文/中国の大法弟子
【明慧日本2014年11月11日】数年間、私たちが法を実証することと真相を伝えることの中で、時には人心が現れたことがあります。たとえば、私はどのくらい真相資料を作ったか、またあれこれ、事をやったのか、まるで自分は人に見せるために、物事をやっているかのようです、他人からの褒め言葉を求めている「功名心」「利益心」「歓喜心」「顕示心」が現れていました。
師父と大法は私たちを「法を正す時期の大法弟子」として成就させられます。大法を実証し、真相を伝え、衆生を救い済度することは、大法弟子に神聖で崇高な使命と栄誉を与えてくださいました。これも私たちの億万年の期待と選択です。なので今日、私たちは師父の要求に従って、堅実に法を正すことを行うことは、当たり前なのです。さもなければ、師父の要求を満たしていないことになります、それはいけません。
「当たり前」のことには、何の理由も必要ありません。人の承認も必要ありません、しかも条件がなく、褒賞も気にしません。顕示や歓喜をする価値はありません。それは生命が基本的に備えるべきものです。例をあげましょう。人間は、おなかがすいたら、当たり前のようにご飯を食べます。眠くなったら眠ります。それは当たり前のことなのです、理由もなく、説明する必要もありません。法を正す時期の大法弟子として、私たちは、この万古にも巡り逢えない機縁を更に大切にしなければなりません。三つのことを行わなければなりません。師を手伝い、法を正すことをしなければなりません。
最後に、師父の法でお互いに励まし合いましょう。師父は「大法弟子が現在集団で法を実証することも個人で真相を伝えることも、大法にとって必要なことです。法を正すことにとって必要なことなので、それをしっかり行うべきであり、何も言うことはないのです。」[1]と説かれました。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『二〇〇三年元宵節での説法』
(English: http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2003/6/6/36585.html)