不治の病が治り周囲の人は驚いた(六)
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文/黒竜江省の大法弟子 馬忠波

 【明慧日本2015年3月3日】前の文へ

 六、奇跡が顕れ、乳房が再生した

 2日目、私は知らない同修から電話を受け、「あなたは物を片付けてください。迎えに行きますから、それからできるなら何日か泊まることになりますよ」と言いました。同修の所に着いて、「ベッドに横になろう」と私はすぐ思いましたが、「同修は私を病人として迎えに来たのではなく、私が修煉者なので迎えにきたのだ」と思いました。私は修煉者でなければなりませんでした。しかし腐敗してダメになってしまった私の右側の乳房の大きな穴はすべてさらけ出され、一枚のチョッキを着ているだけだったので、私は恥ずかしく感じました。

 「本を読みますか?」と、そのおばさんが私に聞きました。「読んでいます」と私は言いましたが、私は大法書籍を受け取ってから数ページしか見ていませんでした。翌日電気のない夜に、「あなたは煉功しているの?」と、おばさんは私に聞きました。私はびっくりしました。こんな状態でまだ煉功できるというのでしょうか?

 私はそこに立ちながら震えが止まらず、私の乳房の大きな穴、腕、わきの下など、どこも全部、腫れて腫瘤になっており、じっと座っていてもまだ痛くて泣けてくるのに、どうしろというのでしょうか?

 考えてみると、私は煉功して体が壊れると思うのですか? 痛くて動けないのにまだ煉功する勇気があるのですか? 労働教養所の中で毎日追い詰められて信仰を放棄させられても(そうしていませんが)、あんなに殴られても、少しもどうということはなく、生死を放下しただけでなく、「それに、煉功は体に利益をもたらすだけで、体を調整することしかできませんから、まだ煉功することが怖いと思うのでしょうか」と私は思いました。煉功して体が壊れると思うなら私は大法を疑って信じていないことになるのではありませんか。師父の法身がいらっしゃるのに、どうして体がこんなにひどいのか、分からないと思うのですか?「わかっている」と肯定できるはずです。この2点が明確になり、「煉!」と、私は正念を強くしました。

 第一式の功法は体を引き伸ばす事によって百脈を通し生命を調整するのではありませんか! 私はありったけの力を込めて煉功し体を引き伸ばしました。ほとんど直立することができず、力もない人間が、四式の動功を一回だけ完全に煉ると、体が電源に繋がり、私は最強のエネルギーを受けて充電され、佛法の支援の中で、分子細胞が急速に変っている事に気が付きました。私ははっきりと体と心が一つになるとはどういう事なのかを悟りました。

 正念が私を超え、この肉身を超え、自己の命を超えました。私の命がなくても、私の正念はいつもありました。心の中に「信」という一字がありました。四式の功法のあと、私は完全に見違えるほど変化し、ずっと私の心性に抗していた苦しみがいきなり底まで落ちたという感覚になり、もう私を、痛くてたまらず、なすすべがない状態にさせる事はできなくなったと思いました。私は全身が楽になり元気になって、私の身体の痛かったすべての腫物はみな消失し、赤く腫れ上がり始めていた乳房はすぐ赤くなくなり、腫れてきたところは腫れが引きました。その時、「私は良くなった、私は痛くなくなった」と、大きい声で言いました。

 「これこそ私の弟子だ、私が見ている。あなたたちは誰であろうと再び彼女に触ろうとするなら、ちょっと試してみるがいい」と、他の空間で師父がおっしゃったのを私は聞いたような気がしました。私の体の赤く腫れ上がり始めていたところはすべて消え、肌の色まで正常になったのを見て、私を案内したその年配の同修が、「早く来てください。見て、この子は良くなった!」と、気忙しく叫びました。

 その年配の同修が言ったのを聞いて、私は走って行きました。私は走る事ができました。さらに会話も元気づいてきて、乳房の腫瘍もなくなり、さっきまでの私とまるで別人のようになったのを見ると、伯母の夫は、とても感激して、「もともと、修煉者には病気はないというが、私の所に来た人をしっかりと見た。これまで死にそうだったではないですか? あなたが死にそうになっている事が、あなたの家族の知るところとなり、私を探しに来てもどうしようもない、私はここにいて怒っているだけだ」と、大きい声で言いました。

 私が良くなったのを見て、伯母の夫は胸中を吐露し、親指を立てて感激し、走り高跳びのように高く飛びながらぐるグル回り、「あなたたちがそこの部屋で煉功していた時、私はこの部屋で嘆いていたのを、あなたたちは聞こえないふりをしていたのですか? 本当にびっくりしました。これほどすぐにあなたが良くなったなんて、この法輪功も不思議だが、もしこの目で見ていなかったら、何を言われても私だって疑ってましたよ」と、話し声が響きました。

 その晩、「こんなに大きな穴が癒合したけど、あなたの話によれば、この血膿は中で枠をつけ、ぐちゃぐちゃにならずには済まないのではないですか?」と、伯母は私の所に来て心配そうに言いました。その実、「これは内も外も一緒に成長したのでしょう、新しくできた中の肉が傷んだ皮を押し出したのです。腐ってもう空になった乳房が、新たに新しい筋肉を成長させ、縁を戻し始め、中の肉が厚さを増したので、3日でふさがり、それらのもう死んだ肉の表面が化膿し、かさぶたができ、皮がむけ始めた」という事が、伯母にはわかりませんでした。

 3日で完全な一つの乳房に生まれ変わったのですが、いずれにせよ、これは私には想像もつかなかった事でした。私はとても幸運でとても幸いだったのですが、健康な体が私の物になったことが幸いだったのではなく、宇宙大法の一部が私の物になったのが幸いだったのです。師父は私のために一つの乳房を生まれ変わらせてくださったにだけにとどまらず、私を金剛不壊の体、漏れがない生命に生まれ変わらせてくださったのです! 私は帰らなければなりません。私にはやらなければならない多くの事があるからですが、おばさんたちはそうさせてくれず、というのも、邪悪が私を捕まえに来るのを恐れていたからです。また私を迎えに来てくれたおばさんが不在だったという事もあり、私たちはそのおばさんを待つことにしました。

 伯母の所に行ったばかりの翌日、また1つの不思議な出来事がありました。伯母の家にいる20歳の孫娘が私たちの前に現れました。私たちが泊まった場所は騒がしい繁華街から遠く離れており、70代のおばあさんが毎日3回いくつもの料理を作り、テーブルを拭き、食器を洗い、布団を畳み布団を敷き、掃除をして部屋を片付けました。これ以上伯母に頼むことはできず、かといって、私もどうしても人に世話してもらう事ができなかったのですが、その子が来た後、私が一歩歩くとその子が一歩着いてきて、さらに黙りこくっているのです。私が座ると、その子も座りました。私が本を読むとその子は新聞を読み、私が立ち上がって歩くと、その子が着いてきて、布団を敷く時、その子は「私がやる」と言いました。私が布団を畳もうとすると、その子は「大丈夫ですから」と言いました。このように怪訝に思いながらも私に従って来て、あらゆる生活の世話は皆、この子供が片付けてしまいました。子供はそこに閉じこもり、ずっと私の世話をし、黙りこくって、私が良くなるのを待って去って行くつもりのようでしたが、出かける1日前の晩、その子供は私に一晩中話しました。

 「以前、私は修煉者が迫害されているとかいう事を信じていませんでしたが、この数日、私は毎日あなたが話しているのを聞き、あなたの健康がこのように壊れたのを見ながら、またこの素晴らしい快復を目の当たりにし、これは絶対に間違いないと私は信じました。共産党は人間ではなく、私は夢にまで見ましたが、共産党があんなに誤った存在だなんて思いもよりませんでした。だから、あなたが労働教養所の中にいた時、警察官がどのようにあなたを殴ったのかという事をあなたは詳しく書き、すべての皆さんに見てもらうべきです」と話し、「師父は本当に弟子のために痒いところに手が届くほど考えていらっしゃるので、私の世話を見てもらうために、わざわざあの子を按排して行かせたのだ」という事が、私は後になってやっとわかりました。

 翌日、私を迎えに来てくれたおばさんが来て、「私は家へ帰らなければなりません。すべての人に直接、弟子としてこの法を実証していきます」と私は言いました。私はおばさんの家で約18日か19日間滞在してから、阿城市の自分の家に帰ってくると、折よくおじいさんが私の家で66歳の誕生日を迎え、前日に入用な物はすべて揃い、翌日が行事を行う日どりだったので、私の家には人々がたくさんやって来て、祖母がまだ来ていないのに、「あなたの息子の嫁が帰って来て、また新しい乳房が成長した」と、誰かが祖母に教えました。「不可能なことだ! 誰が言っても私は信じないが、彼女がどんな状態か、私はまだ知らない。彼女は20日間行ってこらえきれるものじゃないと、私は言いましたが、私が自分の目で見たのでなければの話です」と、祖母は話しました。「あんなにひどかったから、はっきりわからないので説明できないが、どこかで死んでしまったのでは」と、話す人もいました。祖母は部屋に入ってみると私の服を開いて見て、「大穴がなくなった?」と祖母は驚き、見物してた人もみんな驚きました。本当に乳房が新しくできてきたの?! 祖母は鋼鉄のように固い事実を目前で見た後、「大法はとても素晴らしい」と何回も言いました。

 私は人々の議論の中心になっていました。「あれはガンなんだ? 乳房を交換したら、そのガンも無くなったのか?」「彼女はまだ医者に行って治す準備ができていなかった。準備ができていなかったのに治してしまったの」、「言語道断、彼女はたったの20数日行っただけで、どこの病院がこんなに早く治せるの?」。その頃、私が出て行った後、「息子の嫁が今回、もしまた良くなったのであれば、それは本当に法輪功はとても不思議で、私の足もほんとに法輪功にお願いしたんです。しかし、小波は不可能です。あんなに重いのに今より何が良くなるのか、ひょっとしたら今回は、20数日で早死にするかもしれない」とおじいさんと祖母は言っていました。今度は私が帰って来たのを見て、「今度もあなたはまた治った! 法輪功はとても素晴らしい!」と、おじいさんは言いました。

 しばらく経って、おじいさんはテレビで大法へのデマを見かけると、おじいさんは祖母に見せないようにし、さらに、中国共産党の人を騙すやり口を激しく罵りました。「私は本当に信じました! 皆さんがあのようにならなければ、やばくなり、病院の最も良い薬だって良くなるとは限りません。法輪功を学べば本当に煉功して良くなり、さらに、こんなに早く良くなる! 今回、私は参りました! 法輪功はすばらしい!」と、隣のお姉さんは感激しながら説明しました。

 その場にいたすべての人がみな感服し、この事を知る人は皆、再びテレビでデマの猿芝居を見てとても腹が立ち、「共産党はうそをついて、良い人たちを迫害する事を専門にしている」とみんなが言いました。「あなたは医師に諮問したことがあるの? 世界中でこんな先例が前にありましたか?」と、一人の同修が私に聞きました。「後にも先にもたった一つだけ、この一例、これだけです」と、私は答えました。

 「私が修煉して良くなったかどうか、あなたはどう見ますか? 全部落の皆さんが法輪功を学んでいるとあなたは言ったんじゃないの?」と、修煉して乳ガンを良くするようにと私を励ましてくれたあの友人に私は聞きました。「あえて信じようとしないなら誰であろうと出来やしない」と、その友人は大きい声で言いました。邪悪の迫害が最も深刻だったこの何年かの時に、その友人は他の人に法輪大法真相を伝え、その友人が見た事実を伝え続け、ある時は人と言い争い顔を真っ赤にしていました。「あなたたちは敬服しなくていいのですか? これは私が自分の目で見た事です」と、その友人は公安局の警察の人に話しました。

 2006年、私は意外にも2番目の子供を身ごもり、2007年3月、れんが製造所で働いていたとき、もうすぐ子供が生まれると感じて、病院まで行って検査してみると難産だったので、医師は私を支えて手術台に乗せ手術をしようとして、ちょうど私に鍼を打とうとした時、私は意識がはっきりしてきて、心で師父にお願いしました。「常人が帝王切開をすることは正常ですが、私は修煉者なのに、どうして帝王切開をして出産をする必要があるのでしょうか?」。私がこのように考えると、奇跡が起き、医者はチェックするとすぐ、「早く手術台から下ろして産褥に上げなさい」とでっかい声で言い、そして、さらに「これはちょっとおかしい、さっきチェックした時は明らかに産むことはできなかったのに、これは何のことなのかよくわからない」と、医者はぶつぶつと言いました。「私は法輪功を学んでいるので、私は師父にお願いしました」と、私は機会を見て説得しました。医者はそれを聞くとすぐ、「あなたはそう言いますが、何とかもっと早く望めばどうだったんですか」とすぐ笑いながら言いました。「私は痛みを忘れてました」と私は説明しました。

 医者と看護師は皆、機嫌がよくなりました。難産だった私は順調に健康な娘を生みました。子供を出産して2、3日目の時、この新しくできた乳房に母乳が湧き出ました。子供は乳首から泡を吸い出し、出血してきましたが、どうしても乳は出ませんでした。隣人の友人は私の事を知り、「薬局で六六通を買えば乳の出をよくすることができるようになり、とてもいい」と、私に教えてくれました。重大な瀬戸際に自分が何をするべきかを忘れていってしまった私に、注意してくれたのでした。大法を学んで百脈を通せば、あの六六通がどんなに強くても比べものにならないのではないでしょうか?! 私は生死の瀬戸際で煉功できたのに、今はどこにそのような荷重を受けるようなものがあるのか。煉! その乳房は手ごわい腫瘍になっていて、首も続けて痛みましたが、私は何もかまわず、ベッドから下りて4セットの功法を煉功し、煉功が終わって子供に母乳を与えるとすぐ湧き出て来ました。新しい乳房は本調子に戻って、お乳が出るようになりました。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/12/20/9-284227.html)
 
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