同修のひと言は私を呼び起こした
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文/中国大陸の大法弟子

 【明慧日本2015年2月2日】以下は師が法を正すことを手伝い、家に帰る途中での幾つかのエピソードです。それをもって師尊にご報告し、同修達と交流したいと思います。

 同修の一言は私と妻は呼び覚ました

 1999年7.20、私は大法のために北京へ陳情に行きました。その時、公安局は私を3日間不法に拘禁し、家族から200元を脅して奪い、その後やっと私を釈放しました。

 99年の晩秋、20数人の警官が我が家にやって来て、まるで狼や虎のように家中を徹底的に調べ、そして、再び私を県拘置所に連行し、不法に40数日間拘禁しました。拘置所から出て来ても、警官は妻を騙し、持って来た身元保証人の審判手続きを行うための5000元を盗み取りました。これはもともと収入が少なく生活が苦しい我が家の財政に災難を重ね、幼い子供達の心にも挽回の出来ない危害を与えました。

 拘置所から出て来て、家庭から来る圧力の下、また親戚や友人の説得の中、私と妻は、一度修煉を諦めることになりました。夜、夫婦二人は向かい合って言葉もなく、涙をポロポロ流し、心の中に喪失感と悔しさが入り交じり、本当の孤立無援の辛さをこの身をもって実感しました。妻は元々半身麻痺の持病を持っていましたが、修煉を通して、彼女は健康となりました。法輪大法が健康維持と病気治療における並外れの効果、また、大法の良い人になることの教えは、すでに私と妻の心に中に深く根を下ろしていました。それなのに、私達は重圧に屈して、大法を放棄してしまいました。それからの数日間、夕方になると、私は1人で遠く離れた用水路の所に来て、乾いた用水路の中で黙々と煉功しました。いつも煉功が終わると涙がポロポロと溢れていました。それは本当の自分が大法を放棄したくなく、大法と擦れ違いたくなかったからです。

 二年後のある日、1人の同修が我が家にやって来て、私達に修煉を続けるよう説得してくれました。同修は「これほど素晴らしい功法を、くれぐれも放棄しないようにしてください」と言いました。同修のこの言葉は、私と妻を呼び覚ましました。師父は私達のようなだめな弟子をも見捨てられず、私達を呼び覚ますために同修を送って下さったのです。

 それから、私と妻は再び修煉の道を歩み始めました。

 法を正す師に手伝い、最初の一歩を踏み出す

 それはある月の光が澄んだ夜でした。私は同修に励まされ、震えながらも最初の一枚の真相シールを貼り、また、始めて真相資料を人の家の入り口に置きました。私は自分の心臓に強い動悸を感じ、心は「恐れる気持ち」にずっと覆われていました。

 絶え間なく法を学び、絶え間なく正念を強め、私はますます自分がこの世に来た責任と使命をはっきり分かるようになりました。「師父はこれほど素晴らしい法を世間の人に伝えられているのに、世間の人は共産党に騙され、大法と大法弟子を正しく認識することができない。この状態を打破するには私達が真相を伝えなければならない、この一枚一枚の真相資料こそ、世間の人々の心を解く鍵となるのです」と私は思いました。

 私達の学法グループの同修全員の心性は高まりました。皆は力を合わせ、人を助けるために心を一つにしました。真相資料を配る当時のことを思い出すと、今でもありありと目に浮かびます。私は自分の三輪自動車を運転して、同修達を乗せ、酷暑厳冬に関わらず、大法弟子のいない村落を行きました。一枚一枚の真相資料はまるで一輪一輪の満開の蓮の花のように、多くの家々に福音を届けました。同修達は自分の誓約を果たし、師父が求められた「特に中国大陸の大法弟子は、一人一人みな表に出て真相を伝え、あらゆるところに真相が伝わるようにし、人のいるところに漏れることなく真相を伝えるべきです。」[1] を、その通り実践しました。

 心を込めて人を済度する

 私の家は市場の近くにあります。毎年旧暦の12月になると、家の敷地内にたくさんの自転車や車が止まっていて、それに、私は屑鉄を買い付ける仕事をしていますので、家にはいつも人の出入りが多く、人の流れは絶えません。これは私と妻に人を救う良い環境を提供してくれました。私達は最初ドキドキしながら真相を伝えることから始め、今は正々堂々と三退を勧める事が出来るまでになりました。その間、たくさんの物語がありました。

 それは2008年の旧暦12月のことでした。私と妻は初めて、我が家に来るすべての縁のある人に真相資料を配り、通報されるのを恐れていた心を突破しました。それから、私達は家に来るすべての人に必ず大法の真相を伝え、三退を勧めるようにしました。ある日、村長は私の家の前で仕事をしていました。彼があまり字を読めないのを知っていたため、私は2008年の神韻DVDを彼にあげました。数日後、私は真相DVDを彼の家に届け、最後に、梅花詩予言(訳注:北宋時代の儒学者・邵雍が書いた預言詩)のDVDも彼にプレゼントしました。突然ある日、彼は何かを探したいと言って、我が家にやってきましたが、結局何も探すものがなく、しばらくしてから帰って行きました。

 彼が帰ってから、私は妻と交流して、村長は「三退」に来たのではないか、と思い当たりました。私達が村の幹部に三退を勧めるのを妨げているのは、いったい何でしょうか? それはやはり恐れる心でした。相手が村の幹部だから、三退の話を聞いてくれなければどうしようと心配していました。それはやはり自我を守る私心が邪魔していたからです。私と妻は、これらの障害となっている人心を突破し、修める事を決意しました。

 数日後、村長はまた我が家に来ました。私は村長の名前を呼んで、「あなたはこの党を退きましょう」と言ったら、彼は「そうしましょう」と答えました。たったこの一言で、一つの命が助かりました。この事を通して、世間の人々を救うことは、すべて師父が按排され、用意されており、私達弟子は足を動かし、真相資料を配り、口を開いて三退を勧めるだけで十分である事を深く体得しました。

 もう一つ印象深かったのは、ある村の村長と村の共産党書記が共に三退したことでした。

 私達の学法チームは真相資料の配布が重複したり、資源を無駄にしたりすることを避けるため、いくつかのグループに分かれ、それぞれの地域を担当していました。私と妻はバイクを持っているため、五つの比較的遠い村を担当することになりました。四つの村には、私達はすでに真相資料を配りに行きましたが、残り最後の一つの村にはなかなか行けませんでした。

 ある日、2人の人が我が家にやって来ました。聞いて見たら、ちょうど私達がまた行っていない村の村長と党書記でした。この時、私はまるで重い金槌に叩かれたかのように、すぐに目覚めました。彼らは村人を代表して、大法弟子の家に助けに求めて来たのではありませんか。それは師父のご按排でした。弟子が怠けていたから、師父が世間の人を寄越して、真相を聞きに来させたのです。私は心の中で、師父に「師父、弟子は間違いました。今から、弟子は世間の人々のことをしっかり心に留めておき、先史の誓約をしっかり覚え、一刻も自分を緩ませないようにします」と言いました。私と妻は互いに協力して、彼らに大法の真相を話し、共産党の大法に対する迫害を話し、歴史上の予言や貴州の蔵字石について話をしました。その後、村の党書記と村長は共に共産党を脱退し、喜んで我が家から出て行きました。翌日、私と妻は真相資料、DVDを持って、人を救う神聖な使命を背負い、その村に行って、大法の福音を村の至るところに伝えました。

 2014年の神韻のポスターが出来てから、私が妻とポスターを貼りに行った時、ちょうど村の党書記に会いました。彼は私の名前を呼んで、「DVDが出たら、あなたは一軒一軒に届けなくてもいいよ。私は村の放送でアナウンスしてあげるから。見たい人は取りに来るだけでいいでしょう」と言いました。私はその気持ちを察して笑いながら、「村人よ、あなた達には真相が分かる幹部がいてよかったです。皆さんにも福が訪れます」と心の中で言いました。

 以上、法に合致していないところがあれば、同修たちの慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『精進要旨(三)』「人心を放下し、世の人々を救い済度する」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/1/17/303266.html)
 
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