2009年に修煉を始め 大法を信じて揺るがず
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014年3月3日】2009年5月、私は試験に合格して、市のあるコミュニティの職員になりました。その1カ月後、私は幸運にも大法修煉の道を歩み始めました。

 修煉に入る過程は、簡単なようで簡単ではありませんでした。2003年、私は初めてネット封鎖を突破するソフトが付いている一通の真相メールを受け取りました。その後の6年間、私は絶えず壁を乗り越えて真相を探し、絶えず考え、絶えず試みました。2009年5月9日、ついに、自分が敬服している新唐人テレビの報道陣の叡智、慈悲と博大な心は、実は彼らが大法修煉と直接或いは根本的に繋がっていることに突然気づきました。彼らのような人になりたければ、当然、法輪大法の修煉の道を歩まなければならないと思い、大法の修煉をしたいという固い一念が生まれました。そして、私は大法修煉の道を歩み始めました。

 最初の20カ月、私はかなり精進しました。前半の10カ月は個人修煉の段階で、師父は私の精進する心を見られて、障害物を一掃してくださり、私が毎日十数時間たっぷりと大法に溶け込めるように按排してくださいました。毎日、法を学び、同修の交流文章を読み、大法弟子が作った音楽を聴き、神韻DVDを鑑賞し、煉功し、家族に真相を伝えました。その後、発正念もするようになり、ネットで真相メールを送るようにもなりました。10カ月の間、私は毎日大法によって啓発され、同修達の無私無我の境界に心を打たれ、明慧ネットの純正な場の中で、ロケットに搭乗したように自分を高めました。

 後半の10カ月、私は法を正す期間の修煉に移行しました。もともと周囲の同修たちに出会って、彼らと一緒に法を実証するようにと、師父の法身が按排してくださるのを待とうと思いました。しかし、私は人心が多く、業力も大きかったため、隔たりを突破できませんでした。当時、学法し、また同修の交流文章を読んで、自分はただ待つという依存心を放下すべきだと悟り、同時に自己を実証したいという名を求める心と仕事をする心が強く、私は進んで次々と真相を伝え、人を救う活動を始めました。私は真相手紙、小冊子、宣伝チラシ、シール、真相紙幣を編集、印刷、製本し、また真相の電話を掛けたり、携帯電話で真相メールを送ったり、神韻DVDを制作し、郵送したりしました。さらに、私は光栄にも第七回大陸法会にも参加しました。

 労働教養所で迫害に反対する

 長期にわたる強烈な顕示心と仕事をする心が取り除けないため、真相伝えの量を自分を実証する財産とし、大法修煉を通して、自分を証明したいという根本的な執着心に気づきませんでした。2011年旧正月前、私は焦る気持ちで職場の同僚に神韻DVDを配り、衆生を済度する神聖な使命を仕事として捉えました。当時、地元の書記で610の責任者が町会事務所に私を通報し、町会事務所と610責任者が私と話をしました。その時、自分はとても穏やかな態度で話をしたつもりでしたが、今から考えれば、非常に強い闘争心を持って、彼らに『中国共産党についての九つの論評』について話し、共産党の邪悪と大法の素晴らしさを話しました。私には正念が十分ありましたが、気付かない人心が多く、その上、私が身を置いたのは邪悪の巣窟で、邪悪の気勢が強いところでした。町会事務所と610弁公室の責任者が私の確固たる信念を90点と評価した後、私は警官に留置場に連行され、2カ月後、労働教養所に移送されました。

 労働教養所の2年間は私にとって心に深く刻みつけられました。私はとても重い人心、例えば闘争心、顕示心、名を求める心、嫉妬心を持って迫害に反対しました。結局、実修が足りないため、私は広い知識を持って、いろいろな角度から真相を説明することができても、本当に衆生を救うことは難しく、旧勢力が手配した2年間の労働教養所での迫害を打破することができませんでした。

 2年の間、私は心を静めて内に向けて探し、山積みのような自己を実証する心を見つけました。自分の行為がその心に制御されているにも関わらず、私の主意識はそれに気づきませんでした。私は自己を放下できず、慈悲の心が生まれないことに苦しみました。その時、私が暗唱できた法は『洪吟』の20の詩、『洪吟二』、『論語』、『境界』、『感慨』などで、『轉法輪』を読むとすぐ眠くなり、しかも、眠くてどうしょうもなく、本すらしっかりと持てませんでした。その結果、20カ月の修煉の過程においては、『轉法輪』を何度も読んでおらず、ほぼ師父の広州、大連と済南での説法を聞くことに頼っていました。当然、『轉法輪』は全く暗唱できません。労働教養所にいる2年の間、私は師父と大法を固く信じ、邪悪がいくらデマを飛ばして罪に陥れ、洗脳し、強制的に「転向」させようとしても、私は師と法に対する固い信仰によって、師父のご加護のもとで歩んできました。しかし、邪悪の隔たりを突破することができず、2年の間、ずっと重点人物として独房に閉じ込められ、同修に接することもなく、『轉法輪』とその他の経文も学ばず、毎日、邪悪な環境の中で状況を転換させることができず、邪悪な手配を打破することもできず、自分を高めることも、身の回りの衆生も救えないままでした。私の心の苦しみは師父だけが知っておられました。

 私は闘争心、怨む心を持って迫害に反対しましたが、慈悲なる師父は相変わらず私を時々刻々に護り、加持してくださいました。労働教養所の2年間に多くの神秘的なことが起きました。

 最初の頃、邪悪は家族と連絡を取らせなかったため、外部との連絡は完全に断ち切られていました。邪悪は家族を迫害、脅迫し、資料拠点を破壊しながら、一方で、あらゆる手段を使って私を強制的に洗脳し「転向」させようとしましたが、私は修煉前に人生の真の意味について深く考えていたため、彼らがいかなる手段を使っても、全て見破り、正念で厳しくそれを阻止しました。彼らは人格を侮辱したり、強制的に大法を誹謗するビデオと書籍を見せたり、時には偽善的に優しくしたり、親心を利用して私を「転向」させようとしました。また、彼らは強制的に、あるいは騙しの手口で「包挟」を使って、私を「転向」させようとして、時には電気棒や暴力で恐喝もしました。あの頃、私にはいかなる資源もなく、回りにいかなるサポートもありませんでした。毎日、小さな腰掛けに17~18時間じっと座らされ、少し動いても、「包鋏」(監視員)に厳しく叱責、恐喝されました。しかし、私は師と法を固く信じて、師父が私を加持して下さったので、私の記憶力は異常に発達して、言葉の表現力は普段より遥かに優れたものになりました。彼らがどのように誹謗しても、私はすべて簡単に彼らの矛盾点を指摘して、事例を上げて証明しました。私は進化論からストックホルム症候群まで、国内から国外まで、歴史から現実まで、豊富な資料を引用し、事実を挙げ、データを並べ、道理を踏んで話しました。その後、労働教養所は全ての警官と「包鋏」に私との会話を禁止する命令を下しました。それにより、私は毎日動いてはならず、ただ17~18時間、そのまま座っていました。

 このように3カ月間、私をほったらかしたので、私の頭は既に白紙状態になったと思ったのでしょう、何人かの偽善的な警官がいくつかの大法を誹謗するDVDを私に見せようとしました(すべての書籍や資料はすでに私に見せる勇気がなくなり、中のでっち上げた手落ちが見抜かれるのを恐れていた)。彼女たちは優しい声で丁寧に、「あなたは多くの情報を仕入れたいでしょう、実は多くの情報をあなたはまだ知らないのです。あなたは見たいですか」と言いました。私は心の中で「法を実証する機会がやってきた」と思って、「いいですよ」と言いました。当時、彼らは私1人を大隊の上の階の空き室に閉じ込め、2人の「包鋏」を使って私を監視していました。彼らは私に師父を誹謗するDVDと天安門焼身自殺などの数枚のDVDと調査データなどのDVDを放映しました。私は一心不乱に見て、ひそかに中のすべての捏造したもの、常識、人情と道理と法律に反している詳細な部分を全部しっかり覚えました。彼女たちが「転向」の効果を見ようとした時、私は彼らに「感想」を書きたいと言いました。それから、私は詳しくそのDVDの中の手落ちを述べ、社会常識、医学常識、物理常識、また基本的な事実に反していること、またDVDのなかの矛盾を指摘しました。警官はそれを読んだ後、呆れて放心状態になりました。彼は外に行ったり来たりして、対策を考えていました。約1時間後に、護衛隊の2人の背の高い男性の警官が電気棒を持って上がって来て、有無を言わさず放電を始めました。「包挟」の2人は怯えて体が震えていました。

 私は心の中で笑いました。あの時は恐れる心がありましたが、私はやはり彼らを見破りました。某党の文武両手の統治はやはり適中でした。文の一手で人をだまして突き破られたら、今度は武の一手でやってくるのです。私は黙って声を出さず自分の恐れる心を一掃するよう発正念をしました。慈悲なる師父は弟子を加持して下さり、警官がいくら凶悪でも、再び放電する勇気はありませんでした。その後、全ての警官は私に対する「転向」作業を放棄するように求めたそうです。彼らは毎日私を大隊の上の階の空き室に閉じ込めて、監視しているだけでした。警官達は退屈そうで、眠くて、「これがいつまで続くのだろう」とため息をつきました。一部の警官はこのままでは諦めきれず、また次々と私に『感動する中国』とか、中国共産党90周年記念の祝賀ドキュメンタリー映画を放映しました。私と「包鋏」は「興味津々」にそれらを見ましたが、帰ってから、私は寝るときに彼女たちとその内容を討論して、真相を伝えました。私を監視する「包鋏」はほぼ真相が分かり、何人かの人はその場で三退しました。

 労働教養所で、邪悪は悪人を使って、私を多く迫害しました。たとえば、前半では、私の法に対する信念を試すため、できる限り私の睡眠時間を減らし、1日に4時間しか睡眠時間をくれませんでした。後期になると、強制的に毎日9時間以上睡眠時間を取らせ、私の安逸心を使って落とそうとしました。また、食事の量を減らしたり、真夏に風の通らない密室に閉じ込めたり、400ミリリットルの水を飲ませなかったり、冬は私に多くの水を飲ませて、トイレに行かせなかったりしました。また、夏の20数日の間シャワーを浴びさせず、夜、顔を洗う時、体を拭かせず、シャワーを使うときも、夜中12時後に便所の中の僅かな水で洗うだけでした。また座っているだけで、立たせないとか、動かさないとか、とても大変な姿勢で1日座らせるとか、目を閉じてはいけないとか、自分の衣服を洗う以外、なにもさせてもらえず、食事も人に運んでもらい、皿も人に洗わせ、倉庫のドアを人に開けさせ、生活用品も人に買ってもらい、1日3食以外いかなるものも買わせませんでした。「包鋏」が私に少し食べ物をくれても処罰されました。最初の9カ月はずっと家族に手紙を書かせず、電話も掛けさせず、字を書いたり、話をする権利すら与えませんでした。日光を浴びさせず、全ての情報から遮断される真空状態でした。また、包挟が私に同情するのを恐れて、彼女たちを脅し、恐喝、利益で誘導して、私との間に隔たりを作りました。

 私は次になにが起きるか全く予測不能な状況の中で、死んでも大法を守ろうという強い信念を持って、一歩一歩歩んで来ました。たくさんの人心がまだありましたが、師父の慈悲なるご加持を容易に感じ取ることができました。たとえば、私が動かず長時間坐っている場合、理屈から言えば、腰がだるくなり体が疲れるのは当然なことですが、法輪が扇風機のように私の腕や足の上で回転し、体中の筋肉がよく自分で動き出し、時には、大きな手が腰を揉んでいるのを感じ、疲れがたちまち消えてなくなり、元気百倍になりました。水を飲めず、喉が渇いて我慢できない時、先に修煉を始めた同修達が自分より何倍も大きな苦難を経験しても、依然として慈悲な態度で衆生に対応していることや、巨大な犠牲を払い、私たちの難を多く引きうけてくださった師父のことを考えると、思わず感激して涙を流し、心の中で大法修煉の固い意志を表したら、直ちに口の中に唾液がたくさん湧いて来て、それを飲み込めば、喉はもう乾かなくなりました。時には、尿を我慢できず気が狂ってしまいそうな時、この極めて苦しい時に、師父が私たちのために引き受けられた苦しみを考え、自分の人身に対する多大な執着を放下しなければならず、修煉を最後まで絶対諦めないという強い正念を発したら、膀胱には尿が直ちになくなり、気持ちは清らかで、息がさわやかになり、元気いっぱいになり、そこに座っていても、疲れもなく、眠気もなくなりました。その上、頭脳が明晰になり、思考力、判断力も鋭くなりました。それに対して、警官と包鋏の疲労状態を見て、心の中で思わず慈悲心が生まれ、涙が止まらなくなりました。警官は私がトイレに行きたくて、我慢できないから泣いたと思い、トイレに行かせました。トイレに行ってしゃがむと、突然強烈に尿が膨張してくると感じました。蚊に刺されたら、それは業を返す良い機会だと思うと、蚊に刺されたところのかゆみは急速に消えてしまいました。長期に渡って座っていたため、私のお尻は化膿しましたが、私はそれを気にせず、結局一晩で化膿した患部が治ってしまいました。

 それ以外に、私はいつも師父が私に灌頂してくださったのを感じました。私は師父が本当にいつも身の回りにいらっしゃると深く体得しました。弟子の身に起きたすべてのこと、迫害及び迫害の具体的な形式も含め、実はすべて弟子の人心から来るものでした。その後、私はおかしいと感じたら、すぐに内に向けて人心を探し、迫害の根っこを見つけ、正念を発してそれを一掃しました。通常の場合、その魔難は全てとても早く消え去るか、あるいは悪人が突然凶悪でなくなってしまうことでした。

 労働教養所にいた2年間、できることはとても限られていました。しかし、私はやはり可能な限り真相を伝えました。例えば手紙、離婚の上訴書、あるいは「感想」を書く機会を利用して、私は真相を伝えました。すべての人と話をするとき、私は必ず話題を真相に導き、大法を誹謗する書籍、資料、DVD、及び共産党を称えるドキュメンタリーと常人が見るテレビについて、見ても、聞いても、私はすべてのヒントを掴んで真相の話題を引き出しました。

 その他、私はまとまった時間、あるいはバラバラの時間を利用して、法を暗唱し、発正念をしました。だから、この2年間は収穫もありました。またいろんな人と事との出会いも私の心を磨きました。法を学ぶこと、煉功することができず、同修と接することはなかったのですが、しかし、私は師父が教えてくださった内に向けて探す法理をしっかり守り、多くの人心を放下しました。たとえば、自分を実証したい心、闘争心、怨む心、歓喜心、安逸心、色欲の心などは全て弱まりました。

 携帯電話で真相を伝える技術を学ぶ

 迫害により、私は家庭と仕事を失いました。労働教養所を出てから、私の当面の急務は仕事を探して自立することでした。ある育成訓練学校が私に営業をして欲しいと言うので、私は行きました。私は真面目に仕事をし、当時、仕事以外の時間を全部三つのことに費やしました。今の心性と技術能力でできることとして、私は携帯電話で真相を伝える事を選びました。

 以前、真相を伝えるための3台の携帯電話は全部夫に捨てられ、また以前の携帯の機種も古くなっていたので、古い機種で真相を伝えるのは現実的でなくなり、その上、新機種で真相を伝える技術はどんどん進歩しているため、私は2台の新機種の携帯を買って、次第に新機種の音声電話とカラーメッセージの技術を習い始めました。

 私は修煉した日から、同修にまだ会ったことがなく、ずっと1人で4年間修煉しました。しかし、私はずっと明慧ネットにしっかりついていたので、天地行の同修は私を大きく助けてくれました。その上、私はもともと技術出身者ですから、技術をマスターするのはとても早いのです、仕事をして1カ月後、私は再び法を正す修煉の大きな流れに溶け込みました。

 携帯電話で真相を伝えるのは最も「安全」だと言われていますが、細部に注意を払わなければなりません。たとえば、家、職場では必ず電源を切り、電話をかけたり、カラーメッセージを送ったりする場合、必ず室外で、しかも同じ場所ではしないようにしなければなりません。真相電話をかける時間は制限があります。それは私が退社後で、一般の人が休むまでの受け取る余裕のある時間帯に電話をしなければなりません。そうすなると、わたしが毎日電話をする時間がとても少なくなります。私はできるだけ、退社後の3~5時間を「ゴールデンタイム」として使い、すべての家事を省きました。私は常人の趣味がなく、生活はきわめて簡単です。しかし、いくら生活が簡単と言っても、ご飯を作ったり、食材を買ったりしなければなりません。私の給料はとても安く、勤務時間は長く、自炊しなければ、外食だけでは高すぎて、真相プロジェクトに投入するお金がなくなります。

 特に携帯電話で真相を伝える場合、投資が大きいのです。こんなに貴重な時間を買い物や食事、洗濯、片付けに費やしてしまえば、本当にもったいないと思いました。どうしたらいいでしょうか? そこで、私は一つの方法を考えました。洗濯と部屋の片付けは朝に一部をして、夜中に帰ってから一部をするようにしました。夜12時に発正念をしてから、食事を作り、1回で2日間の料理を作って、冷蔵庫に入れます。自由市場の時間に間に合わなければ、スーパーマーケットに行って、値引きされた野菜や果物を買えば、自由市場の野菜よりも安く、しかも時間の余裕ができます。買った野菜などを背負って、真相電話をかけながら、発正念もします。こうして、私が家にいる時間をできるだけ短縮しました。しかも、家にいる大部分の時間は二つの携帯に充電し、音声とカラーメッセージを更新したり、技術問題を解決する時間にしました。

 真相電話は、一番いいのは移動中にかけることです。時には大雨が降り、家にいったん帰ってまた出かけると、時間の無駄になりますので、それを避けるため、私は重い野菜を背負って、傘をさしながら何時間も外を歩きます。休みの日には、午前、午後、夜と、休まずに働き、昼ごろと夜間の電話を掛けづらい時間帯だけ、充電と自分の生活問題を済ませるようにしました。夜、宿舎に帰ると、体が疲れて、筋肉痛で大変でした。しかし、心の中では、やはり衆生が救われたことをうれしく思い、煉功をすれば、体も早く回復しました。

 数カ月やって、私の足には二つの厚くて固いタコができました。何足もの新しい靴の靴底には穴が空きました。2万回余り電話を掛けましたが、電話の向こう側には、どんな人もいました。聞いてすぐ切る人、暴言で罵倒する人、人を罵って返信をする人、聞きながら読む人、黙って聴く人、小さい声で三退に賛成する人、また電話を受けて、大声で「私は◯◯と言います、私は共産党、共産主義青年団、少年先鋒隊を退きます」という人もいました。衆生がどんな反応をしても、私は平静に正念を発しながら、命を救う音声が最大の役割を果たせるように願いました。できるだけ多くの衆生に真相に接する機会を与えるため、私は真相電話を受け取った電話番号ファイルをカラーメッセージの受取人の目録の下に移して、一人一人に明慧の真相カラーメッセージを送り、正念を発して、すべてのカラーメッセージが人を救う役割を果たすように加持しました。

 今、電話での真相伝えが進展するに従い、衆生が電話を聴く時間もますます長くなり、聴く人もますます多くなりました。衆生の分かる一面はみんな真相を待っており、救われることを切に期待していると感じます。毎回、電話の向こうの衆生が三退に賛成する応答を聞くと、私は涙を流します。それは衆生が救われて嬉しく思うと同時に、この真相伝えのプロジェクトに力を尽くした同修の慈悲と知恵にも感動しました。また、自分が面と向かって真相を伝えることはまだまだできないことも反省しています。なぜ自分がこの迫害を恐れる心と自己を保護する心が長期にわたって取り除くことができないのか、多くの真相伝えの機会を逃して、多くの時間を無駄にして、安逸を求めている多くの人心を思うと、師父の慈悲なる済度に合わせる顔がない、衆生の期待に合わせる顔がないと思い、涙を流しました。

 私が一人で修めて、なかなか安逸心とのんびりした状態から抜けられないことに悩むとき、また恐れる心、卑屈な心、依存心をなかなか取り除けないことに悩むとき、師父が私を海外に出稼ぎに行くことを按排してくださいました。私はまもなく中国本土を離れます。私はどこへ行っても、どんな方法で真相を伝えても、私は正々堂々とした大法弟子で、自分の体系内の衆生のため、全体と師父が求められた全てを円融するため、私の先史の弘大な願いを達成するため、責任を必ず果たすようにいたします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/2/18/287811.html)
 
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