二〇一五年ニューヨーク法会での説法
 

(李洪志、二〇一五年五月十四日)

 (全員起立して、熱烈な拍手で師父をお迎えする)

 皆さん、こんにちは! どうぞお掛けください。たくさんの人が来ました。大法修煉のために皆さんは道を共に歩みました。大法弟子は歴史の使命を完成させるために、皆自ら行うべきことを行なっています。もちろん、精進している人もいれば、あまり精進していない人もいます。これも正常なことです。一つの修煉団体で、全員がとても精進していれば、それこそ正常ではありません。いずれにせよ、大法弟子として、私たちは自ら行うべきことを完成させる必要があります。大法弟子が行なっているこのことは近い将来、本当に起きてしまったなら、そのとき、皆さんはしっかり行わなかったことを後悔するのです。本当に後悔します。当初行うべき多くのことを行わず、あなたが救うべき人を救わなかったなら、それこそ大変な事です。

 もちろん、このことをしっかり行いたければ、自分自身をしっかり修めなければなりません。そのため、修煉はまた、すべての人の根本となるのです。人を救うどのプロジェクトに携わっていても、修煉から離れてしまえば、どんどん常人になってしまうと気づくのです。物事の考え方や、仕事の進め方もますます常人になってしまいます。常に法にのっとり、絶えず自分の修煉を緩めていなければ、行なったすべてのことは本当に修煉者が行なっていることになります。それは大法弟子の使命を完成させるための根本であり、根本的な保証なのです。ですから、皆さんは法から離れてはならず、いかなる時も自らの修煉を緩めてはいけません。国際社会での大法弟子のプロジェクトの多くは確かに非常に忙しいのです。プロジェクトを順調に進め、プロジェクトが人を救う力を持つようにしたければ、仕事をより良く行い、真剣に取り組み、多くの時間を掛ける必要があります。このような情況では、自身の修煉を行う時間がないように見えます。しかし、どんな情況下でも、皆さんは時間を作って修煉し、時間を作って学法すべきです。

 もちろん、修煉なので、修煉者であるかぎり、あなたが行なったすべてのことは修煉と直接的な関係があり、実はそれはあなたの修煉の道でもあります。あなたが行なったすべてのことはあなたの修煉の道に溶け込んでいます。社会での仕事にも大法のプロジェクトにも、そして普段の生活の中にもあなたの修煉が含まれています。必ずそうなります。もちろん、先ほど話しましたが、精進する人もいれば、精進していない人もいます。大法弟子という生命が持つ重大な責任に気づく人もいれば、それほど強く意識できない人もいます。もちろん、私が思うには、大法弟子としていかなることがあっても決して自らを緩めてはいけません。以前、私が最も心配していたのは、迫害がとても深刻なのに、多くの人が大法のプロジェクトでうまく協調を取ることができなかったことです。多くのことは皆さんの議論によってダメになりました。多くのことは邪悪の要素が皆さんの強い負けず嫌いの心を利用してダメにしてしまいました。今、皆さんはこれらの問題に気づき、多くの場合、大体問題がなければ皆さんは実行に移るようにしています。多くの事はそれほど完璧ではありませんが、大法弟子としてそれは皆さん自ら修煉するように残された余地ではありませんか? まだ行き届いていないところ、またはそれほど完璧ではないと感じたところを自らしっかり行い、それはあなたのために用意されたのではありませんか? 皆さんがまさに自ら行うべきことではありませんか?

 神韻のチケット販売のときも多くの人はこのような状況でした。最初の頃、議論があって、消極的になった人もおり、大多数の人は指示されたから行いましたが、真面目に取り組んでいませんでした。しかし、あなたの生命の一分一秒も修煉の中にあり、あなたは自分を無駄にしています。あなたは修煉の道で限りある時間を無駄にしており、自分の道をしっかり歩みませんでした。真面目に行うべきことをしっかり行なったなら、それこそ素晴らしいのです。指示されたから行なったのですが、仕事を行う時の態度や、どのように人を救うことができるのかという問題について真剣に考えておらず、これは修煉の問題なのです。

 もちろん、できる限りのことをしましたが、人を救うことはいつもそれほど簡単ではありません。旧勢力は、容易にやり遂げられたことに威徳がないと思っているため、皆さんに困難をもたらすのです。楽なことは誰でもできるので大法弟子にやってもらう必要もないのではありませんか? 皆さんにやってもらう必要もないのではありませんか? ですから、見た目では皆さんが取り組んでいることは難しいのですが、これではじめて修煉になるのです。本当にこういう状況です。このようになってはじめて、大法弟子は真に威徳を表すことができます。ほかの人に出来ないことを皆さんはやり遂げ、厳しい弾圧と迫害という環境で、自らをしっかり修め、同時に衆生を救っています。これはなんと素晴らしいことでしょう。しかし、衆生を救い済度するとはどういうことでしょうか? 皆さん考えてください。歴史上、多くの人は衆生を救い済度すると言っていましたが、言うのは簡単です。実は神に笑われていました。本当に衆生を救い済度する胆力(たんりょく)のある人がいるのでしょうか? もちろん、大口を叩くのであれば誰も気にしませんが、本当に実行する人がいたのでしょうか? 一人の生命を救う場合、その人が作った大きな業力、この人が後天的に形成した様々な観念をあなたはどのように消してあげるのでしょうか? その人が造った業力と、社会との間の因縁関係をあなたはどのように処理するのでしょうか? しかも、救っているのは衆生であり、一人の人間ではないので、非常に複雑なのです。これはつまり、人を救う場合の難しさです。もちろん、これらのことは複雑ではありますが、深い部分のことは師父が片付けてあげます。ほかの神も手伝っています。表面上のことも非常に難しいので、皆さんに努力してもらうしかありません。

 修煉者と常人との間の違いですが、表面から見れば何の違いもありません。大法を修めたからと言って、今日あなたは神のようになっているわけではありません。姿形に変化はありません。神の道のりを歩んでいる時の唯一の変化は、物事の考え方において常人と違っていることです。修煉が非常に精進しているように見える人がおり、法の勉強も煉功もしていますが、内に向かって探していません。内に向かって探していなければ、皆さん考えてください。それは常人ではありませんか? 内に向かって探す常人はいますか? そのような常人はいません。いかなるトラブルに遭っても、自分のどこが間違っているのかを考え、間違いを見つけたら、相手に謝ります。中国にいれば、人々に精神が異常だと言われます。なぜならば、全社会の道徳は邪党に破壊されてしまい、常人はこのように物事を考えていないからです。トラブルに遭えば、お互いに責め合い、最後にますます激化してしまいます。大法弟子はこのように対処しません。

 もちろん、精進している人や精進していない人、新しい学習者もいるため、トラブルに遭う時、一時的に乗り越えられない人が多くいます。しかし、古い学習者の助力を得て、または絶えず法を勉強している過程で、徐々に分かるようになります。修煉なので、徐々に分かるようになり、「そうだ、内に向かって探すべきで、自分の欠点、誤り、そしてどこで正しく行わなかったから、このトラブルを引き起こしたのか」と探すべきです。これはつまり修煉者と常人の区別です。表面では分かりません。内心の動きやトラブルに遭った時の態度は全く違います。しかし、このことは『轉法輪』で、私のほかの説法でもいつも話しています。つまり常に皆さんに気づかせています。修煉なので、時には気をつけていなければ忘れてしまい、または常人の心が強すぎたら、そこまで考えることができなくなります。それではいけません。自分が修煉者だと自覚していなければなりません。

 もちろん、大法弟子が人を救うこれらのことを行なっているとき、出会った常人社会の人も様々なのです。これは皆さんの難しさです。人間の表面での行動を気にしないでください。中共が迫害の中で造った虚言を信じ、大法に対する態度が非常に良くなかったり、大法弟子に対する態度も悪かったりする人がいます。しかし、皆さんよく考えてください。これらの人はいずれも、中共の虚言に害毒されたのです。もし、大法弟子が本当に人類の最後のこのことにおいて人を救うための使者であれば、もちろん、大法弟子は皆、なぜこれらのことを行なっているのかが分かっていますが、それなら、皆さん考えてください。中共はどういうものになるのですか? まさに歴史上の各種の予言、各種の宗教が言っている最後の魔ではありませんか? 人類を壊滅しようとしているのではありませんか? もちろん、私たちにははっきりと分かっています。ただ、最後のことを二段階に分けて行なっているだけです。このことは中国だけで起きており、全世界では起きなかったのですが、その害は実は全世界に蔓延しました。法輪功を迫害するための一辺倒の虚言は天地を覆い隠すかのように広まり、全世界のメディアが迫害の虚言を転載したので、法輪功が弾圧されたとき、中共のために邪悪を宣伝していたのと同じです。しかも、今でも多くの国の入管に中共邪悪が提供したブラックリストがあります。もちろん、自由社会のメディアと政府部門は意図的にこのように行なっているのではなく、この点について私たちもよく分かっています。しかし、私が言っているのはその害はすでに全世界まで蔓延し、一部の国の政府部門はまだ善悪をわきまえず、それを参考にしているということです。

 もう一つですが、この迫害は人々が知っているような状況ではありません。人を救うとは、人の本質を救うということです。本質なら人間の考えや精神に現れ、表面的なことはそれほど重要ではないかもしれません。この人の思想と精神が害され、毒されてしまったら、それこそこの生命は本当に悪くなったのです。殺人や放火をした人は救われることができないという意味ではありません。それは表面にある人間の行為であり、この人は改める可能性があり、本質はそこまで悪くなっていないかもしれません。本当に害毒された生命、神や神の使者に悪事を働いた人こそ深刻な問題です。もちろん、私たちは人を救っていますが、邪悪はどうしても人を地獄に引きずろうとしています。大法に対する態度が良くない人、大法弟子に対して凶悪な態度を取った人、こういう人は実に気の毒です。中共がでっち上げた虚言に害毒されたので、このように行なったのです。もちろん、金銭欲に駆り立てられた人もいます。いずれにせよ、私たちが救える人なら、こういう人も含めて、全て救うべきです。その人が今、凶悪そうに見えても、当初は神聖なる天上の神で、この世に来て人間になり、この法を得るために来たのだ、ということがあなたには分からないのです。

 この世の人間の表面は神が作った人の皮であり、一枚の服のように、今この皮を被っているのは降りてきた神であり、大多数は天上から来た神です。それなら、今日の世の人はただならぬ存在なのです。常人社会の各業種、様々な人、社会の種々の有り様を気にする必要はありません。人間の表れがどうなっていても、その人の本質がどうなっているのかは、それは完全に別のものになります。神はこの世に来て人間になり、皆さん考えてください。神には人類社会の状態が分からないのでしょうか? 人類社会は険しく恐ろしいものです。神は自分の神の位を放下し、敢えてこの世に飛び込んできて人間になったので、このことだけを見ても、大法弟子はその人を救うべきです。大法弟子にとっても、つまり皆さんと同じようにここにやって来てこれほど重要な使命、責任を背負い、この環境がどうなるのか分からないのですか? 人を救うとでも思っているのですか? 下手をすれば自分もここで台無しになってしまうかもしれません。しかし、皆さんはやって来ました。彼らも同じようにやって来ました。彼らはこの法がきっと自身を救うことができると思っており、この大法を信じきっているため、彼らはやってきました。このことだけを見ても、私たちは彼らを救うべきではありませんか? 絶対に救うべきです。彼らは当初、この上なく神聖な神だったのです。このことをしっかり行いたければ、修煉において絶えず精進し、自らを充実させてからはじめてこのことをしっかり行うことができます。

 一部のプロジェクトでは多くの人のやり方はあまりにも常人的です。一つのメディア、例えばメディアの運営ですが、メディアをしっかり運営すべきであり、しかし行なっているうちに考えも徐々に常人的になり、問題の考え方も修煉者と違い、常人のようになってしまいました。それは大法弟子と言えるのでしょうか? 大法弟子は何のためにメディアを運営しているのでしょうか? 人を救うためです。忘れてはいけませんが、あなたは人を救わなければいけないのです。メディアをしっかり運営する目的も人を救うためです。真相を伝え、衆生を救い、これはすなわちあなたが行うべきことです。これ以外に、あなたが行うべきことはなく、この世界であなたが行うべきことはありません。あなたはこれらのことを行うべきですが、一部の人は自分が修煉しているという気持ちさえ薄れてしまい、常人のことを重く見ています。皆さんにとって、それは大法弟子の修煉の道から離れてしまったのではありませんか?

 多くの大法弟子はここ数年の修煉で、絶えず幾らかの問題を起こしています。トラブルはまだしも、多くの病業の関門が現れ、ひいては多くの人がこの世を去ってしまいました。実は、厳しく言うと、修煉者は表面からどういう状態なのかが分からないのです。もちろん、大法の仕事も行なっており、ほかの人が見ているのは表面であり、実は多くの人は心の中で執着しており、他人には分からないのです。自ら放棄できないものが深く隠れており、良くないものだと分かっていても、他人に知られてしまうのを恐れ、他人に知られると恥ずかしいと思うのです。しかし、修煉者として自分自身が重要視せず、真剣にそれを滅し、これらの問題に気づき、しっかり行うことができません。また、小さいことを修煉の中で気に留めていませんが、結局大きな問題となってしまいました。

 このように話しましょう。大法弟子に関して言えば、あなたへの要求は高く、いかなる環境での修煉よりも高いのです。形式上ではそれほど厳しくありませんが、修煉の基準は厳しいのであって、要求は高いのです。あなたは自分の過ちに気づかなければ、それではいけません。自分自身に非常に強い人間の執着があると気づかなければ、それではいけません。これらのことを認識したら、もちろん、大法弟子として必ずしっかり行わなければなりません。これはつまり修煉なのです。

 しかし、一部の人、特に中国大陸では環境全体に邪悪の文化が充満しており、社会全体での人間関係はすでに正常な人類の状態ではなく、お互いに平気で嘘をつき、口を開けば嘘を言い、本当のことを話す人はいません。人間の考え方まで正常な人間からかけ離れています。この環境下で、自分のどこが間違っているのかに気づくのは確かに難しいのです。それなら不公平ではありませんか? 旧勢力は公平だと思っています。なぜならば、あなたが手に入れようとしているのは未来だからです。今までの全ては存在しなくなり、あなたは未来に向かっていくのです。しかも、あなたが未来に向かっていくだけではなく、多くの高次元からの人は自らの天体にいる多くの高い次元の無数の衆生を代表しており、これほど多くの生命が救われることになり、それならあなたに厳しく要求しなくても良いのですか? 旧勢力はこのように考えているため、あの環境をひどくかき乱し、正常な人類の状態ではなくなり、このような環境の中であなたを修煉させてはじめて、旧宇宙にいる旧勢力は不満がなくなるのです。「このような環境を乗り越えてはじめて、あなたの円満成就を認めます。良い環境なら修めない人はいるのですか?」 それらはこのように考えています。しかし、この環境で、自分の足りないところに気づくことは本当に難しいのです。そうではありませんか? 本当に難しいのです。一歩外に出て会った人はこの考え方であり、人間の間の付き合いは全てこの状況で、どうしたらいいでしょうか?

 大法があります。旧勢力もこのように言っています。あなたは大法弟子ではありませんか? 大法に基づいて修めるべきだとか、大法の要求に基づいて行うべきだとか言っています。そうです。しかし、一部の学習者は大法に基づいて行なっていません。彼は常人の方法に基づいて行い、場合によって自分の不足に気づいても、これは大したことではないと思い、適当にやり過ごしてしまいました。しかし、旧勢力は見逃しません。旧勢力は修煉者の基準をもってあなたを量っています。あなたはこのように常人の基準で自らを量り、要求していれば、旧勢力は承知するのですか? 承知しません。ですから、多くの人は多くの魔難、多くの厄介なことに遭い、時にはこれが原因でこの世を去ってしまったのに、なぜなのか分からないのです。もちろん、大法弟子は真相を伝えることによって人を救うことができます。その人まで救われたのに、あなたが行なったたくさんの大法弟子のことは、無駄になったのですか? 無駄にはなりません。それは次元の問題になります。つまり、今まで多くの大法弟子のことを行いましたが、幾つかの問題においてしっかり修めることができず、この世から去って行きましたが、どうすればいいのでしょうか? もちろん、無駄に大法弟子になったのではなく、行なったことも無駄にはならず、それは次元の問題になります。

 しかし、私が思うには、大法弟子は全世界の七十億の人を相手にしています。中国の大法弟子は多いのですが、相手にしているのは十五億人です。あの邪党のならず者の政権の圧力下にいながら、どのように人を救うのか、これは実に難しいことで、しかもしっかり行わなければなりません。どのようにすればいいでしょうか? あなたは大法弟子なので、歴史上ほかの修煉者が完成できなかったことを完成させることができ、常人にはやり遂げられないことをやり遂げることができます。あなたは大法弟子であり、あなたには大法、未来の大法があります。しかし、一部の人はこのように考えておらず、この法をここまで重視せず、これほど強い正念がありません。それならやり遂げることができず、しっかり行うことなく、曲がりくねった道を辿ってきました。

 もちろん、一部の大法弟子はとても良く行いました。私は話しましたが、大法弟子の根基が違うので、非常に良く行なった人がおり、業力がそれほど大きくない人は旧勢力も必要以上に迫害することができません。業力が大きい人なら、旧勢力はその人の業力を利用して迫害を加えるのです。

 法会なので、師父は多くの時間を使いたくありません。初めから単刀直入に師父は直接、修煉について話し、すぐ本題に入りました。実は、皆さんがはるばるからやってきて、一緒に集まったのは、修煉の環境で自らを高め、師父が何を話すのかを聞いてみたいと思っています。実は、すべての話は『轉法輪』にあります。師父はいくら話しても、『轉法輪』を解説しているのです。皆さん自身も『轉法輪』からそれを読み取ることができます。しかし、時には本を手にしてもやる気が出ず、重視することができません。時には忙しかったり、各種の妨害があったりする場合、本を読みたいという意志が強くなく、集中できませんが、それなら法を得ることもできず、何も読み取ることができません。修煉は厳粛なのです。

 ついでに皆さんに言っておきたいことがあります。皆さん知っていますが、『轉法輪』を開くとすぐ「論語」です。この「論語」は本の概論として、私は常々、気に入らないのです。(師父が笑って) 大法弟子はこの法を命のように思っており、私にはその気持ちが分かっています。皆、「論語」を暗記できます。「論語」は法を正す修煉で確かに大きな作用を働き、皆さんに多くの正念を与え、正しい作用を果たしました。しかし、この「論語」は当初、法とは何かを分かっていない人に法を理解してもらうために書いたもので、起点が高くなく、しかも科学で法を実証する意識が比較的に強いのです。この法はこれほど大きく、未来の全てですが、科学をレベルの高いところに位置付け、大きく見てしまったのです。ですから、ずっと修正したいと思っていました。皆さんはここ数年、劣悪な環境におり、情報の伝達もスムーズではなく、本当の話や偽りの話が入り混じり、中で撹乱している人もいるため、私はずっと修正しませんでした。最近、私は「論語」を修正しているので、皆さんに予め話しておきます。間もなく明慧ネットで発表するでしょう。

 それなら、古い「論語」をどのようにすればいいのでしょうか? 今までのフォント、または今までの字の大きさ、ページの大きさに合わせて、コピーまたは印刷して、古い「論語」を切り取って新しい「論語」を貼り付ければいいのです。このようにしていいのです。法会で皆さんに話しておきます。今日ここで話せば、皆さんはこれが本当だと信じるのです。(弟子たちが笑って、拍手) そうでなければ、(師父が笑って)皆さんの考えと気持ちから、場合によってはこれを受け入れられない大法弟子がいます。私にはそれが分かっています。

 いずれにせよ、師父はいつも皆さんのため、修煉のため、未来のために考えています。法はあまりにも大きいのです。

 宇宙の構造ですが、以前皆さんに話しましたが、その構造はもうこれ以上説明することができません。その複雑さですが、皆さんは一本の木にどれほどの枝があるのか知っていますか? それはただの一本の木の枝だけです。一面に広がる森にどれほどの木、枝、葉があるのでしょうか? 地球全体にどれほどの木、枝、葉があるのか、それでも宇宙の小さい範囲の概念を言い表すことができません。説明できず、あまりにも広くて複雑なのです。無量無辺の生命は数えることができません。神は想像できないほど大きいのです。どんなものにも命があります。人間が言っている有機と無機は人間が視覚的に表面で見た現象に過ぎません。如何なる物体にも、工場で製造された製品も含めて、どんなものにも命があるのです。命がなければ物体はすぐ解体してしまい、存在しなくなります。能力があれば部屋にある机や椅子、ベンチ、壁などどんな物体も話しかけてくれたり、交流したりしてくれると言っている人がいます。そうです。如何なる物体にも命があります。ですから、昔の和尚や修煉者はむやみに物を粗末にせず、どんな物でも壊したくはありません。これに関係しているのです。これは私が話した大きい空間の構造だけであり、あまりにも複雑だからです。

 人類のこの空間について、今まで私は話しませんでした。大法弟子が高い次元まで修煉するので、私は大法を説いただけです。実は人類のこの環境、つまり人類のこの空間、分子が構成した人類のこの空間の中で、人々に見えないたくさんの空間もあります。それを空間、または時空と呼んでもいいのです。どういう意味でしょうか? 皆さんも知っていますが、人間の目で赤、橙、黄、緑、青、藍、紫などこの世界にあるこれらの色(師父が手で範囲を示す)を見ることができます。この色の範囲内の物体ならあなたに見えます。しかし、現在の科学技術も分かっていますが、これだけではありません。そうではありませんか? ほかにもたくさんの色があり、スペクトルの中にハイパースペクトルもあるのではありませんか? 波長がもっと長いスペクトルもあるのではありませんか?(師父が二回、波長の長い方向を指す) 実は、もっと波長の短いスペクトルもあります(師父が波長の短い方向を指す) 赤外線、紫外線、X線もあるのではありませんか? つまりこういうものです。いずれもこの空間にあり、それも分子によって構成されていますが、世の人々には見えません。ピアノのように、人間の目は一つのオクターブだけ見たのですが、ピアノに幾つかのオクターブがあり(師父が手で幾つかのオクターブを示す)、七つのオクターブがあります。ベースにも幾つかのオクターブがあります(師父が低音のほうに手を伸ばす)。しかし、これはピアノで喩えているだけで、スペクトルはピアノよりずっと多いのです(師父が両側に手を伸ばす)。如何なる物も物質であり、私はスペクトルの概念を用いて説明しているだけで、それは本当に存在しており、紛れもなく分子によって構成された物質的な存在、世界、時空なのです。人間の目はこの狭い部分しか見えず(師父が手で両目の距離ほどの狭さを示す)、一つのオクターブだけ見ています(師父が笑って)。まだ無数のオクターブがあり、人間には見えないのです(師父が同時に左右に両手を広げる)。低いオクターブも高いオクターブもあります(師父がそれぞれ左、右に手を伸ばす)。

 実は私は横方向の直線上で話しています(師父が横方向に手を左右に広げる)。実はそれは縦方向であり(師父が体と垂直の前方方向に手を伸ばす)、この方向であり(師父が右を指す)、あの方向であり(師父が左前方45度の方向を指す)、その中にまだこの方向があり(師父が手を体と垂直の前方方向に伸ばし、さらにこの方向からたくさんの枝が生える動作を行う)、あのような方向があり(師父が後ろ、右方向の直線からたくさんの枝が生える動作を行う)、(弟子の皆さんが拍手し、師父は合掌し、笑って)言い表す言葉はないでしょう? 非常に表現しにくいのです。私は一本の線で話しており(師父が手で左右に広がる一本の直線を示す)、つまり多くのオクターブは人間の目では見えません。しかし、人間の目で見た物、視覚的に見た物はあなたの体にある全てと調和が取れているのです。視覚的に見えない物は触覚的にも触ることができず、聴覚的にも聞こえません。あなたの聴覚、触覚、視覚は全部、この一つのオクターブの範囲内にあります(師父が範囲を限定する動作を行う)。天上の音楽が聞こえ、非常に美しいと言っている人がいます。ほかの空間の生物が見えると言っている人がいます。そうです。いずれもこの空間のものであり、全て分子で構成されたこの大きい空間のもので、非常に繁雑なのです。いずれも確実に存在するものです。しかし、それらの生物は人間を見ることができますが、人間はそれらを見ることができません。なぜでしょうか? 以前話したのですが、人間のここだけは(師父が範囲を限定する動作を行う)迷いであり、人間に見えないそれらの生物は迷っていません。

 先ほど話したのは現代科学が知っていることであり、人を驚かす大げさな話ではありません。同様で人類と同時に存在する空間の中では、どういう生存状態なのでしょうか? 誰がそこにいるのでしょうか? 人間はこの世で生きていて、本当に気の毒です。(師父が小さな面積を示す動作を行う) 世の人は今見えたものしか分かっていませんが、(師父が全てを含む動作を行う)すべての生物は世の人のことが分かっていますが、世の人はそれらのことが分かっていません。超能力研究を行う人がいますが、先ほど話しましたが、それは一本の直線にこの方向、この方向があり、(師父が体と垂直の平面にある12時の方向、3時の方向を示し、さらに3時の方向からたくさんの枝が生じ、1時半の方向と1時半の方向からたくさんの枝が生じる動作を行う)出てきた枝にさらにあります。それでは縦方向はどうでしょうか?(師父が話しながら、体の横断面と垂直の面にある12時の方向を指す) これはどうでしょうか?(師父が1時半の方向を指す) これは?(師が10時半の方向を指す) これは?(師父が体と夾角[きょうかく]45度を成す面にある1時半、10時半の方向を指し、またそれぞれの方向から多くの枝が分かれた動作を行う) どれにも枝があり、枝の上にも枝があります。私が言いたいのは分子で構成されたこの空間でさえここまで複雑だということです。見えた人も肉眼通の次元です。肉眼通にも次元の違いがあり、お互いが見たものも違っているかもしれません。生命の奥秘(おうひ)は実に壮観で、現在の人類の技術で見えた少しばかりのものではありません。人間は技術という道で前へ進もうとするなら、永遠に這っていくしかありません。

 しかし、いずれにせよ、先ほど話したのですが、私が言いたいのは人類、そして大法弟子の修煉も含めて、いずれも非常に狭い道を進んでいるということです。これには一つのメリットがあります。つまり、それ以外のところで間違いを起こしても気づかないのです。人間の生命はこういう状況です。そうでなければ、妨害や各種の複雑な要素に対して、あなたは全く成す術がありません。人間の知恵も限られています。この狭い道を進んでいれば、遭遇したこれらの問題に容易に対処することができます。

 以前話したことがありますが、人間がこの世で何を行なっているのか、ほかの時空にいる無数の生命があなたを見ています。これを信じていない人がいます。常人は信じなくても構いません。大法弟子なら分かりますが、人間の考えと念は高次元の生命にはっきりと分かっています。どのように考えを組み立てたのかも分かっています。人間の考えがどのように動いているのかまで観察できます。特に大法弟子ですが、皆さんの一つの考えと一念が、多くの生命が存在できるかどうかを決めており、皆さんがどのように行なったのか、事をしっかり行なったり、または行わなかったりすることも彼らが未来に存在できるかどうかを決めています。彼らは注目せずにいられるでしょうか? 皆見ています。社会の種々の有り様、人類社会はまたこれほど繁雑で、特に現代社会で歴史上のこと、将来のこと、現在のことが全部集まり、皆さんが何を選択するのかを見ています。これによってこの社会はかつてない賑やかさを見せており、人間の執着心が引き起こされやすいのです。修煉者にとってそれは妨害であり、修煉と人を救うことの難しさが増えたのです。このような環境で修煉するのは本当に難しいのです。皆さんの考えがどのように動いているのか、行動がどうなっているのかはそれらにすべて見えます。皆見ています。いかなるものも人の執着を引き起こしてしまいます。しかし、大法弟子として、法から離れ、そのうえ正念が十分でなければ、本当に遠く離れてしまい、場合によっては一瞬で遠く離れてしまうのです。

 このくらいにしましょう。(弟子の皆さんが拍手、拍手の中に戸惑いもある) 質問したい人もたくさんいるかもしれません。(弟子の皆さんが直ちに熱烈に拍手) それでは、一時間ほど質疑応答します。(弟子の皆さんが熱烈に拍手) どうぞ質問を出してください。

 大法弟子はどんな仕事をしていても、大統領から一般庶民まで、いずれも修煉することができます。どの職種にいても良い人になることができ、現在の各業種は大法弟子のために開いた修煉環境です。今までの修煉はお寺や修道院で行われていました。しかし、今日の大法弟子は衆生を救い済度するために、修煉環境に関していかなる制限もなく、全社会のどの環境にいても修煉することができ、これほど大きな修煉環境を開いたのです。それは衆生を救い済度するためです。同時に、大法弟子の修煉について、このような今までなかった社会状態による妨害、これほど大きなトラブル、これほど強い社会の誘惑による妨害がない状況下で、あなたが乗り越えたら、旧勢力は不満に思います。これは歴史上のいかなる修煉とも違い、天地開闢以来なかったことで、今までなかったことです。先史に、幾度となく人類の劫難が起き、わずかな生命だけが残り、神に対して正しい信念を十分に持っている人だけが残りましたが、いかなる人類の復興の中でも大法弟子のような修煉は現れませんでした。今までなかったので、参考もありません。一部の修煉者、和尚は皆さんの修煉を認めていません。彼はあなたを認めてはいけません。あなたを認めたら、彼は大法弟子よりも優れていることになります。

弟子:多くの学習者は何度も中国大陸に行っています。非常に頻繁に行っている人もいます。また、多くの中国大陸の学習者は海外に行き、年に数回も行っている人がおり、法会だけのために行っている人がいます。学習者はやはり各自の地区で自ら行うべきことをしっかり行い、あちこちに行かないほうがいいのでしょうか?

師父:私が思うには、法会に参加するためなら咎めるべきではありません。もし、ビジネスのためなら大陸を往復しても問題ではありません。一部の大法弟子は邪悪に知られていないので、行き来することができ、これは問題ありません。

 しかし、一部の国際社会にいる大法弟子は中共領事館のスパイに詳しく把握され、入管に到着すると、拘束されてしまいます。以前話したことがありますが、邪党の悪人に拘束されたあと、迫害を受けたとき、またはそれらの嘘偽りの「説得」を受けたとき、あなたがしたこと、やったことについて責任を負わなければならず、神は全部見ています。ほかの人は知らず、師父も見ていないとあなたは思っています。確かに現在これらのことを行なっているのは表面の師父ですが、師父が持つ無数の真体の分身、無数の法身と無数の高次元生命は映画を見ているようにあなたを見ています。このことを誰も知らないと思っていますが、それは自らを欺いています。先ほど話しましたが、あなたの行なったことは師父だけでなく、各空間の生命、すべての生命が分かっています。あなたが行うべきではないこのことについて、あなたは修煉者のように過ちを償い、自ら間違いを認識し、今後の道をしっかり歩むと声明するのではなく、隠したりして、場合によって中共から注ぎ込まれたものをあなたは頭の中でとても信じています。洗脳の話を信じ、大法弟子の中で良くない作用さえ果たしています。あなたの今後を心配しています。もし師父が話した人類の最後のことが本当に起きてしまったら、あなたが直面するのは表面的な人心の問題ではありません。あなたの生命の全部とあなたの背後にある、あなたに救われることを期待している生命、あなたが以前代表したすべてはどうしたらよいのですか? もちろん、中共に注ぎ込まれたことをあなたは信じていないかもしれませんが、実に哀れです。

 現在、人類のこの社会環境は法を正す時期の大法弟子の修煉と法を得に来た衆生のために切り開かれたのです。大法弟子が真相を伝えることにしても、行なっている人を救うこれらのプロジェクトにしても、現れてきた様々なことは、正常のように見えますが、超常的で、人間にはできないのです。なぜならば、人類社会はほかでもなく迷いだからです。迫害当初、旧勢力は私が皆さんのために迷いを解かすことを阻止し、私があるべき状態にならないようにし、私を北極に行かせようとしました。北極に誰もいないので、そこに行ってください、私たちを妨害しないでくださいと思っていたのです。私が何かを話したり、または何かを示したりすると、それらの按排、大法弟子に按排したいわゆる試練、魔難は打破されたことになるのではありませんか? それなら、本当に宇宙大戦になってしまいます。衆生を救うため、この数年来、私は法会で説法したり、または様々な場で皆さんと接触したりして、普通の人のように振舞っていて、説法も法理から説いただけなのに、それでも旧勢力はひどく腹を立てています。これ以上何かを行うと、旧勢力は学習者への迫害を強め、修煉と人を救うことが一層難しくなり、皆さんの修煉に今まで以上に強く大きな困難をもたらすのです。

弟子:台湾のある都市は神韻公演まで一ヶ月のとき、まだ多くのチケットが売れ残っていたので、神韻を紹介する三つ折りのチラシを常人の新聞に折り込んでいました。これは適切なのでしょうか?

師父:問題ありません。常人のメディアで広告を出すのと同じではありませんか? これはもちろん、問題ありません。もちろん、反感を買うようなことをせず、ルール違反がないようにすべきです。

弟子:もし大法弟子がすでに正式に出版された大法の書籍を購入し、それから明慧ネットの電子ブックを携帯電話にダウンロードし、個人的に使用するだけで、コピーや伝播していなければ、著作権の問題がなく法を乱す行為にもならないのでしょうか?

師父:このことですが、自分で何かを行い、それを何かのメディアに出したり販売したりしていなければ、問題はないはずです。自分の法の勉強の利便性のためなら、問題ないはずです。広範にわたって伝播し、何かのことをしようとするなら、それは修煉の方式を変えることになります。

弟子:一部の佛学会の責任者はいつも規定に従わず、率先してルールに違反しています。例えば、大陸から来たばかりの学習者を神韻の楽屋で働かせ、問題があると通達された人を神韻の宣伝に従事させ、人によっては学習者に「私は佛学会の第一責任者です。私が同意し、認めたことは問題ないと師父はおっしゃいました」と言っています。学習者は異議があっても反論できず、しかし、このようなルールに違反するやり方は正しくないと思っています。

師父:学習者が言っていることは確かに正しいです。いつも師父の看板を掲げて仕事をしている人がいます。何かを聞かれたとき、私はいつも、大法弟子が行うべきことを行うのであれば、反対しませんと言っています。これは一つです。もう一つ、場合によっては修煉者でありながら、責任者でもあるので、彼らを成熟させるために、時に彼らに判断してもらっています。師父が何かを話すと、戻って学習者に師父が同意したとか、認めたとか、許可したとか、または師父がこのように行いなさいと言ったなどと伝えています。話が変わってしまい、いつもそうです。

 ここで大陸から出てきたばかりの学習者に皆、問題があると言っているのではありません。佛学会として、皆さん考えてください、たくさんの学習者を相手にしているので、一人ずつ確認するわけにはいきません。このように規定するしかありません。それと、皆さんは分かっていますが、大陸の学習者は一般的に英語が得意ではありません。先ほど話しましたが、問題に対処するときの中国人の考え方は大陸から出てきたばかりの人には気づかれませんが、ほかの人にははっきりと分かっています。しばらく経ってあなたは自分がずれていると気づくのです。大陸から来たばかりの学習者は国際社会の人がなぜこれほど愚かで、これほど単純なのか、なぜこれほど簡単で単純なことを聞いてくるのかと思っています。実はそうではありません。正常な人はこういう状態です。大陸から出てきた人は中共邪党に迫害され、邪党が系統的に中国の文化を破壊したからそうなったのです。ですから、一緒に仕事をするとき、古い学習者は国内から来たばかりの学習者に多くの仕事を任せることができず、なぜならば、そういう学習者は多くの場合、極端に行動し、逆の効果をもたらしているからです。こういう状況になります。学習者や海外の学習者と意思疎通を図ることができません。大陸から来たばかりの学習者が考えていることは非常におかしいと感じるのです。大陸から来た学習者もあなたたちが考えていることが単純すぎて、何かを行うとき、このようにしたほうが仕事をした気になると思っていますが、海外の学習者から見れば、この社会の人に受け入れられないと思っています。

 本当にこの社会を理解していなければ良い効果を得られません。ですから、神韻の宣伝のときも今までよくこのようなことが起きていました。相手をつかまえて延々と話しています。この社会の人の反感を買ってしまいました。特に、神韻は主流社会を対象に行なっていますが、主流社会の人の理念や教養は普通とは違います。この点は来たばかりの人にはまだ理解できないので、彼らは分かるようになり、徐々にこれらのことを理解できたときに仕事に参加すればいいのです。でなければ、本当に逆の効果を与えてしまいます。もちろん、神韻オフィスは大陸から来たばかりの人が楽屋に立ち入ってはいけないと決めています。もちろん、大陸から来たばかりの学習者の親族が海外の古い学習者だったりしますが、厳密に言えば、一部の学習者は問題ないのです。しかし、全て問題がないというわけではありません。誰もあなたの知り合いではないし、誰もあなたのことを知らないのです。大法弟子だと言って、表面から問題なさそうに見えても、本当に大法弟子なのでしょうか? 大法弟子である可能性が大きいのですが、あなたのことを良く知らないので、楽屋に立ち入ってはいけないと決めたのです。常識から考えれば、ほかの仕事をしてもいいので、楽屋の仕事にこだわる必要はありません。

 一部の責任者は仕事の進め方を本当によく反省すべきです。師父は言っておきますが、責任者なら現地のこれらの学習者をまとめ、師父の代わりに彼らをまとめ、彼らが修煉において向上できるようにし、師父の代わりに彼らをしっかり導かなければなりません。これはすなわち、現地の責任者の責任です。しかし、あなたはいつも一部の人を排除し、言うことを聞かない人を排除し、いつも常人の考えで問題を見ており、常人のやり方で問題に対処し、それが原因で現地の学習者の協調が取れませんでした。このとき、大陸から出てきたばかりの人が言われるがままに行動し、従順だと思い、彼らを楽屋に配置しました。場合によって料理作りや飲食の管理まで任せたのです。しかし、神韻側は神経を尖らせています。100回以上の公演が立て続けに行われるため、どこにも問題があってはいけません。規定に従わなければ、その人に問題がないと保証できますか? あなたも保証できません。あなたは彼が従順だと思っているから、彼を使いましたが、従順ではない人を使いません。これではいけません。これは大法弟子の責任者のあるべき態度ではありません。師父は責任者に言っておきますが、師父の代わりに彼らを導いてください。あなたも含めて皆私の弟子であり、彼らを排除してはいけません。

 しかし、逆から言えば、ほかの大法弟子も同じです。自分が大法弟子だと自覚し、協調すべきです。責任者も大変です! 誰を責任者にしてもこれらの問題に直面するので、お互いに理解し合うべきです。本当にこのようにすれば仕事は順調に進むのではありませんか? たくさんの挫折を経て、振り返ってみてやっとこのようにすれば良かったとならないようにしてください。迫害が非常に厳しかった当初、常にお互い張り合って、仕事のときいつもこの人の考えが良くないとか、あの人の考えが良いなどと議論していたのです。このようにいつも議論が絶えないため、多くの事に支障を来しました。あの時、協調が取れれば、仕事はもっと良い効果を得られたかもしれません。もちろん、今振り返ってみて分かったのですが、確かにあの時しっかり行いませんでした。ずっとこのままではいけません。

弟子:大道無形の深い含意(がんい)、そして明慧ネット、大法学会が魔の首魁を提訴することについてご教示願います…。

師父:そうですね。魔の首魁を提訴すべきです。(弟子の皆さんが熱烈に拍手) 全人類の人が魔の首魁を提訴すべきです。すべての中国人を害し、世界の多くのほかの地区の人をも害しました。これほど多くの人がその虚言のため、将来地獄に引きずられていくのです。

 大道無形ですが、これに触れる時間はないようです。私は皆さんの質問に答えるだけです。皆さんの修煉方式は無形です。昔、修煉者は廟や修道院におり、ある形式にこだわっていました。皆さんは法会から帰ると、各業種で働く人になります。もちろん、大法弟子として、この特別な迫害の時期に、皆さんはメディアの会社や迫害に反対するためのプロジェクトを立ち上げましたが、これも常人の形の会社であり、会社そのものは修煉ではありません。私はいつも言っていますが、それは大法の中の特有なものではなく、大法弟子が運営している会社なのです。大法弟子はどの職種に就いても修煉できるので、もちろん、会社を運営してもいいのです。会社は大法そのものの特有の修煉形式ではありません。大法に会社はありません。神韻も同じで、大法弟子が作った人を救うプロジェクトであり、特有の修煉方式、環境ではなく、大法弟子がこのように修煉すると規定したわけではありません。そうではありません。

弟子:台湾は大規模な活動や会議が多すぎて、その多くは内部の活動です。

師父:そうですか。内部の活動は法の勉強以外、できるだけ少なくしたほうがいいです。法を実証する活動や真相を伝えることは多くあっても問題ないと思います。人を救うためだからです。

弟子:神韻の歌の多くは師父が直接、常人のために書かれたものです。どのようにすれば常人の耳や目に入ることができるのかといつも考えています。師父にお伺いしますが、活動の時、神韻の歌を流してもいいでしょうか? 真相を伝えるとき、神韻の歌詞をパネルに貼ってもいいでしょうか?

師父:神韻のアーティストはほかでもなく常人のために歌っています。歌は歌なので、歌詞だけをパネルに貼っていれば、歌詞が古代の詩だったり、散文体の詩で韻を踏んでいなかったり、詩になっていなかったりするので、常人はそれをスローガン、またはほかの何かだと思ってしまいます。歌はほかでもなく歌なので、常人に聞かせるのは問題ありません。流していいです。

弟子:師父は、幾度となくメディアは国際社会の企業の管理方法を学ぶべきだとおっしゃいましたが、現在の状況から見れば、やはり国内の党文化の影響を受けている国有企業のようになっているのでしょうか? 権限と責任が明確、かつ効率的に分けられていないように思います…。

師父:メディアとして、国際社会のメディアであれば、当然国際社会の会社と同じように運営するべきです。この会社の形は、正常な社会では今の形になっており、これが正常な会社です。大陸の会社は以前、ほとんど邪党が作った国有企業で、もちろん今は多くの民間企業があります。昔は全部、邪党が作った国有企業で、管理手法は邪党の構造を流用しています。中に党委員会、党支部があり、いずれも正常なものではありません。このようなやり方の影響は中国大陸の社会で、短時間で無くすことはできません。民間企業でも、国有企業のやり方、管理手法、概念を多く取り入れています。しかし、国際社会ではこのようにしないでください。国際社会の多くの人は早い時期に中国から離れ、大法弟子は皆海外の大学を卒業しており、大陸の体制からほとんど影響を受けていないと私は思いますが、きっと一部の人の場合、習慣や人柄と物事の対処方法にその名残りがあります。これらのものは正常なアメリカ社会と違うかもしれないので、気をつけるべきです。

弟子:日本人学習者は今の環境が原因で彼らがなかなか溶け込むことができないと言っています。中国人学習者は先頭に立って仕事をするのではなく、日本人学習者の修煉を助けてほしいと思っていますが、なかなか中国人学習者に理解してもらえないのです。

師父:そうですね。もし日本人学習者がこの問題を提起したなら、もっと気をつけるべきです。私が思うには、日本と韓国は鮮明な対比を成しています。韓国では現地の学習者が主導的な作用を働いています。ですから、その影響力、人を救うことの力はいずれも強いのです。社会で本当に作用を働いています。日本の場合、中国人大法弟子が主導的な作用を働いています。多くの日本人で法を得るべき人が入ってくるのを妨げないでください。私にはこの状況が見えたのです。しかし、どの地区もそれぞれの困難があるので、問題があれば大法弟子は一緒に知恵を出し合ってそれを解決すべきです。

 もし、これが原因で日本人大法弟子が入って来られなかったのであれば、これこそ問題です。日本の大法弟子が日本人を救うのです。当然、反迫害のとき、中共邪党が起こしたこの迫害に対して皆声を上げ、制止し、迫害を暴露しますが、これは私たちの責任です。しかし、主な責任は人を救うことではありませんか? 現地の学習者はやはり現地の人を救わなければなりません。

弟子:大陸のネット封鎖で、多くの大法関連の言葉、例えば「真、善、忍」、「法輪大法」などが検閲に引っかかっているので、一部の学習者はネットで真相を伝える時に同音の言葉を代わりに使っています。師父にお伺いしますが、これは適切なのでしょうか?

師父:もし大法弟子の間で話しているのであれば、問題ないはずです。もし、真相を伝えているのであれば、相手は意味を理解できず、何を言っているのかが分からないのです。

弟子:大陸の学習者はインターネットで神韻公演を放送または伝播してもよろしいでしょうか?

師父:だめです。皆さんが知っているように、劇場で上演される神韻公演の人を救う力は非常に強いのです。国際社会ではDVDの配布や販売を行いません。なぜならば、劇場に来て見てほしいからです。劇場ならすぐ問題を解決することができ、人を救うことができます。テレビでは難しいのです。DVDを見た人は、もう見たから劇場に行かないと言うのですが、DVDはこの効果を得ることができません。中国大陸で広めているのは神韻が今、大陸に行けないから、このようにしただけです。それほど大きな力はありませんが、作用を働くことができます。ですから、インターネットにアップロードしないでください。インターネットにアップすると、国内と国際の区別がなくなります。

弟子:真相を伝えるスピーカーの放送に大法の内容や学習者の体験、音楽または真相の内容を一緒にしてはいけないなら、携帯電話やパソコンの保存内容にもこの問題があります。

師父:自分で何を保存するのか、それは自分の利便性を見て決めればいいのです。しかし、スピーカーから流れてきたのは大法の内容、常人の内容、学習者の内容が混ざったもので、どの部分が法なのか、どの部分が学習者の内容なのか、どの部分が常人の内容なのかを聞いても分からないようであれば、混同してしまうのではありませんか? それでは法を乱すようなことになってしまうのではありませんか?(師父が頷きながら) 修煉者は自分の修煉と法のいずれに対しても責任を負うべきです。

弟子:一部の地区の第一責任者は師父から与えられた権力を乱用しており、大きい事も小さい事もその行方を左右し、違う意見を持つ学習者を排除しています。師父が劇場に対する過激な行動を阻止したあと、責任者は自分の問題を探すのではなく、誰が師父に報告したのかを調べていました。

師父:そうですね。一部の責任者の資質はあまりにも常人です。あなたが相手にしているのはこのような修煉者で、つまり今のこの状態の修煉者です。彼らに多くの人間の考えがありますが、彼らは大法弟子なのです。困難はこれほど多く、これほど強いのですが、責任者になった以上、それに対処すべきであり、それに正面から取り組むべきで、彼らに合わせるべきです。人為的に彼らをある状態に変えたり、またはあなたが思っているような人に変えたりするのは不可能なのです。この社会さえ彼らを変えることができません。大法修煉は彼らを変えることができますが、これも一層、また一層と徐々に変わり、表面に到達していないとき、人間は変わらないのです。精進している人のみ、自分で自分を律することができます。しかし、通常では意識できない人さえおり、何も変わらないのです。その人を変えるのは非常に難しいのです。師父である私でさえ、必ずこういう状態でなければいけないとは規定していません。それなら、あなたはどのように責任者を務めるのでしょうか? 一部の人の責任者だけになってはいけません。どのように務めるのか、この問題を考えたことがありますか? 皆さんが一群れの羊のように従ってくれればと思っているのですか? それはあなたが欲していることで、私が欲していることではありません。これほど複雑ですが、どのように大法弟子の責任者をしっかり務めるのでしょうか? 師父はこの責任をあなたに与えましたが、あなたはどのように学習者をしっかり導いてくれるのでしょうか?

 確かに難しいのですが、あなたは修煉者ではありませんか? あなたは修煉者の責任者ではありませんか? 責任者はプレッシャーが大きいのです。そうです。プレッシャーが小さければ修煉ではなくなります。難しいです、確かに難しいです。師父である私でさえ、難しいと分かっています。大法弟子にトラブルがあれば、私でも直接、解決しないのです。執着心でその人は私に口答えをするのです。私と喧嘩してしまえば大変なことになり、彼は師父に不敬を働いたことになり、罪になります。ですから、私は直接、彼らのこれらのことに触れたりしません。トラブルがあって私を訪ねに来たら、(師父が笑って) 責任者と話すようにと答えています。ですから、私は皆さんの困難を分かっています。しかし、逆から言えば、この困難の中でしっかり行うことができれば、それは威徳ではありませんか? 修煉は精進することや速く向上すること、神への道のりでより良く歩むことを重要視しているのではありませんか? 師父は皆さんの困難を十分理解していますが、あまり学習者を困らせないでください。

 これらのことを師父に言いたくないのは、師父に迷惑を掛けないと思っているなら、まだ理解できます。しかし、常人の心から何かを隠そうと思ってそうしたならば、修煉者としての心性の問題です。実は、師父は知りたくはなく、本当に知りたくありませんが、あなたのその心は旧勢力に握られてしまうのです。

弟子:私たち迫害を受けたために海外に来た大陸の弟子も、海外から中国の最高検察院、最高法院に訴状を送り、江沢民を訴えてもいいでしょうか?

師父:もちろんできます。誰にでもできます。これは問題ありません。当初、国際社会で大法弟子が邪悪を訴えたときも、大法弟子でもある弁護士が海外の大法弟子と一緒に行なったのです。

弟子:メディアの現在の状況から見れば、個人的に記事の質がなかなか要求に達することができないと感じています。

師父:メディアは質を高めたければ、優秀なプロのチームが必要です。ここまで話しましたが、あることを思い出しました。時々、ネットで掲載された記事のタイトルは似て非なるものが多く、読んでも分かりません。この中国語の文法まで分からなくなったのですか? タイトルの意味を読んでも分かりません。ですから、これらのことに気をつけるべきです。

弟子:メディアの現在の状況から見れば、記事の質がなかなかプロの要求に達することができないと個人的に思っています。記事の作成に関して内部では意見が大きく違っており、報道の人を救う力が強くないと感じています。どのようにすれば師父の要求に達することができるのでしょうか?

師父:実は皆さんはそこまで心配する必要はありません。皆さんが行なったこれらのことに師父は実はとても満足しています。メディアは多くの作用を働きました。真相を伝えることや、反迫害、人を救うことに大きな作用を働きました。もちろん、記事がもっと上手に書ければ、それに越したことはありません。この人はこのように書くべきだと言い、あの人はあのように書くべきだと言い、これで議論になってもいけません。以前、協力してプロジェクトを行なったときと同じように、この人のアイディアはもっと良いとか、あの人のアイディアのほうが優れているとか、あなたのここがダメで、あそこもいけないとなれば、また行うべきことに影響してしまいます。誰でも満足するようなやり方はなかなかありません。もっと良く行うことができれば、それに越したことはありませんが、そこまでできなくても、仕事に支障を来してはいけません。一部の仕事の場合、そこまで良く行われていなくても、作用を果たすことができます。もっと良く行うことができれば、もちろんさらに作用を果たすことができます。しかし、仕事に支障を来し、作用を果たすことができないようではいけません。

弟子:アメリカに来てから、中国大陸にいた時ほど状態が良くありません。一部の後天的な観念は、良くないと分かっていても、なかなか忘れることができません。師父に申し訳なく思っています。

師父:気づいていれば、これは素晴らしいと私は思います。これは変化の始まりです。それに気づくことができたのです。一部の大陸の学習者は気づくことができず、ひたすら突進しています。このような人はあなたたちがなぜこのようにするのかと思っています。気づいたら、皆さんと力を合わせることができ、国際社会の人に受け入れてもらえるのです。人為的に何かを行い、相手の認識を変えようと思うなら、国際社会の人はあなたが何をしているのかが分かりません。これは厄介なことになります。

弟子:不法な身柄拘束、拷問、ジェノサイド、人道に対する罪などの罪名で極悪非道な悪党の中の下層部の幹部を訴えることに関して、弟子の間に意見の違いがあります。訴えないで内に向けて探すべきだという意見と、訴えるべきだという意見があります。

師父:私はこのように考えています。大法弟子は衆生を救い済度することを根本としており、先ほど話したように、虚言に害毒される中で、幹部にしても警察官にしても生命そのものは悪くないのです。その生命自身は邪悪な幹部ではありません。その生命はもしかしてとても良い生命かもしれませんが、注ぎ込まれた邪党文化と虚言で間違った方向へ進んでしまい、悪事を働きました。しかし、悪いと分かっていても利益に駆られ、悪事を働きました。それでも真相に触れるチャンスを与えるべきです。彼らを皆訴えてしまったなら、実はこれは皆さんが行うべきことではありません。この迫害を制止することは私たちが行うべきことです。私たちを迫害した人、何かを仕出かした人に報復したいという心を皆さんは持つべきではありません。修煉者なので、人を救うしかありません。私を迫害したので、将来懲らしめてやるというなら、常人になってしまうのではありませんか? この報復の心があってはいけません。

 しかし、皆さんに教えますが、法輪功への迫害に関わった人はいずれ償わなければなりません。ある時、ある大法弟子が、将来どのように迫害に関わった人を取り締まるのかと質問しました。私はあなたが関わる必要があるのかと答えました。今、厳しく取り締まられています。トラもハエも一緒に叩かれています。(師父が笑って、弟子の皆さんが拍手) しかも手を緩めず行われています。法輪功はまだ名誉挽回されておらず、まだ救われていない人、まだ修煉が向上していない人がいるからです。終わってしまえばおしまいになります。ですから、現在、旧勢力は法輪功の名誉挽回という名目で彼らを懲らしめておらず、法輪功を迫害したという理由で彼らに制裁を加えることができません。さらに、これらの人ですが、法輪功が迫害されている期間中、旧勢力は彼らを法輪功への迫害に参加させるために、邪悪の虚言で彼らを惑わし、汚職や腐敗、どんな悪事でも働くように仕向け、同時に権力も与えました。まさにこれらの人は今、懲罰を受け、腐敗分子や汚職幹部として処分されています。今はこういう状況です。分かっている人はこれが応報だと言いますが、実はこの形で彼らに罰を与え、彼らが内心でこれが応報だと分かるようにしている、と皆さんは分かっています。しかし、迫害に加担した名目でこれらの人を処分しないのは大法弟子のことがまだ終わっていないからです。

弟子:私は国内のインターネットで神韻公演をネット利用者に見せていますが、海外の学習者に反対されました。なぜ神韻のDVDを配布しても良いのに、ネットで流してはいけないのでしょうか?

師父:確かにインターネットにアップロードしてはいけません。すでに話しました。インターネットにアップすると、国内と国外の区別がなくなるため、神韻の劇場での人を救う効果に影響を及ぼしてしまいます。一部の人はDVDを見て、本来劇場に来るはずなのに、すでにDVDを見たので来なくなります。これでは救われるべき人を救うことができません。なぜならば、DVDにそれほどの力がないからです。国内でなぜDVDを配布していいのでしょうか? 神韻が国内に行けないからです。可能な限りの作用を働けばいい、とこのように考えたのです。しかも、著作権が侵害されやすいため、勝手に行わないでください。勝手に神韻のDVDをインターネットにアップしないでください。

弟子:師父はメディアは神韻に学ぶようにとおっしゃいましたが、管理層は神韻のアーティストは若くて条件がいいのに、私たちは年を取ったし、経験もないから状況が違うと言っています。

師父:(皆笑って)神韻の管理と成功した経験を学び、これを学ぶのではありませんか? 神韻のアーティストが若い人を採用しているのは必要だからです。大法弟子は若い人なら修煉できるというわけではありません。アーティストになるわけではないので、問題ないと思います。いかなる口実も大法弟子が行うべきことを行わないことの理由にはならないのです。

弟子:一部の学習者はメディアのプロジェクトに関わっており、直接真相を伝える活動に参加する時間がありません。時間を作って参加してもいいでしょうか?

師父:メディアをしっかり運営すれば、人を救う力はやはり強いのです。しかも、中国大陸の邪悪な迫害と邪党の腐敗をいち早く暴露することができます。当然、腐敗は迫害と関係ありませんが、それらの腐敗分子は法輪功を迫害する人であり、世の人にこれらの人が迫害に関わっていると伝えるのです。大法弟子を迫害した人は応報の中で倍にして償わなければならないと話したことがあります。中国大陸は現在、どうなっているのでしょうか? 当時、法輪功を迫害した人、あの紅色の恐怖を作った人、大法弟子に精神的な圧力をもたらした人は今日、その罰を受けています。それらの腐敗分子は皆罰を受けています。そうではありませんか?(皆が拍手)

弟子:明慧ネットは大陸の資料拠点に対して、津々浦々まで広めることと、明慧ネットと直接連絡を取るよう要求しています。しかし、大陸の一部の協調人は資料拠点の安全を配慮せず、「全体の協調」という名目であちこち回り、資料拠点を掌握し、すべての資料拠点の学習者を自分に従わせています。 

師父:人心です。人心にほかなりません。名利心、顕示心、負けず嫌いの心です。学習者の安全を配慮せず、大法弟子に困難と危険をもたらしています。すべてのこのような人、あちこち回っている人、学習者の情報を把握しているこれらの人の心は間違っています。中に下心のある人もいます。ですから、これらの問題に気をつけ、このような人に隙を与えないでください。 

弟子:メディアの多くの学習者はたくさんの時間と心血を注いでいますが、多くの人は自分に対する要求が高くなく、勉強したくありません。仕事の進め方はプロから離れており、常人の会社とまったく比べることができません。ですから、メディアが真に世界の大手メディアになれるかどうかを悲観しています。

師父:そうですね。一部の人はどうしてもその場しのぎの考えで仕事をしています。自分が今、どういうことを行なっているのかを考えたことがありません。私はメディアの責任者に、将来必ず世界で最大手のメディアになると言いました。メディアをしっかり運営することは責任重大です。大法弟子が行なったことは、人類社会で延々と語り継がれていきます。皆さんのメディアもずっと存在し、人類社会の主要なメディアになります。人類は皆さんが彼らを救っているのだと分かったとき、皆さん考えてください、大法弟子が運営したプロジェクトを彼らはどのように扱うのでしょうか? 彼らはそれを栄光だと思うのです。(拍手) しかし、一部の人は仕事の出来が悪く、少なくともあなたの仕事の出来ばえが悪いのです。そうではありませんか? 皆、大法弟子のプロジェクトに花を添えようと思っていますが、あなたはその中で花を添えるどころか、逆の作用を働いています。それではいけません。

弟子:法を正すことは終わりに近づいていますが、多くの学習者はなぜ香港の状況がますます邪悪になり、ずっと続いているのかについて理解できません。

師父:実は皆さん考えてください。香港の状況は迫害当初と比べて、良くなったのではありませんか? どこがますます邪悪になったのですか? 今は真相を伝えやすくなり、一日にたくさんの人を脱党させていますが、以前はこれができたのでしょうか? できませんでした。邪悪の妨害ですが、香港はどういう場所でしょうか? そこは邪悪の口です。あなたはそこで邪悪の牙を抜いています。そうではありませんか?(師父が笑って) 大法弟子は素晴らしいと私は言っています。それらの困難ですが、旧勢力はそうであるべきだと思っています。邪悪はあなたをどうこうすることもできませんが、あなたに何の困難もなく、楽にもさせてくれないのです。これは大法弟子の道であり、大法弟子が旧勢力に押し付けられた魔難なのです。これらの妨害と厄介なことも、あなたが救った人が持ってきたもので、人間が造った業力は邪悪に利用され、阻害の作用を働くのです。

弟子:周りの三名の学習者は、程度は違いますが、知能が後退し反応が鈍くなっています。医師に小脳の萎縮と診断され、一人はすでにこの世を去ってしまいました。

師父:もし大陸にいるなら、迫害が原因です。もし海外にいるなら、経験のある大法弟子なら分かりますが、大法弟子にいかなる偶然なこともありません。本当に真剣に修煉から自分自身を見るべきです。大したことがないと思っていることを軽んじないでください。修煉の基準から問題を見るべきです。あなたは小さい問題だと思っていても、旧勢力の大法弟子に対する態度から見れば、それは小さいことではありません。皆さんは一部のことが重要ではないと思っていますが、多くの場合は常人の基準で自らを量っているのであって、法を用いているのではありません! 実は大法弟子は皆、素晴らしく、このような学習者も含まれており、彼らは法を実証する中で大法を守り、人を救うために努力を払ったから迫害されたのです。私はいつもこのように見ています。しかし、私はそこまでされることに値しないと思っています。大法弟子はこのくらいの人しかおらず、全世界の70億人を相手にし、どのくらい救うことができるのでしょうか? 人手が必要なのに、この世を去ってしまいました。

弟子:観光地で真相を伝える学習者は、大陸の人が長い間、邪党に制御されているため、脱退したくても明確に意思表示することを恐れていると考え、相手に脱退の意思を確認する際、相手が頷いたり、微笑んだりすると、脱退の手続きを行います。

師父:それではいけません。いけません。必ず本人の同意が必要です。本人が意思表示せず、口で言わなければ同意したと見なしません。なぜならば、彼はいつも邪党のために働き、邪党のために貢献し、時には命を差し出してもいいと言っているからです。それらの言葉は口で言ったのです。

弟子:迫害初期の頃、一部の学習者は要求に合わない大法の書籍を作製したり、師父の写真の入ったネックレスを作った人もいます。私たちはそれを回収し、もうこれ以上作ったり配布したりしないようにと学習者に伝えました。手元に置いていますが、処分に困っています。

師父:古くなった資料、誤植のある大法書籍は焼却処分にすればいいと私はいつも言っています。しかし、焼却のとき、あまりぞんざいに扱わないでください。焼却してもいいです。

弟子:ハルピン市で、数年前に資金集め、講演して法を乱すなどの事件が起きました。しかも、その後も長く続いています。関わった多くの学習者は今も目覚めておらず、損失を挽回していません。しかし、一部の人は精進しているように見えますが、実は逃避しごまかしています。私たちはどのようにすれば良いのでしょうか?

師父:大法の中でいい加減に修煉している人もいれば、大法の中で隙に乗じている人もいます。修煉が精進していないからそうなった人もいますが、下心があって善良な大法弟子の隙に乗じている人もいます。ですから、これらのことに皆さんはくれぐれも気をつけるべきです。寄付したり援助したりする場合、何のために使うのかを知る必要があり、はっきりと分かる必要があります。そうでなければ、このようにしてはいけません。その人にお金をあげましたが、彼を支持しているのと同じで、あなたも間違っています。ですから、旧勢力はあなたが騙されたと見なさず、仲間になりその人を支持していると思っています。ですから、皆さんはこれらのことにくれぐれも気をつけて下さい。

 この問題を話しているとき、「このように考えておらず、私は大法弟子で、意図的にその人を支持するなんてありえない」と思っている人がいます。人間の行動と事の結果こそ生命の真実の現れです。神はこのように見ています。生命が口で言っていることと行なっていることは別のことではなく、高次元の生命はこのように問題を見ています。先天的にこのようなことをしでかすと定められた人がいます。口では良いことを言っていますが、行なったことの結果は逆です。多くの人は先天的にこのように行動すると定められたのです。以前話したことがありますが、大法が広く伝わるとき、全ての生命は大法のためにやってきますが、必ずしも全て法を得に来たとは限らず、多くはマイナスの作用を働きに来たのです。

弟子:大陸で長い間、各地の能力があり、本来なら大きな力を発揮できる協調を担当する学習者が深刻な迫害に遭い、学習者の間のトラブル、排除、病業などの形の妨害と迫害に遭っています。本人がかつて仕事の中でマイナスの作用を働いたことが原因なのでしょうか?

師父:大陸の状況はとても複雑です。考えが少しでも間違えば、旧勢力に隙に乗じられてしまいます。ですから、くれぐれも自分の修煉と仕事を行う動機に気をつけてください。なんといってもあなたは紅色の恐怖の環境にいるのです。

弟子:(訳文)私はトルコの大法弟子です。一部の古い弟子は集団学法と大法のプロジェクトに参加していません。私たちはどのように一つの全体を成すのでしょうか?

師父:実は、ヨーロッパの責任者に話したことがあります。大法弟子が迫害された初期、ヨーロッパは大きな作用を働き、反迫害の力が非常に強かったのです。皆さんの心は本当に一丸になっていましたが、後で徐々にばらばらになってしまいました。ヨーロッパの責任者に、皆さんが真面目に修煉に取り組み、本当に大法弟子らしくならないといけないと話しました。修煉に力を入れなければ、皆ばらばらになって離れてしまいます。形式的に集めても、何かを行うとき常人が集まって行なっているのと何の違いもなく、彼らを引き止めることができません。なぜならば、生命は法を得るため、修煉を得るために来たのですが、後天的な観念が法を得ることと前進することに影響しています。本人はこれらのことに気付くことができませんが、古い学習者は必ず法から彼らを導くべきです。

弟子:メディアの経営の主な問題は目先の利益を得ることを急いでいることだと思います。名利でセールスの学習者を奮い立たせ、彼らを個々に分け競わせています。彼らはお互いに警戒し合い、情報を秘密にしています。会議のときも自由に発言できず、修煉者の能力と智慧が制限されました。

師父:そうです。これは近代の中国人の良くない習性です。中国人は大きい商売ができないと言っている人がいます。皆さんに教えますが、国際社会の人はどういう心構えでビジネスを行なっているのでしょうか? 大規模なビジネスでも小規模なビジネスでも、それを自分の生活の一部だと思っており、全力を尽くしてそれをしっかり行い、長く続くようにするのです。この心構えで仕事に取り組む態度や製品の品質を良くするのです。多くの大陸の人は一夜にして金持ちになりたいと思い、仕事に長期の計画はありません。ほかの国の人はこのように考えておらず、経営は仕事であり、自分の生活です。見合った利益があればいいと彼らは思っています。皆さんのメディア、各プロジェクトでの仕事ぶりに時々、こういう習性が現れることがあり、気をつけるべきです。

弟子:台北(たいぺい)の観光地での真相を伝える拠点は邪悪の団体に妨害されています。どのようにすればいいでしょうか?

師父:(師父が笑って)どうしてもこれほど難しいのです。邪悪は自由社会の隙に乗じています。中共のスパイは自由社会の言論の自由の隙に乗じています。実は中共邪党は悪魔であり、冷戦時代、または世界で邪党が現れたばかりのとき、全世界の人はみな反対していました。全世界の各国政府は邪党を制限し、その存在を認めず、イベントや集会、デモなどなおさら認めませんでした。悪魔だと見なし、それこそ本当の意味の甚だしい災禍だったのです。しかし今は、徐々に国際社会の人は意識が薄れてしまい、東ヨーロッパの邪党まで崩壊したと思い、ますます緩め、邪党は公然と反共産党の台湾で邪党の旗を振って叫んでいます。見ていると本当におかしいのです。いずれにせよ、皆さんはそれを困難、人を救う困難だと思い、行なうべきことを行ない、影響されないようにすれば、邪党もつまらなくなります。

弟子:一軒一軒ポスティングをすることはすでに神韻を宣伝する方法の一つになっています。協調人は毎年、大陸から出てきたばかりの地方の学習者を誘ってこのプロジェクトに参加させています。協調人は現地の学習者から金品の寄付を集め、地方からきた学習者の生活費を賄っています。この費用は神韻の経費に含まれておらず、完全に透明な会計報告もありません。協調人はフルタイムで神韻の宣伝に関わっているので、自分自身の生活も大変かもしれません。また、地方からきた滞在資格のない学習者のために難民申請を行なっています。これは神韻宣伝を口実に難民申請をしていることになるのでしょうか?

師父:私はこのように考えています。一部の地区は神韻宣伝の局面を打開したいので、ほかの地区または一部の新しい学習者に参加させています。厳密に言えば、重要な部門でなければ、問題ないはずです。ポスティングは直接、真相を伝える必要がないので、問題ないはずです。当初、中共邪悪が深刻に妨害しており、神韻は社会で大きな知名度がなく、皆神韻を知らないので、当時神韻が作ったポスティングの資料もそれほど綺麗ではなく、迷惑チラシと思われてしまいました。さらに、邪党のスパイの妨害があり、神韻を誹謗中傷していたのです。しかし、今は違います。少なくともアメリカでは、誰もが神韻を知っており、大人も子供も神韻を知っていて、神韻が高級なショーで、一流だと分かっています。ですから、高級住宅地で綺麗なチラシをポスティングしたとき、皆さんに教えますが、彼らは如何なる反感も持っていません。「なるほど、神韻だ」と思っています。心の中で「これは私たちが見るべきショーだ」と思っています。大体この状況です。しかし、一部の地区でまれに苦情電話があり、調べてみたら、中国人がわざとやったのです。それらの中国人は中共に害毒され、または自身がスパイで破壊工作を行おうとしています。そのような人に影響されないでください。

弟子:真相の内容がない雑誌ですが、人手はとても掛かっているのに、利益をあげていません。行う必要があるのでしょうか?

師父:真相を伝えなければ、もちろんダメです。大法弟子はなぜそれに関わっているのでしょうか? しかし、真相を伝える力の大きさの問題なら、別のことになります。常人の会社を運営していれば、私は反対しません。皆、常人社会で仕事をしており、あなたの生活の問題もあります。もし、大法弟子が運営するメディアが主流社会に進出するために、真相を伝える文章を少なくしていれば、それは方法の問題です。主流社会に進出したい場合、真相の文章が多いとやはり無理です。

弟子:(訳文)プロジェクトの協調人は時に師父から聞いたことを私たちに伝えていますが、私たちはこのようなまた聴きの情報にどのように対処すればいいでしょうか?

師父:(師父が笑って)確かに一部の責任者は仕事が進まなくなると、師父を担ぎだします。「師父が言ったから」、「師父がこのように言ったから」と言っています。実は、あなたは師父がこのように言ったと言うと、学習者はすぐにあなたは能力が足りず、師父の名を持ち出しているのだと分ります。(弟子の皆さんが拍手) ですから、一部の人は、大きいことでも小さいことでも師父を訪ねてきますが、私は全部、断っています。師父に認めて欲しい人は多くの場合、抵抗に遭ったからです。私が意見を述べると、戻って違うことを話し、師父の同意を得たと言うのです。実は、以前私はいつもこのように話していました。その人からこのことはこのように行なっていいかどうかと聞かれて、「大法弟子のプロジェクトは師父は反対しません。良いと思えばそのように行なっていいのです」と答えています。この一言で、その人は戻ってから、師父の同意を得たから、このようにしましょうと言うのです。それでも学習者が従わないなら、「これは師父に認められたことだ」と言うのです。(皆笑って) これで話が変わりました。そうでしょう? ですから、時には私はそういう人との面会を断っています。

 修煉は皆さん自身のことであり、どのようにしっかり行うのか、どのように皆と協調を取るのか、それはあなたが歩まないといけない道であり、あなたの修煉の一部です。師父のところに押し付けていいのでしょうか? なぜ拒否するのでしょうか?

弟子:五十数カ国と地区の8000人あまりの大法弟子が師父にご挨拶を申し上げます。(弟子の皆さんが長時間にわたり熱烈に拍手)

師父:ありがとうございます。(師父が合掌) 修煉は根本であり、人を救うことは私たちの責任です。この二つのことは全部、しっかり行うべきです。私が思うには、私たちが法会を一回開けば、飛行機代はどれくらいかかるのでしょうか? 巨額な金額です。食事、宿泊は、またどのくらいかかるのでしょうか? 大法の資源は特に国際社会では、とても限られています。皆さんは法会を形式的なものにしてはならず、法会で師父がまた何かを言った、と法会を情報を広める手段としないでください。師父は皆さんが一日も早く向上し、この法会を通じて修煉で遭った阻害を真に解決できるよう望んでいます。ですから、法会が終わって、外に出ると何の収穫もないようではいけません。

 これは集まりではなく、皆が顔を合わせるための集まりではありません。修煉は厳粛なことです。旧勢力はなぜここまで迫害しているのでしょうか? この形勢はなぜこれほど過酷なのでしょうか? それらは厳粛になっています! 皆さんは自分で自分を修煉しているのに、まだ厳粛に取り組んでおらず、それなら自分に対して申し訳が立たないのです。あなたが救おうとする生命に対して、なおさら申し訳が立たないのです。ですから、このように話しましたが、皆さんが精進できるよう望んでいます。どこまで法を認識できるのかも、あなた自身の修煉にかかっています。師父として、神のこの道でさらに速く、さらにしっかり歩むよう期待しています。ありがとうございました。(師父が合掌し、弟子の皆さんが長時間の拍手。師父が会場全体に向かって手を振る。師父が会場から去り、弟子の皆さんは起立したまま、師父が離れていく方向に向かって拍手し続ける)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/5/21/309837.html)