母と兄が拷問に殺され 娘が江沢民の罪を告訴
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 【明慧日本2015年12月12日】法輪功学習者の董欣華さん(57歳女性)は2015年7月27日、江沢民による法輪功に対する迫害により、家族が深刻な迫害を受け、兄と母が相次いで迫害により死亡したことを理由に中国最高検察院宛に『刑事告訴書』を郵送した。

 下記は董さんが『刑事告訴書』で述べた法輪功修煉の体験と中国共産党による迫害事実の抜粋である。

 我が家は一家全員(母、長女、次女の私、長男、次男、三男、三男の娘、息子、の8人)が1994年から相次いで法輪功を修煉し始めました。

 私の兄の董欣然は『中華気功』という雑誌で法輪功の紹介を読んだことがきっかけで、北京へ出張したついでに『中国法輪功』を一冊購入しました。その後家族でこの本を読み、家族も修煉の道を歩み始めました。

 母は李洪志先生の1994年4月28日の長春での講義、同年6月30日の大連での講義、そして同年8月20日の延吉での講義に参加しました。母は6人の子育てのための過労で、リウマチ、心臓病、めまいなどの病気を患って、毎日薬を飲んでいました。しかし法輪功の修煉を始めてから薬の服用を一切断ち切ることができました。また母は法輪功が教える「真・善・忍」の基準に従って良い人として行動し、普段の生活でのトラブルに対してもいつも寛容に対処し、性格がとても優しくなりました。

 兄の董欣然も師父の講義に参加したおかげで、長年の胃病と肝炎が無くなりました。兄は師父が病気を治癒してくださったことに常に感謝していました。日々の仕事を一生懸命こなし、法輪功の教えに従って良い人として行動してきました。昼の休憩時間を使って100人以上の会社の職員の自転車を修理し、会社の乗用車が故障しても無償で修理しました。また、学費がなく学校にいけない生徒のために2万元近くを寄付するなど、会社中が認める模範的な良い人として尊敬されてきました。

 私自身も1998年に乳腺癌と重度の貧血があるとの健康診断の結果が出てから、兄が修煉して病気が全て無くなったのを見て修煉を決意しました。私も修煉を通じて病気が治り、人との付き合いも楽になりました。

 しかしながら、兄の董欣然は2000年7月20日から同年8月の間、正当な理由もないまま遼寧省沈陽市鉄西区の610弁公室に拘束され、その後地元の洗脳センターで洗脳迫害を受けました。兄は絶食を通じて強制洗脳に抗議しました。仮釈放される際に600元を没収されました。

 2001年夏、兄は地元の派出所の警官らに再度身柄を拘束され、家財を没収されました。このような迫害に遭いながらも、兄は修煉を放棄しないことを理由にさらに睡眠はく奪などの迫害に遭いました。

 2011年9月15日、兄は地元で法輪功の真相資料を配布していたことが理由で警官らに身柄を拘束され、その後不法に沈陽市留置場に拘束されました。毎日10時間以上の肉体に対する虐待を受けました。警官及び警官の指示で動く他の受刑者らによる暴力も受けていました。

 2001年10月、兄は3年の労働教養所での収容処分を言い渡され、張士労働教養所で拘禁されました。その間に警官らによる数々の拷問に遭ってきました。例えば、数人によるめったうちをされ、タバコの火でやけどをされる。数本の電気ショック棒で同時に電撃される。つまようじで足の爪と指の間を刺される。睡眠はく奪、強制洗脳、法輪功を誹謗中傷するビデオ、新聞を見るよう強制される。他の法輪功学習者との会話を禁じられる。毎日19時間の強制労働を強いられる、などがありました。このような迫害及び重労働のため、兄の健康状態は著しく悪くなりました。2001年12月に一度釈放され、法輪功の修煉で直ちに体調が回復しましたが、その後も派出所の警官らによる度重なる私生活の妨害、恐喝を受けてきたため、2003年5月から放浪生活を強いられました。

 兄は2004年3月31日に再度警官らに身柄を拘束され、引き続き迫害を受けましたが、2004年6月に拷問により危篤状態に陥ったのです。

 2004年6月4日午前、兄の妻及び私の母が刑務所の病院で兄を見たとき、既に痩せこけてこん睡状態になっていました。それでも刑務所の病院は兄の釈放を拒み続け、交渉の末最終的に5000元の抵当金と3000元の医療費を支払ってようやく釈放されました。その晩、兄を沈陽市第八人民病院に運びました。兄の体中にタバコの火によるやけどや、電気ショック棒による電撃の焦げがあり、右腕の前腕が骨折し、歯は落ち、唇は裂けており、口の中、鼻及び耳の中は灌食による異物がたくさん残っていました。意識不明の兄は時折痙攣し、それ以降自力で生活ができなくなってしまいました。兄の症状をみた医者は、何らかの薬物を注射された可能性が高いと述べました。兄は2013年11月12日に58歳で亡くなりました。

 2000年11月9日、母の梁毓琴は沈陽市皇姑区610弁公室の警官らに身柄を拘束され、その後尋問を受け、連続32時間以上の睡眠はく奪に遭い、心身共に甚大な苦痛をなめさせられました。

 2002年7月6日午後、地元の610弁公室、公安局及び派出所の警官ら20人が母を強制的に洗脳センターに連行しました。洗脳センターで母は強制的に法輪功を誹謗中傷するビデオを見るように強いられ、修煉を放棄することを宣言する『三書』を書くように強制されました。書かなければ睡眠をはく奪されました。このような迫害を受けて半月が経ってから、母の心臓病が再発したので臨時釈放されました。

 母は洗脳センターで二度も精神的な拷問を受け、三回にわたる家財没収を経て、73歳の高齢にもかかわらず半年以上各地を放浪する生活を余儀なくされました。さらに、子供たちも法輪功の修煉を理由に何度も身柄を拘束され、様々な拷問に遭いました。息子たちを助けるため母は各地区の派出所、公安局、司法局、留置場、労働教養所を回りました。さらに、警官らが再々家宅捜索し、家財を没収したため生活が苦しくなりました。迫害により意識不明となった兄の看病もずっと母がしてきました。

 無数の苦痛と迫害が際限なく降りかったため、母は2008年7月に79歳で亡くなりました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/11/14/319114.html )
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/11/25/153818.html)
 
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