二〇一三年大ニューヨーク地区法会での説法
 

(李洪志、二〇一三年五月十九日)

 

 (全員起立し、熱烈な拍手)皆さん、こんにちは!(弟子の皆さん:師父、こんにちは! 引き続き拍手する)今回は近年で最も規模の大きい法会になるでしょう。(拍手)参加者が比較的多く、中国本土からも来ていると私は聞いています。大法弟子の法会なので、大法弟子が修煉の中でお互いに高め合う最も良い環境です。法会の交流を通じて、皆さんは不足を見いだすだけでなく、ほかの学習者の長所にも気づき、それを大いに発揚させることができます。

 修煉者として実質的な手本はありません。皆自らを修め、誰もが自分の道を歩まなければならず、参照はありません。ただ一つ、どのように法に従って行うかだけのことです。それぞれ自分の理解があり、異なる感じ方を持っているので、誰もが問題にぶつかる時、同じ認識、同じ対応方法と処理方法を持つのはなかなか難しいのです。なぜなら、考え方と考えの由来は非常に複雑だからです。それぞれ長い間、各種の観念や物事に対する異なる認識、自分の感じ方、感情を形成したから、各方面のものは自分の認識、理解と認識の特徴を構成したのです。いずれも複雑なことです。ですから、個性が同じ人を見つけることがなかなか難しいのです。相手のやり方通りに行うのであれば、それは表面を習っているのであって、実質まで同じになるのは難しいのです。

 それだけではなく、私はすべての人が自分で圓満成就するよう要求しています。在席しているのは皆、修煉者で、法会だから、新しい学習者も少なくありません。師父は皆さんに突拍子もないことを言っているのではなく、いい加減にある生命が下りてくれば、大法弟子になれるというわけではありません。宇宙の生命は計り知れないほどおり、これほど一大事なので、来たのは皆、王かもしれません。それなら、自分の道を歩み、自分の威徳を実証し悟るとき、必ず自分で歩んできた認識の過程、修煉の過程がなければならず、自分の要素と特徴を持ち合わせていなければいけません。ですから、すべての人は自分の道を歩むべきです。この数年来、大法弟子の中でどんな状況が現れても、修煉の中で異なる認識が現れたり、または協調のときお互いの考えが異なったりするのも実はこのことに関係しています。

 もちろん、大法のプロジェクトで何かを行うとき、できるだけ自分のことを放下し、プロジェクトに必要なことをやり遂げるべきであり、これは最も重要なことで、だから協調が必要なのです。しかし、取り組んでいる過程で自分のやり方の特徴が現れ、修煉の中で自分の道を歩んだことになります。このことは師父が認めており、批判すべきことでもありません。皆さんも必然的にこのように行います。皆、同じ型から出されてきたようにまったく同じであれば、それはあり得ないのです。ですから、皆さんは魔難に遭い、この修煉の道でそれぞれの紆余曲折を経験しますが、どのような道を歩んでも、厳しい道であろうが、険しい道であろうが、いずれも自分の果位を実証するためであり、自ら最終的に圓満成就した道と成し遂げたものを実証するためなのです。

 皆さんは修煉の過程で多くの難と関に遭い、同時にこの未曾有とも言える迫害を乗り越えてきました。皆さんが分かっているように、キリスト教徒は三百年にわたり迫害されており、佛教も五回の法難に遭い、そして釈迦牟尼佛は当初、原始のバラモン教と大きな衝突を起こしましたが、中共邪党ほど毒悪ではありませんでした。これは旧勢力が高い次元で操って仕出かしたことです。人類社会はほかでもなく、正と邪、好し悪し、善と悪が同時に存在しており、バランスを取っています。善がなければ、人間は悪とは何かを知りません。悪がなければ、人間は善とは何かが分かりません。修煉に善があるから、人間は一つの基準を持っています。悪があるから、修煉者はどのように基準に達するかが分かるようになりました。これで修煉者が修煉の過程で自己改善できるようになりました。これは世間が修煉者に与えた、生命のレベルを高める重要な環境と条件です。これは当初、人類社会を造成した時にすでに決まったことであり、修煉したければ、このように行わなければなりません。旧勢力は世のこの特徴を利用し、それを絶対的なものにしてしまいました。

 この世のこの特徴は宇宙のいかなる空間にも存在しない現象でもあり、人類社会という善悪共存の環境だけにこの突出した現象があり、だから人間の修煉は可能になりました。もちろん、これだけではありません。迷いや苦しみ、情などなどの要素もあります。旧勢力はこの現象を利用していわゆる大法弟子に試練を与える大きな迫害を起こしました。それらの言葉で言うと、圓満成就できる大法弟子を圓満成就させるためです。もちろん、師父は以前いつも皆さんに、私は旧勢力が按排したこのことに同意せず、認めておらず、私に私の衆生を救い済度する方法があると言っていました。私は私が行おうとすることを持ってやってきましたが、旧勢力は陰で自身のやり方を按排しました。先ほど話したキリスト教徒と佛教徒が受けた迫害などなどのように、それらはこれは人間が圓満成就に向かうため、覚者になるために必ず通る道であり、必ずこのように行い、ほかの道を歩むと成功しないと思っています。私はさらに次元の高い法理でこのやり方を大法弟子に用いるのは邪悪な妨害だと指摘したら、旧勢力は「われわれはこれしかできない」と言い訳をしていました。

 佛法は万能ではありませんか? 私が芸術公演で人を救えるとは誰も思いつきませんでした。これもそれらは思いもよらなかったことです。

 佛法は万能です。常人社会で修煉することもそれらが思いつかなかったことです。

 それなら、私のやり方はどういうものでしょうか?

 この宇宙はすべて悪くなり、衆生の誰にも極めて重い業力があります。イエスは人間に罪があると説いたのですが、実は佛家の言葉で言うと、つまり人間が生活の中で絶えず業を造ることによって積んだ罪業です。人間は長い輪廻転生と生々世々で、たくさんの業と借りを作りました。ある世で兵士になり、人を殺したかもしれません。または屠殺人(とさつにん)だったり、あるいは生活の中で誰かをいじめたり、非常に良くないことをしたかもしれません。実はすべての人はこの情況で、業力に満ち、この社会はほとんどこのようになりました。高次元の生命まで基準に合わなくなり、基準自体まで変化し、今日のこの情況に至りました。これらの衆生を全部救いたければ、皆さん考えてください。旧勢力の方法ではまったくできません。事実もそれが無理だと証明しました。旧勢力にも分かっているため、それらは多くの人が救われることを望んでいません。以前の預言から皆さんも聞いたのですが、「一万人のうち、千人が残る」とか、「10世帯のうち、1世帯が残る」とか、各種の預言はこのことに言及しました。つまり、旧勢力は人間が本当に救われることを望んでおらず、それらがまだましだと思う人を残そうと思っているだけです。

 実は衆生は皆、平等なのです。長い歳月の中で生命は基準からずれてしまい、堕落し、このすべてがだめになったのは宇宙自身にこれほどの智慧しかないからです。それは「成、住、壊、滅」と言います。この成、住、壊、滅を変えなければ、衆生は成住壊滅の中で悪くなります。宇宙が生成された初期のとき、衆生の本性は道や宇宙の法と一致していました。住の段階は比較的良い時期で、各次元の道徳規範は宇宙の基準に合致していました。壊になると、下り坂が始まり、世の気風が日に日に悪くなっていきました。滅のときは完全に地に堕ちてしまいました。このまま悪化させるわけにはいかないので、どうしたらいいでしょうか? 解体します。解体が終わると、何もかも無くなり、宇宙のすべての生命と物体は存在しなくなり、それを取り戻したければもう一度作り直します。つまりこういうことです。ですから、この根本的なことを変えなければ、衆生は成住壊滅の中で変化してしまいます。

 これはいったい誰の罪なのでしょうか? 私に言わせれば、誰の罪でもないのです。宇宙の成住壊滅という特性によって衆生はこのようになり、これは宇宙の智慧が足りないからです。ですから、最も良い方法はすべての生命が善解することだと私は考えています! 誰が誰かに借りがあっても借りの返済を求めないでください、誰にでも罪があるからです。誰もが借りの返済を求めず、お互いに法を正す中で善報をもって解決し、未来に向かっていきます。これは何と素晴らしいことでしょう!(熱烈な拍手) 衆生はきっとこれを気に入り、皆喜んでくれると思います。これは私が当初行おうとしたことです。

 しかし、旧勢力はこのすべてを変えてしまい、この魔難を作り、しかも歴史上かつてない邪悪さだったのです。皆さん考えてみてください。生きた人から臓器を摘出するということですが、古代ローマに起きたキリスト教徒への迫害が最も邪悪な時でも、ここまで邪悪にならなかったのです。最も邪悪な時でも、人を死なせることに留まっていました。この星で起きた最大の邪悪であり、これは大法弟子がこの迫害の中で耐え、そして直面した邪悪であり、この迫害の中で現れてきた邪悪です。皆さんが高い次元から来ており、大きな果位を実証し、大きな王になろうとしていますが、小さい魔難で、それ相応の邪悪な方法がなければ、皆さんが上まで修煉できるのかと旧勢力は思っています。それらはみな、この論理を使っています。

 皆さんが分かっているように、師父が説いた法は巨大な内涵がありますが、表面は非常に分かり易く、明瞭なのです。道理が簡単で、言葉も分かり易いのですが、かえって衆生を迷わせてしまいました。実は、私は高次元の生命を指しています。歴史上の人たちは、将来人を救うとき、法を得難いのではないか、機会を手にしにくいのではないかと言っていました。昔、世の人がこのように言っただけでなく、神まで「最後に法が伝わり、衆生を救い済度するときになると、機縁はきっと非常に得難く、悟りも難しくなり、非常に頭の良い人だけが悟ることができ、たくさんの苦を嘗めてやっと見つかるに違いない」と考えていました。皆さん、考えてください。これが本当なら、公平なのでしょうか。公平ではないのです。多くの覚者はこの世に来て、障害者に転生したり、耳が遠くて老眼の年配者になったりするかもしれません。彼らに公平なのでしょうか? 不公平です。ですから、師父が伝えた法は最も分かり易いのに、それらはかえって信じなくなり、この点において世の人よりも劣っています。

 道理も言葉も分かり易く、ほとんど迷いはありません。今回法を伝えるとき、衆生に絶対平等に対処すると私は言いました。門を大きく開いており、門が必要なくなるほど大きく開いています。実はこういう道理です。しかし、旧勢力はそれでもやろうとすることをひたすらやっています。もちろん、今になってそれらも分かるようになり、行なっているこのすべてが自分自身を滅ぼしていると分かっています。それらが行なっているすべても、さらに高い次元の旧勢力に利用され、それらを含む下の次元にいる罪の大きい生命を滅ぼしています。なぜなら、それらが私のやりたいことを変えたのは最大の罪だからです。いずれにせよ、この迫害がもたらしたこのすべては徐々に過ぎ去ってしまい、すでに挽回できず、それらが償うことのできないことです。これは宇宙で法を正すことへの妨害であり、罪はあまりにも大きいのです。

 在席の多くは海外の大法弟子であり、実は中国大陸の大法弟子こそ大法弟子の主体であり、歴史上の各時期の各民族の王は全て、中国に転生したのです。しかも、高い次元から来た生命、さらに高い次元から来た生命も中国に転生しました。

 人間の外見は観念によって変わります。中共邪党は中国の伝統文化を破壊し、しかも半神文化、最も神に近い文化を破壊しました。皆さんは神韻を鑑賞してこのように感じたでしょう。同時に、邪党は極めて邪悪な闘争の理論を注ぎ込み、人々は争い合い、戦い合うようになりました。現在の中国人自身も分かっていますが、中国人が集まると、どこにいてもいがみ合いが起こります。ほかの民族の人は中国人はなぜ「団結しない」のかと疑問に思っています。実はここに深い理由があります。旧勢力はほかでもなく、中国を乱そうとしており、ここまで乱そうとしています。「この環境で修煉し成就したら、われわれは認めますが、成就できない人は人柄が悪いからです」、「ここまで邪な環境で成就したらわれわれは認めます」。これはそれらがやったことです。相対的に言えば、中国大陸以外ではここまで邪悪ではありません。中国という環境にいれば、比較になるものがないので、人間自身もここまで変わったと自覚していません。大法弟子の中にも多くの人が精進せず、自らを律せず、お互いに党文化の中でかき乱し合っています。 

 いずれにせよ、すべては終盤に入りました。邪悪はもう一度これほど邪悪な迫害を起こそうと思っても、すでに力は及びません。なぜなら、邪悪の要素は旧勢力が多くの空間から集めてきたものだからです。今回の迫害のために用意されたそれらの邪悪の要素でもあり、めちゃくちゃなものも含まれています。現在、多くがすでに消滅されたため、環境はますます緩和されているように見えます。しかし、終わっていなければ、邪悪は相変わらず邪悪であり、毒物のように、相変わらず毒があり、悪い作用を働かずにいられないのです。ですから、皆さんは油断してはならず、修煉においてできるだけ旧勢力に隙に乗じられないようにしてください。最後のことをどのようにするのか、師父は考えてみます。

 修煉者として、どんなことがあっても、あなたは神の道を歩んでいる人であり、皆さんも分かっているように、神の道を歩んでいる人は普通の生命、普通の人間と違いがあります。しかし、皆さんは常人の中で修煉し、行為や服装、言動まで常人と何の違いもありません。最大の違いはトラブルに遭い、何かの事に遭うとき、自分の心から原因を探すことができることです。「私に何かの間違いがあったからではないでしょうか?」、「私のせいでこのことは順調に進まなくなったのでしょうか?」という具合です。これは唯一、常人との顕著な違いです。もちろん、このことは人間の行為に反映されます。常人はこの人の雰囲気が違うと感じ、大法弟子がとても優しくて親近感があると思うようになります。何といっても修煉者なので、周りの場は完全なる善なものです。常人にはそれがないのです。この点において違いがあり、人間も感じられます。

 つまり、大法弟子は修煉者とはいえ、見た目では常人となかなか区別することができません。特に常人の中で修煉し、しかもこのような複雑な環境で修煉しているため、修煉者にとって非常に難しいのです。皆さんが当初、法を得たとき、この法に出会って、特に私が言った三種類の人の中の1番目と2番目の人は法に出会ったとき、「本当にとても嬉しい! 良かった! やっと見つけた!」と思っていたのです。人間が千万年にわたって輪廻しながら待っていたのはこれではありませんか? その時、生命の深いところで受けた感銘によって、あなたはどんな人心も放棄することができ、必ず自分をしっかり修めると決心しました。あの興奮した気持ちで精進していました。しかし、時間が経つにつれ、あの感銘はなくなり、人間の惰性、人間の各種の観念、そして社会の乱雑な現象がいずれも人間を誘惑し妨害しています。ですから、「初志貫徹すれば、修煉は必ず圓満成就する」という言葉があります。いつも師父に「以前法を読むとき、次元の向上が早く、本を読むとき認識したものが次から次へと現れてきますが、なぜ今はそういうことがなくなったのか」と言っている人がいます。皆さん自分で考えてください。あなたは「初志貫徹」して修煉しているのでしょうか?

 実は以前からすでに話していたのですが、大法弟子の場合、そのとき新しい学習者も含めて、修煉さえすれば、あなたを素早く所定の位置に押し上げました。どういうところまで押し上げたのでしょうか? あなたが来たところまで押し上げたのです。そこまで高いのです。非常に短い時間でそこまで押し上げました。体の表面ではそれほど大きな変化がありません。それほど大きな能力を駆使したければ、そのくらい強い正念があってはじめて大きな作用を働くことができます。あなたの正念もそれほど純粋ではじめて、大きな作用をすることができます。

 皆さんが分かっているように、仙人にとって山一つ動かすことは大したことではなく、山をほかのところに移動させるのも簡単なことです。しかし、仙人に人心はありません。彼は完全に神の観念、神の状態に達しています。人心を持っていればそれができるのでしょうか? 絶対にできません。できる修煉者もいれば、できない修煉者もいます。それは正念が足りるかどうかの問題です。正念が本当にそこまで純潔で清らかであって初めてできるのです。

 自分が純潔で清らかだと言っている人がいますが、実はそうではなく、多くの雑念があり、後天的に形成した多くのものを持っています。あなたが思っている簡単な一念でも、その出発点、起因、付随してきたものまで不純であるかもしれません。修煉者は長期にわたる修煉の過程で一貫して強い正念を保持し、法を得た当時の心境、初期のときの純粋で清らかな心を保持することができれば、それは本当に素晴らしいことです。神もそれを見てあなたが素晴らしいと言うのです。しかし、非常に難しいことです。私が法を伝える早期の頃、皆さんの修煉の中で人心による妨害が起きると分かっていたのです。そうでなければ、『精進要旨』にあるたくさんの文章を書く必要もありません。修煉の中で絶えず修正し、皆さんを督励し、修煉中に遭う問題について教えていました。これらの問題が起こると私に分かっています。以前の大法弟子ではない人の修煉も同じであり、これらの問題がありました。初志貫徹できる人は必ず圓満成就します。

 もちろん、大法弟子にとって、常人社会という環境で修煉しているため、妨害は非常に大きいのです。師父はこのことを分かっており、皆さんがかつてない修煉方式で修煉していますが、到達しなければならない基準は厳しいものです。皆さんは『轉法輪』からもこのことが分かっています。修煉は本当に修煉者らしくならなければならず、少なくともあなたは常に明確な正念を持っていなければなりません。各種の複雑な環境で、様々なトラブル、または突然現れてきた何かの問題に遭っても、修煉者のように対処しなければなりません。そのようにならなければなりません。

 もちろん、非常に難しいです。そうですね? ですから、大法弟子の修煉の過程で複雑な状態が現れたのです。しっかり修煉している人もいれば、そうではない人もいます。このように行動している人もいれば、あのように行動している人もいます。皆さんが知っているとおり、大法弟子で亡くなった人もいます。もちろん、人間の場合、死なないわけにはいきません。大都市では毎日たくさんの人が死んでおり、「生老病死」は人間の規律です。これほど大きな集団で、数千万人の大法弟子は誰も死なず、全員精進し、怠らず着実に修煉している修煉者であり、それこそ奇跡であり、迷いを破ったことになります。精進していない人がいるからこそ、問題が起こります。何と言っても修煉している人の集団なので、死亡率はかなり低いのです。しかも、旧勢力はこの環境をかき乱すために、あなたの法に対する認識が本物なのか、偽りのものなのか、あなたが信じるか、信じまいかと、修煉者にいわゆる試練を与えています。ですから、旧勢力はわざと真偽不明のことを起こし、人を惑わそうとしています。

 どこまで乱れているのでしょうか? 例えば、一家全員が大法弟子で、皆精進しており、周りの人からも評判がよく、彼らの修煉ぶりを真似たりしてお手本にしている人さえいます。私は修煉者に手本がないと言っています。ほかの人を手本にし、自分が法を認識していなければ問題を起こしてしまいます。旧勢力はあなたがその人を見て修煉しており、自分から法を認識しているのではないと思って、その人を死なせてしまうかもしれません。もちろん、大法弟子だから、亡くなっても圓満成就します。これは間違いのないことです。常人でも皆さんが真相を伝えるとき、救われたら元の位置に戻ります。大法の修煉者ならなおさらのことです。しかも、旧勢力によって正常ではない形で世を去ったので、当然圓満成就します。

 旧勢力はこのことをここまでかく乱し、このあくどい方法でほかの人に試練を与え、このことを利用して人間に試練を与えています。結果はどうでしょうか? 皆さんが修煉ができていると思っている人が死んだら、あなたはそれでも信じるでしょうか? このようなことがたくさん発生し、多くの大法弟子はすでに経験があり、旧勢力の手口を分かっています。しかし、師父の要求から言えば、修煉は厳粛なことでもあり、一人の人間が神になるには、座ってお茶を飲んだり、本を読んだりしてなれるものではありません。この道で本当に修煉によって向上して初めてできるのです。

 修煉の中で、修煉者は終始一貫して同じ状態を保ち、ロケットのように向上し、精進の中で自身の異なる次元を充実させることができないため、様々な状態が現れました。旧勢力もこの環境をかき乱し、人心を試すなどなどのことを仕出かしています。これだけではありません。例はたくさんあり、中国大陸ではなおさらです。迫害の中の邪悪な出来事は旧勢力が按排したやり方です。その目的はそれらの按排を成功させ、それらが認めた大法弟子を圓満成就させるためです。しかし、旧勢力は誰が圓満成就できるか、誰ができないのかを考えておらず、この迫害の中でできる人を圓満成就させ、やろうとすることをやればそれで十分だと思っています。

 迫害の中で私も注意深く観察しています。どうしても教訓を汲み取らない学習者がいます。労働教養所から出てきたばかりなのに、顕示心がまた現れ、人心がまた出てきました。常人でも何かに遭ったら、教訓を汲み取り、よく考えたりしますが、修煉者ならなおさら旧勢力に隙に乗じられた原因がどこにあるかを探し、自身の問題を探すべきです。これらのことについて法会で多く話しませんが、大陸の状況も非常に複雑で、様々な人心、様々なトラブルはあの複雑な環境で千変万化(せんぺんばんか)しています。必ず自らを探し、できるだけ旧勢力に隙に乗じられないようにしてください。

 次に、ほかの問題についてお話しします。

 皆さんが知っているように、新唐人テレビという大法弟子が運営する真相を伝えるプロジェクトに幾つかの異動がありました。私は正常なことだと思います。多くの学習者に取り沙汰されています。大法弟子が進めようとすること、真相を伝えるためのプロジェクトを良くするために、良い方法、良いアイデアがあれば、そのようにやれば良いのです。これは正常なことです。しかし、一部の学習者は普段、それほどしっかり行なっておらず、前責任者に不満さえ持っているのに、このとき前責任者のところに行って機嫌取りをしています。前責任者は異議がなく、私から前もってこのことを言っており、話したことがあるのに、「私達はそこまで悪くなかったのに、なぜ更迭されたのか」といい加減なことを言う人がいます(師父が笑って)。もちろん、修煉者はやはり違います。前責任者に説明すると、彼も納得しました。

 修煉者として、師父が要求したことにどのように対処すべきでしょうか? 師父がこのように指示したのは必ず理由があるのです。皆さんは師父の法を正すことに手伝いに来たのではありませんか? なぜ師父の要求にしたがって協調し円容せず、かえってしてはいけないことをしているのでしょうか? 言うべきではないことを言っているのでしょうか? あなたは修煉者ですか? 私の弟子ですか? 私を師父と呼んでいますか?

 実は、皆さん考えてください。先ほど皆さんは神韻のこと、神韻の成功を話していました。以前話したことがありますが、人類社会の歴史は1999年にすでに終わってしまいました。人々が2000年の到来を祝っていたとき、私は人間の分かっている一面が祝っていると思ったのです。この時代を終えて、まだ存在の望みがあり、本当に祝うべきです。しかし、時間はこのまま延々と続くでしょうか? リンゴが完全に腐ったのに、そのまま置いておいても良いのでしょうか? ウジ虫だらけで、悪臭を放っているのに、そのままにして良いのでしょうか? いったいまだどのくらいの時間があるのでしょうか? 人々はこの歴史の時期にずっとこのことを話題にしています。つまり、人々は皆心配しているということです。私に言わせると、以前から大法弟子に話していたのですが、宇宙で法を正しているから、ここは法を正す中心点となったのです。ここで無数の大法弟子が法を実証しているから、時間が先に延ばされています。言い換えれば、大法のおかげでここは残されたのです。何のために残したのでしょうか? 人間にもう一度機会を与え、大法弟子がここで人を救うことができるように残したのです。私たちはここでひたすら魔難に耐えているようですが、そうではありません。

 耐えていれば良いと言っている学習者がいます。何に耐えるのでしょうか?! いくら困難な情況であっても三つのことをしっかり行うべきです。衆生を救い済度するのは大法弟子の責任です! 大法弟子の圓満成就は決して個人の圓満成就ではなく、衆生を救い済度する中、無数の衆生を圓満成就まで導くに違いありません。すべての人がそうなります!(拍手)こういう状況であれば、皆さん考えてください。私たちはこの歴史の時期に主役を演じるべきではありませんか?

 師父が先頭に立って神韻を手がけたのは、実は皆さんに手本を示しています。私は神韻を世界一のショーにまで成長させ、少なくとも文芸や芸術の分野で神韻は主役になりました。それでは、ほかのプロジェクトはどうでしょうか? 皆さんは自分のわずかな成績にうぬぼれており、あなたは主役になったのでしょうか? 脇役にもなれず、ピエロになった人さえいます! これは大法弟子として行うべきことなのでしょうか? 師父からこのように要求されたのでしょうか? 一部の人は資金が不足しているから、プロジェクトが成功しないと言っています。それはあなたがしっかり取り組んでいないからです。プロジェクトを大法弟子が本当に取り組むべきこととして見なしておらず、本当の企業として運営していないからです。グローバルなマスコミは運転資金が数億ドルなければ、大手企業とは言えません。もちろん、この話をすると、プレッシャーを感じる人がいます。ここまでできなければ、あなたがだめだと言っているのではありません。私は道理からこのことを話しているだけで、このように取り組むべきです。

 一部の人はなぜ容量がそれほど小さいのでしょうか? なぜ考え方がそれほど狭いのでしょうか? もし皆さんが運営するメディアが本当に主流社会で立脚地を確保し、世界的なメディアに成長すれば、皆さん考えてください。邪悪を暴露し、人類を正しい道へ導き、どれだけ大きな作用を果たすのでしょうか? 衆生を救い済度する力はどれほど強いのでしょうか? 皆さんはそこまで成し遂げませんでした。いつも常人のメディアが何かをしてくれればと期待しています! それなら常人メディアは何もしてくれません! 大法弟子が運営しているものではないからです。あなたが法を実証しているのであって、常人が法を実証しているのではありません。つまりそういうことです。時に常人メディアに何か報じてほしいと思うと、逆のことをしてくれます。そうではありませんか?

 また神韻のことについて話します。多くの学習者は神韻にある考え方を持っています。神韻を師父が先頭に立って行っているプロジェクトだと思っています。実は師父は皆さんに手本を示しているのであって、多くのことは皆さんが行なっています。しかし、神韻の今後のやり方について私は考えがあります。

 最初は芸術団体として、特にアメリカでは、華人だから少数民族になります。社会で広まるのはそう簡単にできることではありません。アメリカの芸術団でも、数十年を経てやっと認められます。私たちはどうしたらいいでしょうか? ですから、師父は各地の多くの大法弟子に参加するよう指示し、皆さんの積極的な協力で神韻の影響力を高めました。これが一つの理由です。

 もう一つは演目の質を必ず保証しなければならないということです。ですから、私は観客に与えた直接的な効果を最も大事に思っています。振付師は踊りの角度から効果を判断しますが、観客の見方まで考えようとしません。楽団の指揮者は楽団をどのように表現するのかに重きを置きます。照明、音響はそれぞれの考え方に偏重します。私は違います。私は直接、全体的に観客に与えた効果を見ています。各構成部分の分量まで適切に配置し、ショー全体が観客に与える効果を保証しています。

 ですから、演目の質が上がり、加えて各地の学習者の協力があって、さらに修煉者が行なっているため、表現されたものは純善純美のものとなっています。しかも、強くて良い修煉者のエネルギーを備えています。そもそも大法弟子は衆生を救い済度するために来たのであって、何を行なっても無駄になってはならず、人を救うことに責任を持つべきです。当然、このショーでこのことは強く反映されました。公演中に多くの観客は舞台で行なっている神もいると感じたり、見えたりしました。実は大法弟子はほかのプロジェクトを行う時も同じで、つまり真剣にしっかり取り組むことです。わずか数年で、神韻の知名度を大きく高めました。

 実は、神韻は一年目の時にすでに有名になり、人々は当時奇跡だと言っていました。本来、年に二回のショーを行うつもりだったのです。一つはホリデーワンダーで、つまりクリスマスと中国の新年に一回ずつショーを行う計画でした。のちに忙しすぎて、全部は実現できず、今は一つのショーだけにしました。わずか数年ですが、影響力が出てきました。これは大法弟子の協力など各方面の要素と関係しています。

 私はテレビ局の責任者に話しましたが、メディアはプロを目指して人員の育成や質の向上に力を入れず、プロのレベルに到達できず、それではだめです。大手メディアとして、これは必ず重視すべきことです。

 神韻を立ち上げた当初から考えていましたが、神韻を世界一にするにはまずダンサーを育成しなければなりません。ですから、学校を作り、ダンサーの問題を完全に解決しました。すぐに短い時間でダンサーを育成しました。当時、今のレベルがなかったのですが、今はますます高くなっています。多くのダンサーは世界一流のダンサーになりました(拍手)。ですから、この演出効果を得ることができ、ほかの面のプロ化の水準もだんだんと高くなりました。もちろん、神韻の楽団も大きく改善され、私は楽団も世界一流の楽団にします(拍手)。私は有言実行なので(師父が笑って)今努力している最中です。去年、三つの楽団が一緒に参加するオーケストラ公演を開催しました。ニューヨークのカーネギーホールで行われ、大成功を収めました。メンバーたちも自信が倍増しました。楽団もきっと成功します。

 実は私は神韻を通じて、各プロジェクトに師父のやり方を見せています。さらに、もう一つの考えがあります。各地で神韻を宣伝するとき多くの学習者が参加し、ほかのプロジェクトに影響してしまいました。このことを変える必要があります。今は大分良くなりました。去年から今年にかけて行われたショーにそれほど多くの人が参加しませんでした。多くの地区で少ない学習者で活動しています。ニューヨーク地区に私はできるだけ学習者の参加を少なくするようにと伝えました。数千人でチケット販売に参加していれば、最後に威徳もなくなります。どのくらいの観客が来場したのでしょうか? 三、四人で数回の公演を行なった地区もあります。しかも、満席になり、大きな威徳を得ました。ですから、将来は参加する人がますます少なくなります。しかも、調査してみたら、各地もこの状況で、80パーセント以上の観客は広告を見て来たのです。ですから、少ない人で広告を良くすれば十分です。徐々にこのやり方になります。

 先ほど二つの具体的なことについて話しました。大陸からも一部の学習者が来たと先ほど聞きました。以前私の説法を聞いた学習者もいますが、大陸の大多数の学習者は私の説法を聞いたことがなく、師父に会うのはとても難しいようです。それなら、もっと多く話しましょう(熱烈な拍手)

 やはり師父が質疑応答する形を取りましょう(拍手)。今から始めます。質問を出してください。

 座ると、皆さんは私がはっきり見えないので、やはり立って話しましょう(拍手)。

 質問を持って来てください。

 できるだけ修煉に関する質問を出してください。個人的にここの具合が良くないとか、そこの具合が良くないとか、(皆笑って)皆さん笑っていますが、これは自分で乗り越えるべき関です。

弟子:大法弟子は現代社会において日常生活に使用されている有毒食品にどのように対処すべきでしょうか?(皆笑って)(師父が笑って)

師父:現在は本当にこの通りです。人間の科学は非常に浅はかなものです。遺伝子の改良は表面では、農作物を虫害から守り、増産までできるように見えます。実はこの世界は神によって造られており、人間の食物も神が造ったのです。自然界のものは人体と正常な循環を成しており、相互利用しています。しかも、自然界のものは循環過程で高い次元へ向上することができます。宇宙全体が一つの循環システムを構成しています。この世のものが変異し、不純になったなら、人類社会だけでなく、高次元社会まで影響を及ぼします。同時に、変異したものによって人体に奇形が起こります。

 以前、皆さんに話したことがありますが、人類は実は二つの地球を経験しました。前回の地球の場合、人類は最後の時期、非常に恐ろしい姿をしていました。頭が非常に大きい人や、足が非常に短い人、腕の長さが違う人、目鼻が歪んでいる人など毒されて非常に不様になり、人間は変形してしまいました。これは遺伝子の改良と工業化の汚染によるものです。

 大法弟子は修煉者です。現代人類の表面の体はそもそも汚染されており、同時に多くの業力が表面に溜まっています。修煉の過程でほかでもなく、これらの良くないものを取り除き、あなたの考えと体を浄化し、欠損したものまで取り戻すことができます。帰位するとき、かならず神の体の基準に達しなければならないので、問題はありません。修煉さえすれば、これらの問題はありません。成人はすぐ奇形になることはありませんが、髪の毛が抜けてしまいます。影響は小さいものです。後世への影響は大きいのです。修煉者であれば、子どもであれ、大人であれ、いずれも解決されている過程にいます。あなたの体は汚染の有無に関係なく、転化の過程にあります。

弟子:私たちは台湾の弟子です。法を得て長年が経ちました。主人も修煉者で一緒に師を信じ法を信じ、三つのことをしっかり行なっています。大法が病気治療のためのものではなく、修煉者の細胞が高エネルギー物質に転化されていると分かっていますが、法を得る前からの痛風が治らず、最近でも関節が痛いのです。(皆笑って)

師父:(笑って)修煉者なら皆分かっていますが、精進さえすれば、あなたの体は変化し、師父も調整してあげます。師父のこの人間の身体がしてあげるのではなく、法身が行なっています。今日まで修煉しても治っていなければ、本当に心性から原因を探すべきです。どこに執着があるのか、どこをしっかり修めるべきなのか、これはまさしく個人修煉の問題です。(拍手)

弟子:河南省平頂山市の大法弟子は師父にご挨拶を申し上げます。

師父:(笑って)挨拶の紙は出さなくてよいです。師父は皆さんの気持ちを分かっています。

弟子:アメリカに来て間もない高齢の大法弟子です。師父にお会いして法を聞きたいと強く思っていましたが、様々な理由でなかなか実現できなかったのです。今日、法会に参加する同修にお願いして師父にご挨拶を申し上げます。長沙市の大法弟子です。

師父:これは出さなくてよいです。師父には分かっています。(師父が笑って)

弟子:どうぞおかけください。師父はすでに1時間も立たれています。

師父:大丈夫ですよ。

弟子:神韻の台北公演はずっと最高級の国立劇場を借りることができず、弟子の努力がまだ足りないのでしょうか?

師父:台湾の場合、台北以外のところで幾つか良い劇場がありますが、台北の劇場はあまり良くないようです。あの国立劇場も定員が九百人あまりしかなく、借りても借りなくても大した違いはないので、私は必ず借りるようにと指示しませんでした。

弟子:台湾大紀元の邪党を暴露する報道はあまり面白くないようです。今、大多数の台湾人に受け入れられていません。私はどのようにすればいいのでしょうか?

師父:提案してみてください。このようにするしかないですね。(師父が笑って)

弟子:私たちはいったいどのくらいの衆生を救ったのでしょうか? 何パーセントですか?

師父:今、脱党する人数はどのくらいでしょうか? 皆さんから真相を聞いた人の数はほとんど脱党の人数と同じです。しかし、脱党したからといって、大法弟子を迫害することをしなくなるとは限りません。一部の人は内心から脱党しました。しかし、どんなことがあっても、この意思表示をしたなら、神はこれらの問題を対処してくれます。今、1億3千万人の中国人が脱党しました。中共邪党の党員はこれほど多くいませんが、党や青年団、少年隊を離脱した人や定年退職した人も含まれているからです。

弟子:以前国内にいた時、真相を伝えることと個人修煉が両方、しっかりできなかったのです。海外に来てこの数年、いつも以前真相を伝えなかった人のことを思い出し、この心残りをやり直したいと思い、帰国して真相を伝えたいのですが、心の中でいつも「恐怖」という二文字が浮かんできます。

師父:修煉の場合、いつも堂々としていれば、妨害はきっと少なくなります。師父がこのように話したから、帰国すればよいということではありません。帰国して捕まったらどうしますか? 私はただ修煉の角度から話しているだけです。心の中で本当に恐れておらず、堂々と行うべきことを行い、堂々と神の道を歩み、恐れる心を無くすべきです。警官も救うことを待っている生命であり、会えば真相を伝えてあげます。このような大法弟子がおり、警官にも敬服されています。安全に気をつけるように、と帰る前に注意してくれます。本当に素晴らしいのです。(拍手)しかし、すでに海外にいるなら、行うべきことをしっかり行えば同じです。

弟子:師父、こんにちは。無条件に協調するという法理について、協調人の言う通りに従えばいいと理解しています。プロジェクトが正念場を迎えたとき協調人が指示を出さなければ、どのように協力すればよいのでしょうか?(皆笑って)

師父:協調人は場合によっていろいろな人の意見を聞いたうえで、良い意見を取るという時があります。しかし、一部の責任者はいつも意見を出さず、自分の考えが全くなく、真剣に取り組もうとせず、これなら本当に失格です。師父はたくさんの大法弟子をあなたに任せ、しっかり導いてほしいと思っています。あなたはこれを必ずやり遂げなければなりません。これは責任です。しっかり行わなければ、自身の修煉と直接関係があります。

弟子:無条件に協調するという法理に、プロジェクトの大事なとき、協調人は今後の方向性を決める勇気を持たなければならないということも含まれているのでしょうか?

師父:もちろんそうです。良い案があれば、どのように実行するのでしょうか?

 神韻を立ち上げた初期の頃、芸術専門の大法弟子も多く、この人は「師父、このようにやるべきです」と言い、あの人は「師父、このようにやるべきです」と言い、それぞれの意見がありました。どれも筋の通る話で、実例をたくさんあげながら話していました。毎日、説得しに来る人がいます。そのとき、「これは私が進めているので、誰が何を言おうと、妨害されません。どのようにすべきか非常にはっきりと分かっています。これが普通のプロジェクトの責任者なら、きっと動揺してしまうでしょう」と思いました。非常にしつこく話す人がおり、なかなか止められません。しかし、一つのプロジェクトの責任者として、はっきりとした自身の方向性を持っていなければ、何もできません。

弟子:今、神韻の財務管理規則を実施していない国があり、師父にこのことについてもう一度お話をいただきたいと思います。

師父:神韻の会議が開かれます。これらのことはしっかり対処すべきです。大法弟子はそもそもこれらのことを軽く見ており、修煉を最も重要なことだと思っています。このことで問題を起こしたら、修煉が難しくなります。旧勢力は必ず仕返しのためにやってきます。しかし、あなたはこの関を乗り越えることができません。くれぐれも問題を起こさないでください。

 条件が整っておらず、または一部の学習者は浮かれて、あるいはほかのプロジェクトは困難に遭い、資金を流用したのであれば、それは大問題です。大法弟子が法を実証したり、プロジェクトを立ち上げるのは自らを圓満成就させているのであって、自分の修煉の道を歩んでいるのです。困難に遭うとき、自分で解決してはじめて関を乗り越えたことになります。そうではありませんか? もし、ほかの人のお金、他人のお金や神韻の資金を流用して進めていれば、それは違ってきます。このプロジェクトをいくら運営してもあなたの威徳はありません。旧勢力は「あなたは師父の法を正すことに手伝っているのか、それとも師父があなたに手伝っているのか」と、このことを見逃さないのです。しかも、誰も知らないままで資金を流用し、または自分のお金にしてしまったなら、それこそ修煉にとって決してしてはいけないことであり、非常に厳粛なことです。ですから、時にくれぐれもこのことで問題を起こさないようにと思っています。師父はこれらのことを必要以上に厳しく指摘しませんし、重くも見ていませんが、このことで問題を起こしたら、長年の修煉が台無しになることを心配しています。旧勢力は古い学習者、新しい学習者、責任者に関係なく、あなたを台無しにしてしまうかもしれません。

 もちろん、実は皆さんは非常にしっかり行なっています。神韻の成功を見て皆喜んでいます。人を救う力が強いので、皆神韻を支援したいと思っています。皆このように考えていると私に分かっています。

弟子:西安の大法弟子は師父にご挨拶を申し上げます。

師父:ありがとうございます。挨拶はもうしなくてよいのです。

弟子:私は台湾大紀元の記者です。今年、わざわざ台湾に来て神韻公演を見た大陸の各界の人に会いました。彼らは感動のほか、偉大で慈悲深い李洪志先生にご挨拶とともに、深く敬意を表したいと言っています。彼らは師父が中国に戻り、神韻芸術団が早く神伝文化の故郷に戻れるよう心から期待しています。

師父:彼らに感謝します。私は神韻公演を大陸で開催したいと思っていますが、(拍手)時間が間に合うかどうかにかかっています。大陸に進出したら、三つの芸術団どころか、四つでも足りません。芸術団のあるメンバーはある日、計算してみましたが、三つの芸術団で中国で公演を行うのであれば、大法弟子向けの公演でも60年間かかってやっと全員見ることができます。(拍手)ですから、観客の数がすごいことになります。もちろん、衆生を救い済度することなので、常人にもっと見てほしいのです。

弟子:中国大陸の北京、天津の大法弟子を代表して師父にご挨拶を申し上げます。師父を奉拝(ほうはい)いたします。

師父:ありがとうございます。挨拶はもうしなくてよいのです。

弟子:(師父:前半の師父への挨拶は省きます。)私は長春の大法弟子です。厳寒でも酷暑でも、風の日にも雨の日にも、正念を発し続けています。迫害が終わらなければ、正念を持ち続け、三つのことをしっかり行います。師父ご安心ください。

師父:ありがとうございます。(拍手)師父の故郷の大法弟子は非常にしっかり行なっています。(拍手)

弟子:(師父:どうしましょうか? また挨拶です。読み上げますか?)遼寧省撫順(ぶじゅん)市新賓(しんひん)県長陵の大法弟子は偉大で慈悲深い師父にご挨拶を申し上げます。

師父:ありがとうございます。

弟子:西側諸国のメディア、人権団体にどのように迫害の真相をより良く伝えることができるのでしょうか?

師父:真相を伝えることはどこでもできます。政府や団体をターゲットにするという考えを持たないでください。多くの場合、この心のせいで道が阻まれました。皆さんが分かっているように、私たちは人を救っています。人の何を救っているのでしょうか? 人の心です。ですから、人の心だけ、個人だけを相手にすればよいのであって、団体を対象にしないでください。どうしてもこの団体に真相を伝えたいのであれば、行なってもよいのですが、人を救うことに実際の効果を収めたければ、誰に真相を伝えてもよいし、どの階級に真相を伝えても問題はありません。衆生は皆、待っています。

弟子:長い間、大法弟子の中に入り交じっているいわゆる学習者がわざとかく乱しています。どのようにそれを暴露しながらも慈悲をもって対処するのかが分かりません。

師父:そうですね。一部の人は大法が素晴らしいと思って大法から離れたくありませんが、修煉せず中でかく乱の作用を働いています。しかし、本人はそれに気づいていません。一部の人心の強い学習者はその人の話を好んで聞いています。一部の人を取り込んで話していますが、いずれも人心に基づく認識であり、法に則っていません。本当にかく乱しています。このような精進しないが、大法が良いと思って離れたくない人はこの千古の機縁とすれ違わないでほしいのです。本当に着実に修煉し、自身に収穫があってはじめて大法弟子の中にいたことが無駄にならないのです。

弟子:大法弟子は自身の修煉がよくできていなければ、いくらたくさんの仕事をしても衆生を救い済度する目的を果たすことができないのでしょうか?

師父:そうではありません。ある道理を思い出させてくれました。一部の人、特に中国大陸にいる多くの人は、「あなたはしっかり行なっていないから、私のことを指摘することができない」と言っています。確かにあなたは良くなってからはじめて私を指摘できる、この話は正しいように聞こえますが、実は正しくありません。完璧な人はいません。この面において欠点がありますが、ほかの面で人より優れているかもしれません。どのような人でも、話したことが正しければ、受け入れるべきです。あなたはこの人を良い人、または悪い人と思ってもこのようにすべきであり、これこそ正しいのです。ですから、自分が修煉の中でしっかり行なっているかどうかに関わらず、真相を伝えることを行うべきです。(拍手)

弟子:河北省唐山市のすべての大法弟子は師父にご挨拶を申し上げます。99年7月20日以来、ずっと全国で最もひどく迫害されている地域の一つで、昨年も二回の大規模な迫害が起こり、衆生に大きな損失をもたらしました。師父にご教示をお願いいたします。

師父:これらのことを言い出すと、たくさんあります。実は中国大陸の各地はこの情況です。先ほど師父が話したように、大法弟子の正念が強ければ、この迫害の中で行いが修煉者の基準に合っており、人心が少なければ、迫害は軽減されます。

 人心が多ければ多いほど厄介なことが多くなります。教訓を汲み取らない人がおり、労働教養所から出てすぐ様々な人心や顕示心が現れ、これで厄介なことが起こります。そうではありませんか? 自分が苦痛に遭うだけでなく、全体の環境にも影響を与えます。ですから、すべての大法弟子がしっかり行うことができれば、皆さんに教えますが、この迫害は続くことができません。とっくに終わっているでしょう。(拍手)

弟子:一部の地区で、ある佛学会の責任者は幾つかの職を兼任しています。大紀元、新唐人、佛学会、真相チーム、事あるごとに彼に指示を仰がなければなりません。

師父:そうですね。一部の地区ではこういう情況です。本当に人手が足りなければ批判する必要はありませんが、幾つかの地区では本当に問題になっています。「代わりの人がいれば、私も神韻に関わりません」と師父さえ思っています。法を実証しているので、どの大法弟子にも自分の道を歩ませ、威徳を与えなければなりません。何でも一手に収めており、やることが多すぎるとしっかり取り組むことができないかもしれません。別の角度から言えば、何かの心があるからこのようにしたのではありませんか? かえって修煉の中の乗り越えていない問題になっています。私は人に任せられます。何でも人に任せられます。もともと人を鍛えるためだったので、なぜ他の人に任せないのでしょうか? 皆修煉者で、法があるのですから、何を恐れるのですか? 私はいかなることも他の人に任せることができます。なぜできないのでしょうか? 師父の本心は皆さんを鍛えるところにあるため、なぜ皆さんに任せないのでしょうか?(拍手)

弟子:黒竜江省の大法弟子は師父を懐かしんでいます。私たちは必ずすべての困難を克服して三つのことをしっかり行います。神韻は師父が自ら指導して世界一のショーまで成長したので、私たちも今のできる最高水準で神韻に対処すべきだと思っています。

師父:神韻のDVDのことですね。大陸の大法弟子は立派に包装したいと思っています。自分の能力と条件を見て行なってください。多くの学習者は経済的にまだ余裕がないので、皆このように行うと、正常な生活に影響しかねません。飲まず食わずでも援助したい学習者がいます。学習者に困難を与えないでください。皆さんが知っているように、神韻と山は一般の学習者からの寄付を断っています。しかし、いつも寄付が送られてくるので、ずっと返金しています。商売をする人や裕福な人の寄付は受け付けますが、普通に働いている人の寄付は断っています。

弟子:大陸のような環境で、どのように理性と恐れる心を区別するのでしょうか?

師父:中国大陸の環境にいて少しの恐れる心もなければ、本当に素晴らしいのです。実はあの恐怖の環境は旧勢力が造ったものであり、大法弟子の現在の情況に応じて造ったのです。あなたに恐れる心がなければ、それらは試練として成り立たないと思っているからです。恐れる心がなければ、それらのやったことは無駄になったのではありませんか? 旧勢力はほかでもなく、あなたに怖く感じさせるのです。この厳しい環境で人を救うことを行う勇気があるかどうかを見ています。それらはこのようにやっています。

 正念の強い学習者は恐れる心が弱く、より堂々と行なっています。恐れる心の強い人は少し劣っています。完全に恐れる心のない人もわずかにいます。環境が比較的良い地区にそういう人が多いのです。邪悪が多く圧力の強い地区ではやはり非常に少ないのです。恐れる心があるからだめだと言っているのではなく、自分の恐れる心を克服し、強い正念を持って三つのことをしっかり行えば、素晴らしいのです。(拍手)こういう情況でも、皆さんが恐れていても、衆生を救い済度するという責任を前にして行い、人を救っていれば、それこそ素晴らしいのです。

弟子:今でもまだ多くの人が救われていないので、師父にもう一度、時間を大切にして真相を伝え脱党を勧める事の重要性についてお話をいただきたいと思います。

師父:この重要性はあまり話さなくても良いと思いますが、人を救うことはあなたの責任であり、すべての大法弟子が必ず行わなければならないことです。修煉が良くできて、毎日本を読んでおり、煉功時間も長く取っているという人がいますが、これは法を正す時期の大法弟子の修煉ではなく、修煉していません。なぜでしょうか? 大法弟子は昔の僧侶ではなく、自身の圓満成就だけを考えているのではありません。大法弟子に使命があるから、「大法弟子」と呼ばれているのです。個人の圓満成就が目的ではなく、あなたはたくさんの生命を圓満成就まで導くのです。ですから、必ず行うべきです。(拍手)

弟子:邪悪な迫害を経験した学習者と海外で長い間、生活している学習者は心の状態が違います。

師父:そうです。大陸からアメリカに来た人は町を歩いて外国の警察を見たら、まだ怖いと思っており、「法輪功」と言うだけでも相手の反応を気にしていると私は気づいています。恐れる心がまだ強いようです。長い間、あの環境で生活し、人間同士の付き合いが正常ではなく、邪党の文化で人間の行為、考え、行動はすべて違っています。

 国外の大法弟子は国外で長期間を過ごしたため、国内の人々が自分と違うのを忘れており、特にここ数年、違いがますます大きくなったので、大陸からの人を見て違和感があります。特に心の中で恐れ、遠回りして話す人を見て、国外の学習者はスパイではないかと疑ってしまいます。本当にこのように思うのです。私はいつも、大陸で長期的に迫害され、長い間党文化の環境にいると、あのようになり、誰にも本音を語れず、これが正常なことではないと彼らに言っています。中国という社会で、人の欠点、弱みを握り、レッテルを貼ったり、批判したりしていますが、海外ではそういうことはなく、人類史上にもそういうことはなく、中共邪党の社会のみこういうことがあるからです。海外で見知らぬ人同士が会うと、家のことなど何もかも相手に喋り、臆することはありません。

 時々、大陸の人は家のことまで喋ってしまう外国人を愚かな人だと思っています。これは人間の正常な行為です。そうではありませんか? 中国人はあの邪党の文化、あの社会、一連の政治運動に翻弄され、絶えず自分を隠しており、何もかも恐れています。この中共邪党は本当にあまりにも邪悪なのです!(拍手)

弟子:イギリスの大法弟子は中国領事館の前で10数年来、平和的に抗議を続けていますが、現在弟子の間で違う認識が出ています。

師父:私が思うには、いずれにせよ、法を実証するときに大法弟子が行なったすべては師父が認めています。領事館の前で座り込み抗議をすることも含まれています。世の人々に知ってもらい、認識してもらい、通行人にこの人たちが迫害されており、邪悪を暴露することを行なっていると伝えるのは、私はとても良いことを行なっていると思い、続けるべきだと思います。(拍手)この事は私は従来から認めているのです。人々にどの国の領事館前にこんなことがあるのかと考えさせます。中共邪党のならず者の政権だけです。私はこの事をかねてから認めています。

弟子:大陸にいたとき、学習者は具合が悪くなったとき、多くの場合、旧勢力の迫害が原因であるため、皆正念で否定し、内に向けて探していました。海外に来て、具合が悪くなると、学習者は業を滅していると言っています。法理からあまり理解できません。

師父:邪悪な環境で、特に中国ではほかの空間の邪悪が多いため、学習者を迫害することがあります。邪悪の要素が海外にすでに多くないため、圧力はありません。現在、業の消去にしても、邪悪の要素による妨害にしても、すべて旧勢力がやったことであり、同じことです。言い方が違うだけです。旧勢力がやったことを私はすべて否定し、認めません。大法弟子が苦しみに耐えるような事はことさらあってはいけません。(拍手)

弟子:私は2010年に法を得て、今日初めて法会に参加しましたが、幸いにも師父にお会いしました。姉と姉の娘の代わりに師父にご挨拶を申し上げます。

師父:ありがとうございます、ありがとうございます。師父は分かっています。

弟子:師父にお聞きしますが、ひどく迫害されている大陸の大法弟子がアメリカに政治亡命の申請を出しましたが、拒否されました。原因は何でしょうか?

師父:二つの原因があります。一つは中国大陸で行うべきだが、まだ行なっていないことがあるかもしれません。または救うべきだが、まだ救っていない人がいるかもしれません。私は法理から話しているだけで、あなたのことを言っているのではありません。もう一つですが、皆さんが分かっているように、アメリカの移民審査官は質問するとき、非常に直接的に聞いてきますが、私たち中国人はいつも直接的に話をしていません。大陸で話せば、「こういうことだ」と皆分かりますが、西洋社会の人には、思考様式が違うためいつも話が通じません。ですから、時々移民審査官は「なぜ私の質問に直接答えないのか」と怒っています。あなたがはっきりと答えていないため、嘘をついていると思っています。実はそうではありません。話し方の問題であり、考えや認識、思考様式の問題なのです。確かに違いがあります。できるだけ直接返事をしてください。もちろん、もう一つの原因も非常に大事です。つまり個人の修煉状態の問題です。

弟子:メディアは常人を雇い具体的な業務に従事してもらいますが、大法弟子が資源を共有することで生まれた良いアイディアが常人社会に漏れてしまうのではありませんか?

師父:もし、メディア自身の広告営業の力が弱いため、常人を雇用してマーケティングを担当してもらうのであれば、これはあまり問題ありません。しかし、ほかのことなら、同じオフィスにいるのであれば、大きな問題になるかもしれません。多くの人はその人を大法弟子だと見なし、気にせず話していれば、当然理解に違いが生じます。この人の背景に問題があれば、もっと厄介なことになります。邪党は法輪功のいかなることも情報として扱っているからです。ですから、これらのことは対処しにくいのです。一般常人を雇うなら、同じ場所で仕事をせず、場所を分ければいいのです。こうすれば、大法弟子はこの人が常人、この人が大法弟子だと区別できます。でなければ、混同してしまいます。

弟子:私は東北出身の大法弟子です。今、大陸の刑務所や労働教養所でまだたくさんの大法弟子が迫害されています。私たちはどのようにすればより良く学習者を救出することができるのでしょうか?

師父:それぞれ自分の修煉の道があります。大法弟子として、ほかの学習者の迫害を軽減してあげると考えるのは当然のことですが、具体的にどのように行うのかは、修煉の角度からその人の修煉状態を見るべきです。状態が良ければ助けやすいのですが、状態が悪ければ難しくなります。皆さんが力の及ぶ限り行うべきことを行うようにと言うしかありません。実は全世界の大法弟子がこのことを行なっており、邪悪を暴露し抑制しています。

弟子:大法弟子はどのように社会のメディアを善用するのでしょうか?

師父:常人のメディアを善用ですか? このように話しましょう。大法弟子のことはつまり私たち自身のことであり、自分で取り組むべきです。常人メディアがそれを行なってしまえば、威徳があまりに大きいのです。皆さんが分かっているように、非常に影響力の大きい新聞がありますが、ある新聞は法輪功を迫害する真相を伝え、詳細を全部報じ、非常にはっきりと説明していれば、皆さんはこれが良いことだと思います。多くの人はこれが本当に良いことだと思いますが、旧勢力は絶対これを承知しません。なぜなら、旧勢力が按排した環境を破壊したからです。旧勢力はいわゆる大法弟子を試す環境が破壊されたと思い、絶対承知しないのです。ですから、ここ数年来、常人メディアはずっと報道していません。これらのことは私は以前から分かっているので、このように行うようにと皆さんに教えませんでした。働きかければ、マイナスの報道が出ます。

 もちろん、神韻を見たメディアの記者がいて、または大法弟子に接触して真相を聞いた記者なら違います。時に、何かを報じてくれます。これはもちろん良いことで、素晴らしいのです。この人が本当に素晴らしいとしか言えません。自分の生命のために未来を選択したのです。このように言うしかありません。広範にわたる報道、または大きい紙面を割いた報道はここ数年、まだありません。皆さんができないのではなく、師父が皆さんに働きかけないよう止めているわけではありません。旧勢力が常人社会を抑制しているからです。

弟子:香港で最近、邪悪な妨害が起きていますが、香港の大多数の大法弟子の人心がもたらしたことでしょうか? それともほかの原因があるのでしょうか?

師父:問題が現れたとき、お互いに責め合わないでください。皆冷静に考えてください。香港は邪党の最前線であり、目と鼻の先なのです。香港で邪悪が暴露されていることに邪党は恨みをたぎらせています。邪悪なことをしないほうが不自然です。しかし、大法弟子は素晴らしいのです。ここ数年、一貫してしっかり行なっています。あの情況下で力強く邪悪を暴露してきました。いくら恨んでも仕方がありません。最後のあがきで、「一国二制度」もお構いなく、面子も気にせずにやっています。世の人も理性を失った邪党の卑劣な暴れを目にしました。

 この時、皆さんは冷静で理性的に行うべきです。ここは当初、大法弟子が真相を伝えると按排された場所なので、暴れても長く続くのでしょうか? 続きません。旧勢力も人心を目がけてやっています。一人の人に問題があれば、個人の修煉のことですが、修煉の中でたくさんの人に問題があれば、形勢に問題が現れます。ですから、皆さんは何かに遭うとき冷静でなければなりません。師父はずっとこのことに注目しています。私は大法弟子の心、一人ひとりどのように対処しているのかも見ています。

弟子:偽の経文を広めている人がいますが、どのように対処すべきでしょうか?

師父:個人としては聞かず読まずでよいのです。偽の経文だと分かっており、明慧ネットもこの問題について何度か記事を掲載し、言及したことがあるのに、なぜまだ影響されるのでしょうか?

 皆さん考えてください。学習者の中でこれらのことが現れたのはなぜでしょうか? うわさ話を聞きたい人がいるからではありませんか? これは人心の執着です。これらの人心に対して、旧勢力は大きな失敗を経験させなければ、改めず、この心を取り除くことができないため、このことで大きな挫折を経験させようと思っています。ですから、一部の人が噂を広めるようになりました。噂を広める人自身も噂に興味があるから、このようにしたのです。

 失敗した人がいるのではありませんか? 何年も立ち直れず、やっと分かるようになり悔しくてたまりません。師父はこれらのことを認めませんが、あなたが邪悪に弱みを握られたから、邪悪はこのようにできたのです。この執着を早く放棄できたら、この損失もありませんでした。これほど大きな集団で修煉する場合は特にそうです。以前、人間が修煉していたとき、修煉が成就できるよう、それぞれの人心に対してそれを取り除く異なる方法が取られていました。大法弟子に漏れがあれば、邪悪はあなたの人心に対して問題を起こします。時々、邪悪はあなたが恐れていることを起こし、あなたが思っていることを起こしてしまうことがあります。

弟子:精進しておらず、または落ちてしまった弟子が戻ってこられるようにするにはどうしたら良いのでしょうか?

師父:法を勉強していない人と見なし、真相を伝えればよいのです。いざ落ちてしまえば、「論語」も暗唱できず、大法の本にある内容も思い出せません。本当に戻りたければ、最初から勉強し、最初からやり直すべきです。

弟子:字の修正を重視していない弟子がいますが、後世の人にこのような本を残してもいいのでしょうか?

師父:後世の人のことは師父が行いますが、大法弟子は行うべきことをしっかり行うべきです。

弟子:一部の大陸から来た学習者は非常に頑張っていますが、個人の認識に執着しています。

師父:そうですね。大陸の迫害はなぜそれほど深刻なのでしょうか? 原因の一つは人心があまりに強い人がいるからです。私はすでに話しましたが、集団で何かをするとき、完璧な意見はありません。社会は千変万化しており、形勢も変化しています。人間社会も今日はこれ、明日はあれと流行が変わっています。これは動的な社会であり、自分の意見の素晴らしさを求めないでください。このことを完成させることができれば、皆で努力して行えばよいのです。ある面が十分ではないと気づいたら、それを改善すればよいのです。これこそ素晴らしいことで、神の望むことであり、修煉者として行うべきことでもあります。(拍手)逆に争ってこの意見、または誰それの意見が完璧で素晴らしいと評価されたいのであれば、これはまさしく神が反対していることです。師父もこのようになってほしくありません。しかも、旧勢力は完璧でなければないほど良いと思っており、実行してみれば間違いが多く、それを補うことができる人こそ素晴らしいのであって、皆に共に修煉する機会を与えたと思っています。旧勢力はこのように見ています。

弟子:フルタイムでメディアに勤務する学習者がおり、生計を立てられません。少し手当を出しているメディアがありますが、お金は学習者の寄付金でまかなっています。手当は師父が説いた給料を支払うべきだとの法に抵触していると思って、メディアを辞め、常人の仕事につき、他の真相を伝えるプロジェクトに参加しました。私にも手当の問題があります。どのように認識すればよいのでしょうか?

師父:メディアが手当を支給するのは私が同意したことです。できるだけ早くメディアを軌道に乗せるには、あなたに収入がないといけません。フルタイムで取り組まなければなりません。初期の段階ではこのように行なってよいのです。例えば、新唐人は今、最初からやり直していますが、この期間中、この情況下では大丈夫です。しかし、長くは続けません。現在の責任者もこのことを長引かせません。

弟子:国内の古い学習者は時間が経つにつれ、精進しなくなり、修煉を止めた人さえいます。どのようにすれば良いのでしょうか?

師父:修煉について、皆さんは分かっていませんが、旧勢力はほかでもなく、精進しないだめな人をふるい落とそうとしています。昔、修煉は金をふるい分けることだと言っていました。砂を流して残ったのが金なのです。大波で砂を落とすという言葉があるのではありませんか? 強い風、大波で落とされたのは全部、砂であり、残ったのは金なのです。

 実は衆生が皆、この歴史時期に自分の生命に対して肝心な選択をすべきだと思っています。修煉を止めたくなったら、自由にさせればいいのです。正法修煉は人を無理強いしてやらせるものではありません。人間の心が動かなければ、修煉者の中に入っても偽物です。ですから、従来から修煉すれば師父である私は面倒を見てあげますが、修煉しなければ止めても構わないと思っています。人心が動かなければ意味がありません。

弟子:邪党は大法弟子に対して、労働教養処分を減らし、実刑判決や重い判決を増やしていますが、邪悪が再び台頭したのでしょうか?

師父:形は変わりましたが中身は変わっていません。邪悪は手口を使い果たし、数々の邪悪を人々に見せ、人心にも試練を与えました。

弟子:師父は数年前、説法で海外の大法弟子は中国に帰らないようにとおっしゃいましたが、今は帰っても大丈夫でしょうか?

師父:あなたが邪悪のブラックリストに載っていれば、帰ると必ず邪悪は訪ねてきます。あなたを帰国させるのは二つの目的があります。一つはいわゆる情報を得ることです。もう一つはあなたをスパイにすることです。でなければ、あなたを帰国させないのです。ですから、帰国してまた戻ってきた人はほかの学習者に信頼されなくなりました。「あなたが国内で何をしたか分からない」と皆さんは思っているからです。誰もがこのように考えるため、わざわざ厄介なことをするまでもないでしょう。

弟子:最近、極めて邪悪な労働教養所が報道され、常人も本を出版し労働教養所の邪悪さを暴露しています。また、労働教養所で迫害されていた大陸の学習者を取材したい常人と常人のメディアがあります。一部の大陸の学習者は公に邪悪を暴露しようとしています。師父にお伺いしますが、今は妥当でしょうか?

師父:もちろん、妥当です。暴露の良いタイミングではありませんか?(拍手)中国大陸以外の学習者は力を入れて行なってよいのです。大陸の学習者は安全に気をつけてください。私は従来からこの迫害を認めておらず、旧勢力のやり方をも認めていません。しかも、永遠に認めません。(拍手)

弟子:明慧ネットは連続して法を乱してはいけないとの記事を掲載しましたが、一部の大陸の学習者はまだ目覚めようとしません。

師父:そうですね。邪悪にコントロールされ、明慧ネットにも反対しています。私はなぜ明慧ネットで情報を発表しているのか知っていますか? 明慧ネットが信頼できるもので、大法弟子の交流の場だと皆さんに教えるためです。ほかの角度から言えば、師父が明慧ネットを守っているので、大きな問題が起きません。

弟子:一部の大陸の学習者は外で集団煉功し、連行されましたが、積極的に真相を伝えようとしません。

師父:真相を伝えず、これらの問題を解決しないのは間違っています。条件が整った一部の地区の学習者は外で煉功しても妨害されませんが、ほかの地区は盲目的に真似しないでください。邪悪がまだはびこっている場合、このようにしないでください。損失をもたらすからです。

弟子:明慧ネットで厳正に声明を発表した大法弟子は50万人近くしかいません。以前間違いを起こしたがまだ外に出ていない学習者がたくさんいるのでしょうか? どのように彼らを助けるのでしょうか?

師父:大法弟子として行うべきことをしっかり行えばよいのです。以前の学習者がいざ本当に落ちてしまえば、常人に真相を伝えるように対処すればよいのです。彼を学習者として対処しないでください。相手が自分と同じように認識していると思っていれば、それは間違いです。いざ落ちてしまえば、常人と同じようになるため、常人に真相を伝えるのと同じように彼に伝えるべきです。以前、皆さんに話したことがありますが、修煉を止めた人は記憶にある法が全部消されるため、何も覚えていません。修煉したければ、最初から修め、最初からやり直さなければなりません。

弟子:読まれた質問のほか、事務局に各地の学習者から数多くの質問が届いています。後ほど師父にお渡しします。

師父:これは事務局からのメモです。事務局はたくさんの師父に挨拶するメモをまとめました。読み上げましょう。山西省太原、北京、湖南省株洲(しゅしゅう)、四川省成都、黒竜江省鶏西、南陽、福山区、河北省保定、山西、玉山、深セン、広西省柳州、石家荘(せっかそう)、盤錦(ばんきん)、マカオ、済南、河北省唐山、山東省聊城(りょうじょう)、瀋陽、安徽、陝西(せんせい)、雲南、蘇州、長春、黒竜江、凌源、イ坊、牡丹江、内モンゴル赤峰、山東、雲南、湖南省平江(へいこう)、河北省平山、承徳、湖北省武漢、上海、山西省晋中、楡次(ゆじ)、広州、湖南、北京航天部、武漢市洪山区、湖北省黄岡(こうこう)市、武穴市、麻城市、黄石市、キ水市、新疆、河北省廊坊、浙江、攀枝花(はんしか)市、四川省楽山、北京の各大学、短大、江蘇、遼寧、福建、大連、天津、河南、大同、四川省徳陽、張家口、甘粛のすべての大法弟子が師父にご挨拶を申し上げます。(拍手)

師父:ありがとうございます(拍手)。まだあります。事務局が挨拶のメモをまとめました。ほかにもあります。日本、アメリカ・ロサンゼルス、オーストラリア、ルーマニア、オランダ、ノルウェー、ハワイ、バンクーバー、イラン、ドバイ、ニュージーランド、ベトナム、韓国、イタリア、フランス、イギリス、スペイン、マレーシア、シドニー、台湾、アメリカ・カリフォルニア州サンフランシスコ、ニューヨークのすべての大法弟子が師父にご挨拶を申し上げます。ありがとうございます。(拍手)

 ここまでにしましょう。今日、8千人あまりが交流会に参加し、皆が質問を出したら時間がありません。いずれにせよ、先ほど回答した幾つかの質問は普遍性があるかもしれないので、皆さんが収穫を得られるよう期待しています。毎回の法会のとき、時間があれば、師父はこのようにし、できるだけ皆さんに多くの質問に答えたいと思っています。しかし、いずれにせよ、私がいくら話しても、実践の中で皆さんが行い、修めなければなりません。師父は指導の役割を果たすしかありません。もちろん修煉は「修は己にありて、功は師父にあり」、これは間違いのないことです。しかし、本当に問題に遭い、常人の中で千変万化したこれらのことに遭ったとき、自分で対処しなければなりません。

 このくらいにしましょう。皆さんが最後の道をしっかり歩むことを期待しています。時間は本当に長くありません。いつ終わってもおかしくありません。次の段階もいつ始まってもおかしくありません。皆さん、ありがとうございました。(弟子の皆さんが起立し、長時間の熱烈な拍手)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/5/28/274618.html)