文/中国の大法弟子 真洁
【明慧日本2014年4月4日】先日、ある同修の文章を読みました。文章にはこう書いてありました。「私は夢を見ました。他の空間の神が大法弟子に質問しました。その中の一つは、『法輪大法の修煉形式は何ですか?』でした。その時、私は『この問題に答えるべきだ』と思いました」
このことについて、いつも一緒に真相を伝えている同修と交流しました。私は彼女に「法輪大法の修煉形式を知っていますか?」と質問しました。彼女は「常人社会の中で修煉することです」と答えました。数日後、私は十数人の同修に同じ質問をしてみました。ある同修は「人を救い済度することです」と答えました。その後、また考え込んで「大道無形です」[1]と言いました。またある同修は『轉法輪』にある「走火入魔」「煉功して魔を招く」「自分の心より魔が生じること」などを答えてくれましたが、多くの人は答えられませんでした。
師父は「法を多く勉強し、法をしっかり勉強」するよう説かれました。私達はどのように法を学んできたのでしょうか? 白い紙に黒い字ではっきりと書いてあるのに、私達は全く頭に入っていなかったのです。私は数カ所かの集団学法に参加したことがあります。ある同修は学法のとき、争って法を読み、少なく読むと、すぐ機嫌が悪くなり、読む量が多いとか、少ないとかで口喧嘩をしてしまった人もいます。このような「学法」は、まったく心性を修めておらず、執着心も放下できていないと思います。そのような学法は師父を悲しませるだけではないでしょうか? 常人でも、学生が卒業後の仕事を探すとき、筆記試験や口述試験、面接といろいろな段階があります。まして私達は神になるのですから、常人のことよりも難しいはずです。
私はこの文章を書きたかったのですが、ずっと書いていませんでした。今日は交流のために書きましたので、同修の皆さんが学法をするときに自覚を持たれるよう、お祈りします。これから、しっかり学法しましょう!
注:
[1] 李洪志師父の経文:『二〇〇五年サンフランシスコ法会での説法』