神韻の営業の中で修煉を向上させる(一)
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文/米国ロードアイランド州の大法弟子

 【明慧日本2013年6月6日】偉大なる師父 こんにちは! 同修の皆さん こんにちは!

 光栄なことに私は今年「神韻2013米国ロードアイランド州公演」の営業協調人を任されました。ロードアイランド州は米国の最も小さな州で、米国東部北部の新イングランド地区に位置して悠久な歴史を持っています。2013年2月に神韻は、4度目にロードアイランド州の州都、プロビデンス市にやってきました。今年の神韻営業活動は、喜ばしい進歩を実感したものの、師父の要求にはまだ遥かに及びません。ここで、神韻営業活動における自らの修煉体験と経験の教訓を同修達の皆さんと共有したいと思います。

 ロードアイランド州の現地の学習者は、2011年より独立して神韻を主催しています。人数の少ない学習者は修煉状態も様々で、実際に現れてきた困難もかなり大きかったのです。私は『長春輔導員法会での説法』で師父が広州で講習会を主催された時の状況についての説法を思い出しました。早期は師父が何を伝えられているか皆が理解できませんでしたが、暫くしてやっと分かるようになりました。私は大法弟子として、まだ世の人々が目覚めていない段階において払った努力をよく理解しています。

 神韻2013を広める過程は、絶えず困難を克服して絶えず修煉を向上させる過程でもありました。心の中で「師父が望まれていることをやる。全ての困難を克服して師父の要求通りにやる」という念だけを揺るぎなく抱えていました。困難は各方面に現れました。ある時は客観的な困難だったり、ある時は同修間の協調問題にあったりしていました。困難に直面する時、私の脳裏には常に次の法が思い浮かんでいました。「わたしは人と闘うことが嫌いな上、彼とは闘うまでもありません。彼が良くないものを持ってきても、わたしはそれをきれいに片付けてから、説法を続けていました」(『轉法輪』) 当時は、後半の言葉だけを気にしていました。困難が発生したら動揺せずにそれらの困難を一つ一つ落ち着いて処理すればいいのです。その点に関しては良くできたと思いますが、しかし師父の説法で講じられていた「闘」に対して重要視していませんでしたので、結局神韻を広める中で心性を守り切れませんでした。特に「争いの心」は同修との間で何度もトラブルを起こし、神韻の営業活動にまで影響を及ぼしてしまいました。

 このような経験は少なくありませんが、三つの心得について交流します。

 (一)学法は全ての根本

 師父は学法の重要性を何度も強調されました。修煉を始めて以来、私は学法が大好きでした。しかし学法の状態は修煉状態に直接関係しています。時に全ての大法の経文を通読して大変良い効果が得られる反面、時には修煉状態が良くなく「本」に触れたくありませんでした。そうすると良くない状態が更に続いてしまいます。最終的にその良くない状態から抜け出すことができるのは、やはり学法でした。昨年は師父が全ての説法において再び学法を強調されました。神韻を始めてからずっと学法を強化してきました。3カ月の神韻の営業活動期間中、基本的に毎日の学法が保障されました。私は集団学法以外に『精進要旨』と1999年以降の全て師父の説法を読みました。しかも一部の説法は何度も読みました。

 神韻の営業は常人社会において商業行為として表れますが、地元で商売の経験を持つ同修はいませんでした。最初はどうしたらいいかと思っていましたが、それから真面目に神韻の協調人会議に参加して他の地方の同修の経験を学び、常人にも教えてもらい、一方では学法を通じて全ては法から生まれると悟りました。自ら師のご明示を受け取るようにしていました。私の体験は大変神秘的で、玄妙でした。困難な問題が発生した時は、ほとんど当日の夜の学法で師父が明示してくださいました。毎回の学法の時、師父は必ず私の悟りを開かせてくださるようになりました。事前に神韻の営業計画を立てましたが、計画が変化についていかないことがあります。計画の緻密性が欠けていると気づくこともよくありました。例えば後期に入ると、公演前の最終段階のマーケティング計画を考えていたら、数分後の学法の中で師父が解答を目の前に見せてくださいました。もちろん、師父は法理上で私にご明示くださいましたが、それを実際の行動に移すのは私の責任です。どんな困難が発生しても必ず最後まで堅持して行動するまで徹底します。例えばかつては主流社会を打開する切り口がなかなか見つかりませんでした。師父は地元における最大の新聞社を使うようにご明示くださいました。今は新聞の読者が少ないのと高額の広告費用を理由に今まで一度も試したことがありませんでした。神韻公演の前に劇場で突然老夫婦に出会いました。どうしてこの新聞に広告を掲載しないのかと聞かれた時、師父のご教示だと悟りました。神韻の営業が始まって、早速その新聞社に連絡してみましたが、当初は高額の費用により諦める事にしました。けれども、師父の要求なのに困難があるとすぐ諦めるなんて、それは違うのではないかと考え直しました。弟子としては可能な限り方法を考えて行うしかないと分かりました。再び新聞社に連絡してみました。真剣に発正念を行って、とうとう予算内で2回のパッケージページ広告を契約しました。今年の神韻を振り返ってみれば、最も広告効果が良かったのはそのパッケージページ広告でした。また、師父は現地の駐屯軍に連絡するようにご明示くださいました。最初の数回にわたる試みは全く効果がありませんでしたが、私が諦めないでいたら、とうとう海軍基地への連絡に成功し、大変良い効果を得ることができ、今後の営業活動の基礎を築きました。

 強調しておきたいのは、私の学法の時の心はわりと純粋でした。学法に専念して特に問題を解決しようとしませんでした。神韻の営業活動中、たくさんの困難、理不尽、衝突に出会い、時に内心は非常に悲しかったのです。学法の時、師父が常に教化と激励をくださいました。一番つらい時は、師父の両手が私を支えながら前へ導いてくださることを感じることができました。

 神韻を広める中で、師父は多くの能力を授けてくださいました。その能力の影響が主催、協調の各方面に及びました。劇場との渉外、計画設定、メディア交渉、品物注文から主流社会への連絡、一軒ずつへの資料配布まで各方面に影響をもたらしました。私の体験では責任を負って困難に直面している時は、師父が必ず能力を授けてくださいました。その能力は非常に緻密で、常人社会において教育と研修を通じて身についた能力とは全く違います。私はまさに常人社会において高等教育を受け、長期にわたり専門訓練を受けてきましたが、しかし師父から授かった能力は全然違います。その能力を実感できた時は、いつも脳裏に、ある段落の法が思い浮かびました。「わたしは、連れていった弟子に自分の功を分けあたえましたが、それは百種以上の功能で合成されたエネルギー団です」(『轉法輪』)

 神韻公演の前夜、『ヒューストン法会での説法』を学ぶ時に、突然『轉法輪』のある段落の説法を理解できるように師父が私の悟りを開かせてくださいました。「ある日、わたしは自分の思惟を四、五人のきわめて高い次元にいる大覚者、大道とつないだことがあります。その次元の高さと言えば、常人から見れば信じられないほど高いのです」 修煉して以来十数年が経ちましたが、その説法に対してずっと分からないままでした。糸口すら掴めませんでした。師父のご教化は大変高い次元を指していると分かりました。確かに師父のおっしゃるように「常人から見れば信じられないほど高いのです」 大法弟子は非常に高い次元からやってきたことを理解できました。即ち、その責任も重大だということです。

 神韻を営業する過程の中で、いくらかの執着心が生まれました。神韻が終了して学法している時に、「皆さんにこのことを話しているのは、その執着心を起こさせないためです。実はすべてわたしの法身がやっているのです」(『轉法輪』)と、師父は私に警鐘を鳴らされました。

 (続く)

 (2013年ニューヨーク法会での発言原稿)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/5/24/274412.html)
 
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