明慧法会|大法をもって教育し、真相を伝える(二)
■ 印刷版
 

文/東北の大法弟子 常存

 【明慧日本2014年8月8日】(前の文へ

 二、学校の役職評定に心を動じない

 ある日の夜、校長先生が私に電話してきてきました。彼女は、もうすぐ役職評定が始まることと、私の能力をたいへん評価していること、現等級の中で最高得点を取ってほしいので、報告表を書き込む時に年数などを多少長めに書いてもかまわないと言ってくれました。

 役職評定というのは、私の内心の傷です。何回も心が痛くなって、何回も学法を通じて放下しました。今の校長先生は新しく異動してきた人で、私の情況を詳しく知りません。修煉してから10数年の間に、私は何度も利益を他の教師に譲りました。中国の学校では毎年教師の人数枠が決まっているので、人数を超えた時、一部の教師は教壇を降りて学校の雑務をしないといけません。役職評定の際、雑務をした年数は教師歴に入らないので、そのようにした人は当然損をします。私は新人教師に教師枠を1回、担任の枠を2回譲って、年配の教師に教頭の枠を1回譲ったことがあります。また、私の数学の授業の評価が良いため、長年6年生の数学だけを担当させられて、本来、教頭になる能力を持っていた私は、そのようにして長年にわたって一般教師の待遇になり、何の役職もついていませんでした。

 師父は『轉法輪』で、「ですからわれわれは自然に任せるように言っているのです。時に、それが自分のものだと思い、他の人もあなたのものだと言ってくれても、実際はあなたのものではない場合があります。あなたは自分のものだと思い込むかも知れませんが、最後になるとあなたのものでなくなります。その点から、そのことに対してあなたが無頓着でいられるかどうかを見ますが、無頓着でいられなければそれは執着心なので、この方法を用いて利益にこだわる心を取り除かなければならないのです。そういうことです。常人はこの理が悟れないので、利益をめぐって争ったり、闘ったりするわけです」と私たちに説かれましたので、修煉者である私は人と争ったりしません。もしも今の私が何かを「譲って」と言われたら、文句なしに、後悔せずに譲ることを選びます。修煉者として、利益を人に譲るのは大法弟子の本性だからです。

 校長先生は私の報告表を見て、職務の変動がとても多いことを理解できず、私に情況を尋ねました。最後に校長先生は「あなたは雑務も勤めたのですね。しかし、あなたが自分で申告しなければ誰も知らないことなのよ」と言いました。私は「自分の情況を隠すわけにはいかず、本当の情況を報告しないといけません」と答えました。報告が終わって、心の中は本当に広々と明るくなりました。

 校長先生は、私の職務変動が学校側の責任であり、雑務部門にいた数年間を教師歴に入れるべきだと思い、6年生の数学を教えた年数を教頭先生の待遇にすべきだと主張しました。

 そうすると私の点数が高くなるので、同僚たちからは文句が入り乱れ、私が楽に仕事をしたいから担任や教頭の役職を譲った、法輪功をやっているから雑務に降格されたと言いました。これらの現実と噂の前に、私は少しも心を動ぜず、釈明もしたくありませんでした。かえって迷いの中で道理が分からず、これっぽっちの利益のために生きている同僚たちに同情しました。中国の教師は役職評定に縛られて、一生涯それに翻弄される例があまりにも多いのです。一方、学校の管理層も教師の待遇を公平に扱うために多大な圧力を抱えて、悩んでいます。修煉者である私は大法の法理に指導され、師父に面倒を見ていただき、私が得たものは常人が永遠に得られないものです。私は校長先生に「私の事のために尽力してくださってありがとうございます。あなたは新しく来られた人で、今後の仕事の展開も考慮に入れて、私の事で同僚たちとの関係を壊さないでください。難しかったら私の点数を元どおりに減らしてください」と言うと、校長先生は焦って、「あなたほど仕事ができない人でも堂々と私に高い点数をくれと頼んできています。あなたも妥協せずに、頑張りなさい」と言いました。

 採点結果が公表されると、私は教師の中の第1位でした。大法を勉強して何度も人に譲ったために損をしたりしていません。『轉法輪』で言われた「自分のものなら、無くなることはないし、自分のものでなければ無理に争っても得られません」の通りです。おまけに修煉者として執着を取り除き、心性を高める面で、私は多くのものを得ました!

 発正念をする時、自分の体が高くそびえる山のようになり、胸以下は澄みきった水です。たくさんの小さな魚が中で泳いでいますが、魚が私の体に入ったり出たりするのを私は少しも感じません。『精進要旨』「境界に「悪者は嫉妬心によって、私のため、怒りのために、自分が不公平だと言います。善人は慈悲心が常にあり、憎むことなく、恨むことなく、苦をもって楽とするのです。覚者は執着心がまったくなく、幻のために迷っている世人を静かに観ています」とあるのを思い出しました。

 三、肉声で電話をかけて真相を伝え

 私は2008年から携帯電話を使って電話をかけたり真相メッセージを送りました。あの時の電話は番号を一つ一つダイヤルしなければならず、東北の冬はとても寒くて、手が凍えました。イヤホンも普通のもので、うるさい環境では電話が難しいのです。私は携帯をかばんに入れて、時間があればかけていました。

 2011年から、私は携帯で知らない人に電話をかけて真相を伝えることを始めました。大半の学習者は携帯電話で相手に録音を聞かせる形で真相を伝えており、自分の肉声で真相を伝えて三退を勧める人はとても少ないのです。なぜ私がその方法を選んだかといえば、直接電話をすると相手の反応を捉えることができ、相手の疑問に答えて会話することも可能で、相手に録音を聞かせるだけの方法で救えない衆生を救いたいからです。もちろん、始めた当初は恐れる心がありました。自分の肉声が携帯会社に録音されたらどうしよう、電話で居場所を特定されたらどうしよう、うまく相手に話せない場合はどうしようなど、あれこれを心配して圧力を感じていましたが、少しずつ恐れる心を克服しました。

 私は功を急ぐ心を放下して、相手の態度にも影響されずにずっと平穏な心理状態で電話するように努力しました。話したいことを紙に書いて暗記して、この方法は良いだろうと思うと、途中で相手に質問されたら、暗記した内容を引き続き話せなくなった経験もあります。そうすると、私は複数の文言を簡単明瞭にまとめて暗記して、聞き手に合わせて、自然に流暢に話すことができるようになりました。途中で打ち切られても、頭に複数の文言があるから、柔軟に運用して対応できます。

 電話をかける中で、さまざまな人に会いました。ある日、交通係の某警官が電話を受け取って、とても横暴な態度で「どうしてここに電話をかけたのか」と言うので、私は「交通係は市民の安全を守ってくれています。私はあなたの安全を守りたいから電話をしたのです」と言うと、彼の態度はすぐに変わって、「ありがとう」と言ってくれました。時には電話の相手は以前法輪大法を修煉した人で、迫害が始まってからは止めていました。私は昔の同修に修煉を再開するように励まします。時には電話の相手は質素な農民で、学校に行ったことがないのですが「法輪大法は素晴しい」としっかり覚えてくれました。時には電話をすると、一家でマージャンをしていて、一人一人が順番に私の電話を聞いてくれました。時に相手はゲームをしている最中に私からの電話を受け取って、最初はすごい剣幕で罵声を浴びせてきました。「どうして俺のゲームを邪魔したのか」と言うので、私は謝ると、相手の怒りはすぐ収まり、私が「法輪大法は素晴しいと覚えてください」と言うと、快く承諾しました。

 『各地での説法十一』「大法弟子は必ず法を勉強しなければならない」で師父は「皆さんとして、大法弟子は最後になればなるほど、自分の道をしっかり歩み、時間を大切にして自分をしっかり修めるべきです。たくさんの仕事をしましたが、振り返ってみると、すべて人心で行なったのです。人間として人間のことを行ない、正念を用いたのではなく、大法弟子の威徳がありません。言い換えれば、神から見れば、仕事を行ないましたが、それはいい加減に終わらせたのであって、威徳もなければ修煉にもなりませんでした。これでは無駄になったのではありませんか」と説かれました。その部分の言葉を私は何回も読んだことがあり、ほかの説法も毎日学んでいますが、しかし心の中に刻むほど覚えたわけではなくて、試練に遭った時に思い出せませんでした。困難に遭ったら発正念をしますが、しかし自分は正念を保っているかどうかも分かりません。交流原稿を書くことを通じて自分の修煉を振り返ってみると、一部の事は法に従って行ったのですが、一部の事は人心に引っ張られて行ったと改めて分かりました。どうして問題に遭った時に法を踏まえて対処することができなかったかというと、やはり普段から学法が足りず、法理を心の中に刻んでいないからでした。

 今回の交流会を起点にして、今後しっかり法を学んで、法を正す最後の時期にしっかり歩んで行きたいと思います。

 私のためにすべてを耐えて、すべてを按排してくださった師父に感謝します!

 同修たちの助けに感謝します!

 (完)

 (明慧ネット第十回中国大陸大法弟子修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/20/282156.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/12/13/143598.html)
 
関連文章