文/中国の大法弟子 宇明
【明慧日本2015 年11月18日】1996年6月から法輪大法の修煉を始めた私は70歳を過ぎましたが、18年の修煉の中で多くの不思議な体験をしました。いくつかのことを通して、私は修煉の道で、慈悲なる師父が私の代わりに多くのことを負担してくださったことを身に沁みて感じました。
『轉法輪』を買う途中であったこと
私が大法の修煉を始める過程は簡単なように見えますが、今になって考えると容易ではないことが分かりました。1996年のある日、甥が私のところに来ました。私は「外地にいた時、君たちの手紙に『不思議な本がある』と書いてあったけど、どんな本ですか?」と尋ねました。甥は「私のところに1冊あります。見たい人は多いのですが、実は県全体にこの1冊しかないかもしれません」と答えました。私は「その本はどこにありますか? まだ見つかりますか? 今時間があるから、絶対にその本を読みたいです。君たちは神秘的なことを言わないでください」というと、彼は微笑んでゆっくりと上着を開いて、紙で包んである『轉法輪』を出し、「本はここにありますが、一つ条件があります。明後日の午前中に本を返しに行くので、必ず2日以内で読み終えて下さい」と言って両手で渡してくれました。私はすぐ「明後日午前中に返します」と答えました。
私は新鮮な思いで『轉法輪』を家に持ち帰り、2日間かけて読み終えました。驚き、喜び、涙し、もっと早く出会えばよかったと複雑な想いでした。これは普通ではない2日間でした。3日目の午前に甥が来ました。そのとき、私の最初の言葉は「この本はどこで売っていますか?」でした。甥は「武漢市の近くの都市にありますが、僕たちが住んでいる県にはこの1冊しかありません」と話しました。私は「素晴らしい、さっそく明日そこに行って本を買います」と話しました。
翌日私はすぐバスで甥が教えてくれた都市へ出発しました。このバスの定員は45人でしたが73人乗っていました。私は6番の席に座っていました。バスは狭い砂利道を走っていました。目的地まで30キロになった時、バスが急にスピードをあげたので、私はなぜか抑えられなくなって「運転手さん、スピードを落とさないとぶつかりますよ!」と叫びました。しかし、運転手は答えませんでした。私はまた「運転手さん、スピードを落として、バスがぶつかりますよ」と言いました。しかし、運転手は依然として答えませんでした。私は人が多すぎて、彼に聞こえていないかもしれないと考え、もう一度大声で「運転手さん、早くスピードを落として、バスはもうすぐぶつかります!」と叫びました。運転手は不愉快そうに「うるさい!」と言いましたが、言った途端に「ドン」という音がして大型トラックにぶつかり、2メートル下の水田に転落しました。人々は転覆したバスの中で慌てふためいていました。私が速やかに外へ出てみると、運転手の座席は壊れて運転手はもう死んでいました。でも私はかすり傷さえ負っていませんでした。
当時私は自分が運が良く、幸いだったと思っていましたが、後で魔がわたしの修煉を妨害していたとわかりました。師父は私を守って命で償うべき借りを代わりに返して下さいました。
業を消去した体験
私は元々胃癌を患っていました。1987年5月、胃が痛くてたまらなくなり、県の病院に15日入院し、様々な薬で治療しましたが痛みは一刻も止まりませんでした。私は県で4人しかいない労働模範の1人だったので、衛生局の局長は病院の院長と有名な医者たちを選んで何回も診断させました。最後になって院長から「省都に行って治療を受けなさい。あなたは胃癌を患っています」と言われました。私は翌日退院し、家に帰って漢方で20日間治療してようやく痛みが止まりました。
1999年8月、私が修煉を始めて2カ月目に、再び胃癌の症状が現れました。この時、私はこれは病気ではなく、師父が私の体を清めて下さっているとわかりました。私は心性を守り、苦を嘗めて業を滅しました。しかしこの苦痛は普通の苦痛ではなく、痛み出すと四肢が冷え、全身から汗が出て、筋肉が痙攣し、刀でえぐられるような気がしました。胃は縄で縛られるように痛み、痙攣するときはハンカチを縛るような痛さで、耐えがたかったのですが、私は強靭な意志でそれに耐えぬきました。心の中で今すぐ命で償うとしても1錠の痛み止めも飲まないと考えていました。1週間過ぎて、下痢が始まりました。一番多いときは1日に28回も下痢をしましたが、それは水のように出てきました。「私は修煉者だから、師父が代わりに耐えてくださるのを、見守っています」と考えました。痛みが少し緩和したので師父の説法の録画を見ました。3日間下痢をしたら腹筋が柔らかくなって痛みも軽くなりました。友人たちは「病院へ行かなければならない」と言いましたが、私は「これは自分の借りを返しているのだ」と説明しました。妻は「あなたは馬鹿だ。命も要らないというの?」と言いました。でも私の心は盤石のごとく堅固で、師父を信じ大法を信じていました。
業を滅し始めから55日目、午後5時43分のことをはっきりと覚えています。その時、私は低い椅子に腰を掛け、両手で腹部を押さえ痛みをこらえていました。この時、自分の体が大きくなり、どんどん体が大きくなっていくのを感じました。突然この体が一つの大きな山になり、その中のきわめて頑固な花崗岩が落ちていくのが見えました。私の胃の痛みが即座に消えました。私は狂喜して「私はよくなった! 私はよくなった! 師父、ありがとうございます! ありがとうございます!」と叫びました。
私は妻にすぐ市場に行って豚肉を買ってきてくれるよう頼みました。55日間に1キロのおかゆしか食べていなかったので空腹でした。肉の料理とご飯が食べたくなりました。けれど妻は「あなたはもう神仙になったのに、まだご飯を食べますか?」と言って助けてくれませんでした。私は気にせずに、500グラムのご飯を炊き、1キロの肉を買ってきて食事を作り、がつがつとお腹いっぱい食べました。胃癌の症状もなくなりました。
7階から落ちた瞬間
1998年の秋の午後5時過ぎ、小雨が降っていました。私は、会社から帰ってすぐに大法の資料を用意しようと、4階の自宅の前まで来ましたが、鍵がないことに気づきました。夜の煉功点では資料が必要で、私が持って行かないとみんなに迷惑をかけてしまいます。そこで、7階の屋上に行って後ろの雨除けのひさしから入ろうと思いました。弟と妹も一緒に上って私の右手を縄で巻いて片方は弟に持ってもらって降りました。しかし、4階まで降りたら雨除けのひさしまで水平方向で170センチくらいの距離があり、届かないことが分かりました。弟は私を引き上げようとしましたが、何回引っ張っても7階まで引き上げることができませんでした。84キロもある私は、手首を結んでいた縄がだんだんきつくなってきて、痛くてたまらなくなりました。屋上にいた弟もだんだんきつくなり、弟の体はもう雨除けのひさしの上まで出ていました。雨除けのひさしは薄く、私は重いので、弟は私を引き上げることができませんでした。
この時私は冷静に考えました。今7階から落ちたら必ず死んでしまいます。雨除けのひさしは2人の体重に耐えることができません。もし雨除けのひさしが崩れたら2人とも死ぬことになります。私のために兄弟2人一緒に死んではいけません。この時、私は「師父、私が落ちて死ぬべきなら何も言いませんが、どうしても圓満成就して、師父について帰りたいのです」とお願いをしました。この時私は生死を放下し、強い意志で「弟よ、手を放して」と言いました。弟も疲れ切って、縄をつかんでいた手を緩めると、私は下に落ちました。妹は弟が縄を放したのを見て「お兄さんが下に落ちて死んでしまった!」と叫びました。
危機一髪の時、私には長方形のスポンジのようなものが自分に向かってくるのが見えました。私より何倍も大きい人が後ろから2本の巨大な手を私の脇の下から伸ばしました。空中に漂っていた私はあっという間に葉っぱにくるまれたように家の屋上に向かって行き、穏やかに立ちました。私は妹に「私は下に落ちていない、私は死なないで、ここに立っているよ!」と呼びかけました。妹は大声で泣きながら「どの菩薩が兄さんを守ったの? なぜ屋上に立っているの?」と尋ねました。私は「師父が私を守ってくださいました! 早く師父に感謝して!」と叫びました。
このことはすぐに広まり、屋上に17人も集まりました。誰もがこのことを見ていて、私が落ちなかった原因を分析していましたが、どうしても説明できませんでした。屋上にいた人はみんな「この出来事はすごい」と言いました。
この時私も再び下を見ましたが、足が震えました。本当に怖かったです!
師父が再び私の命を救ってくださいました。