幾ら忙しくても、衆生を救う時間はある
■ 印刷版
 

文/湖南省の大法弟子・白雲による口述 同修整理

 【明慧日本2013年7月7日】十数年前、私は末期癌と診断され、病院で死を告知されました。当時の私は痩せて、体重は僅か29キロでした。その後ある同僚が見舞いに来て、私に法輪大法を紹介し、当日に私を近くの煉功点に連れて行って、皆と一緒に師父の説法ビデオを見ました。見た直後、私は全身の軽さと心地よさを味わい、翌日、同修は私に功法を教え、グループ学法と煉功の場所も教えてくれました。

 一、大法を得て、新生を得る

 その後、私は継続して早朝のグループ煉功と夜のグループ学法に参加し、知らないうちに以前の病気が全て消えて、食事の量が増え、体重も増加し、放射線治療で消えた髪の毛もどんどん生えて、血色も良くなってきました。これが私の2回目の生命で、修煉の為に与えられた命だと分かり、時々刻々、修煉者の状態を保ち、少しも気を緩めてはいけないと思いました。

 病魔から逃れた後、私は商売を始めました。商売の世界は戦場だとよく言われていますが、仕事が幾ら忙しくても私は常に修煉を第一に考えていました。仕事の特性により、1日24時間のうち、14~15時間を店内に費やさなければならず、家に帰っても家事をしなければなりません。そのため、私は大法の本を店内に置き、時間がある度に本を読み、時々本に集中するあまり、お客さんが来ても気づきませんでした。深夜近くに仕事を終えて帰宅したとき、家族はもう休んでいるので、彼らの睡眠を邪魔しないよう、私は懐中電灯を持って布団の中に潜り込んで学法しました。通常は深夜の1時に寝ますが、時には2時、3時に休みます。そして朝の5時50分に起きて発正念し、その後、五式の功法を煉功し、朝食を取ってから急いで店に向かい、また、忙しい新たな一日をスタートします。

 二、幾ら忙しくても、衆生を救う時間がある

 私たちの所は比較的閉鎖的な町でして、私が法を得て間もない頃、邪悪による迫害が始まりました。当時この近くの県・市の同修たちは真相資料を作る条件がなく、全ての真相資料は他省の同修に頼って遠いところから手配して貰うようにしていました。

 そのような状況の下、私の店舗は自然に資料の連絡点となり、大量の資料が私のところに送られ、それを配布していきました。時には十数パックの資料が送られ、迅速に周辺の各県市に配って行かなければなりません。昼間、私は忙しい仕事に専念し、夜になるとリュックを背負って、車に乗って周辺の県市に行って各地の同修に資料を渡し、時には各地の県庁に行って資料を配ったりもしました。行き先は家から数十キロ離れて、時には一晩中資料を配り、翌朝家に寄らずそのまま店に戻って仕事をスタートしました。一日中休まなくても、資料を配って店に帰ると全然疲れを感じず、精力旺盛で、使いきれない力があるような感じでした。

 そのような赤色恐怖の雰囲気の中、家族に心配させないよう、私は出来るだけ家族に知られないよう法を実証することを行いました。当時、私の主人はタクシー運転手を務めていて、ある日の夜、私は資料を配ってから家に向かう途中、遠くから彼の車が見えました。私は急いで隠れようとしましたが、周辺には荒涼な墓地以外に何も無く、仕方なくその中に身を潜め、彼の車が通ってから出てきました。しかし当時、少しも怖く感じませんでした。

 暫くしてから、邪悪は私の店に目をつけました。私は不当に連行され、その間様々な野蛮な事をされ、例えば罵り、侮辱、攻撃、睡眠妨害などです。私は大法と師父を堅く信じ、その後邪悪は私から得ようとするものを何も得られないことに気づき、やっと家族に私を家に連れて帰らせました。

 前から、私は店がそれほど忙しくなく、三つのことを実行する時間がもっとあればとずっと願っていました。段々と、店は本当にそれほど気が取られないようになり、私はこのことを通じで正念の力を実感しました。私達の念が法理に沿い、衆生を救う為であれば、師父はそのような条件を整えて下さいます。

 2005年、法を正す進展が新たな段階に入り、このとき、我が家に2人の党員と1人の団員がいました。私は彼らが食後に雑談をしている時間を利用し、三退を勧め、彼らは即座に団と党から離脱しました。その後、私は毎日外に出て、通行人に真相を伝え、真相チラシを配り、三退を勧め、夜になると子供を連れて公園で真相を伝えていました。

 時には予期せぬ反応を見せる人にも出会います。ある日、私は公園で真相を伝え、口を開いた途端、数人の女の子達は大声で騒ぎ、周囲の人々に私が法輪功を宣伝しているから、聞かずに早く離れるようにと言いました。彼女達が離れた後も、私の周辺で多くの人が真相を聞いていました。約一時間後、私は公園の向こう側で再び先の女の子達に遭遇しました。大声を出していた女の子に近づき、私は言いました。「お姉さん、少し話をしませんか?」彼女は驚いて「何を言いたいのですか?」と聞いてきました。私はこう言いました。「お姉さん、今の世の中、いい人になったほうがいいですか? それとも悪い人になったほうがいいですか?」彼女はすぐに、「勿論良い人ですよ」と答えました。それから私は自分の「真、善、忍」に対する認識や「いかに良い人になり、いいことをするのか」について彼女に説明しました。私達の距離が一気に縮まった気がしました。私は続けて、邪党のしてきた悪事を彼女に列挙し、市民が上訴しようとしても頼れるものがなく、却って投獄されてしまうことや、邪党が権力を駆使して善を修める法輪功修煉者に対して行ってきた迫害に言及し、今の党の為に頑張っても意味がなく、自分の健康と平安が何よりだとの道理を彼女に教えました。最後に彼女は感動を受け、本当に今の党は何の役にも立たず、自分は団から離脱すると言いました。そして彼女は、これから「真、善、忍」に沿って良い人になると言い、別れる前にお守りと数枚の真相CDも持っていきました。

 数日前、私が公園で真相資料を配っているとき、退職した会社社長に出会いました。彼は数日前から私をずっと探していたと言い、上層部から法輪功の人員状況を上へ報告するようにと言われたそうです。私はこのチャンスを掴み、彼に私が工場で仕事をしていた時、法輪功を煉功して健康になったこと、そして自分の現状を説明し、今の社会の現実問題についても彼と会話を交わしました。彼は即座に大法に理解を示し、お守りも持って帰りました。

 三、家庭内の平安に気を配り、常に修煉者の心構えを保つ

 私の主人は荒っぽい性格の持ち主で、一言が気に入らなければ一秒以内に怒り出し、姑も私のことが気に入らず、ほぼ毎日、私の家の窓際で私に罵声を上げていました。

 修煉後、私はその全てが、私が生まれ変わる度に作った業だと知り、同時に忍が試されている要素もあると思い、これらのことを気にせず、家庭の平安を保つよう努力しました。姑は晩年、癌だと診断され、余命は一カ月しかないと言われました。彼女は子供達の面倒見が気に入らず、夫は彼女を家に招きました。私は毎日心を尽くして彼女の面倒を見続け、彼女は感動し、最後にこう言ってくれました。「やはり法輪功修煉者は良い人だね! 以前は悪かった。ごめんなさい!」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/6/27/275779.html)
 
関連文章