憩時にしなければなりません。休憩時、私が学法、発正念しようとすると、お姉さんが私に話しかけてきます。彼女に時間を取られたくなくて、瓜子(ヒマワリやカボチャの種)などを買ってあげましたが、彼女は食べながらも私に他人の悪口を言いました。私は修煉者の方式でこのことに対処していなかったと思いました。そこで私は邪魔されないように、発正念して彼女の背後の悪いものを取り除きました。

 その後、彼女は編み物をするようになり、話しかけてくることが少なくなりました。ある時、伝統文化の物語を読んであげると、彼女も興味深く聞いていました。彼女は常に「法輪大法は素晴らしい」と唱え、身体も健康になり、性格もよくなり、家庭のトラブルも少なくなりました。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/8/31/262181.html)
 
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