内に向けて探すことを学ぶ(三)
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文/シカゴの大法弟子

 【明慧日本2012年11月12日】

 三、「三つのこと」をやるのは、平穏と安逸を求めるためではない

 修煉を始めた最初の数年間、私は毎日法を得た喜びにひたって、喜んで進んで学法し、煉功と大法の仕事をやっていました。同時に、体は絶えず浄化され、すべてが順調に進み、生活はますます楽しくなりました。しかし最近の1年来、「三つのこと」は私にとってだんだんと任務のようになり、学法と煉功の時に集中できなくなりました。特に今年の神韻公演が終わった後、仕事が忙しくなると学法と煉功を疎かにして、いつの間にか安逸心も生じて、重要な活動がある日にだけ「三つのこと」をするようになりました。その日に「三つのこと」をするのは、トラブルがなく活動が順調に運ぶことを望むためでした。

 経文を学び、自分のやり方は一種の求める心だとはじめて分かりました。修煉者の学法と煉功は修煉の一部であり、返すべき業力から逃れるための手段ではありません。頭に大法があってこそ、心性の難関や病業の難関に遭う時に、はじめて正念をもって正面から向き合えるようになるのです。

 四、常人の仕事の中で名利心を取り除く

 先日、私の勤める会社は組織改編が行われ、私は難度の高い大きなプロジェクトの担当になりました。それは私の仕事の能力に対する審査でもあると、社長は私の上司に言ったそうです。それを知った後、私はプレッシャーを感じて、精神的に緊張し始めました。数日経って、このままではいけない、こうなる原因を探すべきだと私は思いつきました。自分の名利心が見つかりました。プレッシャーと緊張を感じたのは、社長と上司の評価を気にしているからです。なるほど、執着を探し当てたら、すぐにプレッシャーと心配がなくなりました。私は計画を立て計画通りに進めば良いのです。このプロジェクトはまだ終わっていませんが、その結果がどうなるかについて、私はもう気にかけません。心を放下したら、弟子としてのすべては師父の按排通りになると私は分かったからです。

 4年あまり修煉して、学法と煉功以外に着実に自分を修めることも必要だと、今やっと分かりました。トラブルに遭ったり、難関を突破する中で内心の穏やかさを失ったりした時は、内に向けて探すべき時です。たとえ自分が第三者の立場であっても、他人のトラブルを見て自分にどのような執着があるかを探さないといけません。いったん自分の執着と不足を発見したら逃げず、甘やかさずに決心してそれを取り除きましょう。限られている修煉の時間で、勇猛精進して人の執着を取り除いて、円満の基準に到達できるよう頑張りたいと思います。

 師父、ありがとうございます! 同修の皆さん、ありがとうございます!

 (完)

 (2012年米国中部修煉交流会での発表原稿)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/10/27/264530.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2012/11/10/136233.html)
 
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