明慧法会|拘置場の中で法を実証する
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2016年4月4日】私は江沢民を告訴したことを理由に地元の警察官に不当に連行されました。警察官は私を十数日間不当に拘留しました。拘置所の室内にはほかにも江沢民を訴えた3人の同修がいました。私はこの拘置所で4人で一緒になって法を実証し衆生を救い済度した経過を書き出し、みなさんと分かち合いたいと思います。

 全体を形成し三つのことを緩めない

 大法弟子は学法しないわけにはいきません。拘置所には大法の経書はありませんでしたが、私たちは毎日法を暗記しました。毎日必ず新しい『論語』を暗唱し、数日後、4人は『道法』を暗記することができました。それ以外に、『轉法輪』、『精進要旨』、『洪吟』、『洪吟二』、『洪吟三』の中の経文もできるだけたくさん暗記しました。

 そして私たちは学法以外に、どのように真相を伝え発正念し、中国共産党の迫害を解体するのかを、毎日相談しました。そして私たち4人各々が誰に真相を伝えるのに適しているか見つけたり、協力して行う場合、誰かが真相を伝えている間に他の人が正念を発し、他の空間で衆生が真相を聞くのを阻止しようとする邪悪を解体しました。

 同修のAさんは連行された時からずっと、警察だろうが、拘置所の警官だろうが、あるいは「610弁公室」の人員だろうが、どこに行っても真相を伝え、人に会えば真相を伝えていました。拘置所に連れて来られ入口で手続きを行っていた時も、そこにいた保安員にも真相を伝えました。しかしその時は時間が短すぎて三退を勧められせんでした。Aさんはずっとその保安員の事を気にかけており、最後には拘置所を出る時に三退してもらいました。

 またAさんはほとんど毎日トイレに行く時間を利用し、警官に会えば必ず真相を伝えていました。その警官がどんな態度をとろうと、いつも相手の目を見ながら微笑みをたたえ、自分の考えに基づいて真相を伝え、その伝え方は相手の態度によって変わりませんでした。だからAさんが真相を伝えると、警官はみな三退しました。ある時、同じ拘置室に拘置されていたすべての人と警官の目の前で悠然と真相を伝えた時、別の警官が阻止しようとしましたが、もう1人の警官が「彼女に話させろ」と言ったこともありました。

 同じ拘置室にいた人に煉功を教えていた時、警官が私たち4人だけを呼び出し戒めました。これは私たちに与えられた真相を伝える機会でした。警官はAさんが話が多すぎると言い、Aさんに真相を伝えさせないようにしようとしました。すると今度は同修のBさんが立ちあがり真相を伝え始めました。私たち3人は黙って正念を発しました。その警官は真相を聞きながら説教しようとしていましたが、最後にこの警官は私たち4人の前で三退することに同意しました。

 私たち4人の中でCさんは一番年配です。Cさんの親和力はとても強いのです。私たちが、拘置所の所長と話させる事、そして即時釈放を要求した時のこと、Cさんは私たち4人の代表として副署長と話ができるようになりました。そしてCさんは正々堂々と真相を伝え、三退を勧めました。また同室に拘禁されている受刑者に対して、優しく、親しみを込めて法輪功に対する誤解を解いた結果、受刑者たちはCさんと世間話をするようになりました。

 また1人の女の子が拘禁された時のこと、その時はすでに昼食の時間は過ぎていました。Cさんは拘置所で買った牛乳とカップラーメンとお菓子をその女の子に食べさせました。するとその女の子は感動して泣きだしました。その女の子は「ここがよくないところだと思い、心を鬼のようにして入って来たのに、まさかこんな良い人に心からもてなされるなんて思ってもいませんでした」と言いました。

 私は警官に真相を伝えてはいませんでしたが、同修に暗記した経文を教え、みんなに大法に関係した歌を教え、大法を大切にして福報を得た物語と、神伝文化の物語をみんなに伝えました。そして、朝、警官が巡回に来た時に、警官と拘置されている人たちの前で、即時釈放を要求し、「いかなる迫害も私たちが再び江沢民を告訴するための証拠となります」と声明を出しました。

 内に向けて探し自分を正しく修める

 拘置所内で私たちが最もよく切磋琢磨した問題が「江沢民を告訴するということは、法を正す進展によって推進された必然の結果である」ということでした。十数万人が江沢民を告訴したことにより、私たちは警察、検察、裁判所、および郵便局の衆生に自分の位置を配置する機会を与えたのです。そして多くの人が正義の側に立ち、江沢民告訴の大潮流を推進することに対して、自分たちが行うべきことを行い、自分の未来に福報の種子を植えつけました。これこそが師父が望んでいらしゃったことなのです。

 しかし私たち4人は迫害され、警察署と拘置所に拘禁され、もしここの衆生に対して汚点を残したならば、大きな損失を招くことになり、これは師父が望んでいらっしゃらない事です。この点に関して私たちに漏れがあり、中国共産党に隙を突かれたのです。私たちのどこに漏れがあったのでしょうか?

 Aさんは次のように語りました。「私は1人で借家に住んでおり、そこは身分証に書かれている住所ではありませんでした。それはこの住所ならば中国共産党は自分を見つけられないと思ったからですが、これは恐れる心でした。これ以外に、自分が告訴状に記入した発信人の住所は本当の住所ではなく、これは「真」ではありませんでした」

 Bさんは次のように語りました。「私が告訴状を書いた動機には多くの雑念がありました。一つ目は書くことにより関を越えるという考え方です。この考えは自分が立ち上がったことを実証したいことに繋がっていました。二つ目は自分の戸籍はこの土地ではなく、中国共産党は自分を見つけることができないという考えが自分の内にあり、それは恐れる心でした。三つ目は、同修である夫より先に告訴状を書いたというのも、家の中のことは何でも自分が決めるのだと思っていたからで、これは常人の利益を求める心でした」

 Cさんは次のように語りました。「私は三つの方面で漏れがありました。一つ目は、私は早い時期に告訴状を書き、順調に中国最高法院と最高検察庁に届けられたのですが、そこで歓喜心が生まれてしまった事。二つ目は、告訴状を書き終わってから自分への要求を緩めてしまい、学法にも気を緩めてしまった事。三つ目は、家庭の経済条件が比較的良いので、長期にわたって安逸心が養われてしまった事です」

 私はどうだったでしょうか? 実際、不当に連行された時からずっと自分の原因を探してきました。私はAさんと知り合ってから、Aさんが正念をもって正しく真相を伝えているのを見て、自分との距離を認識しました。それでやっと自分が迫害された深層の原因を本当に認識することができるようになりました。

 私の悟りでは原因の一つは、私は長い間、個人修煉の次元を抜け出していなかったことです。法理の上では、大法弟子は三つのことをしっかり行わなければならないことを理解していましたが、潜在意識の中ではやはり個人修煉の道を歩んでおり、真相を伝えることにも消極的で、さらに場当たり的で、人を救うことへの緊迫感がありませんでした。原因の二つ目は、今回、江沢民を訴えることに関しても、法理の上では行わなければならない事だと認識していましたが、関を越えたいという心理と、三つのことを行うにおいて数合わせ的な動機があり、三つのことという雪だるまを大きくしたいと思っただけで、警察、検察、裁判所の衆生を救い済度するという慈悲心はありませんでした。ですから、告訴状を送ってからは、自分への要求を緩めてしまい、子供が休みで家にいたために家事で忙しく、真相を伝えることがおろそかになり、さらに煉功も続けることが難しくなってしまいました。原因の三つ目は告訴状を送ることについて、最初のうち同修の夫に内緒で行っていた事です。それは夫が絶対に同意しないことがわかっていたからで、私は夫が精進せず恐れる心が重い(実は私自身にも恐れる心があった)ことを恨み、夫が自分の足を引っ張っていることを恨み、そこには夫に逆らってやろうという闘争心がありました。

 このように内に向けて探すことによって、私たち4人は「修煉は厳粛なことだ。このような歴史的に重大な任務は正念を持って正しく行ってこそ担うことができる。私たちの道はとても狭いが、忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」ということに気づきました。

 真に自分を修め、本当に良く行おうとすれば、この拘置所内に拘禁されている期間に、師父が私たちのために絶妙な按排をなさってくださっていることを理解できるはずです。ある時期は警官に対して重点的に真相を伝え、ある時期は同じ拘置室にいる人たちに重点的に真相を伝えました。そしてまたある時期は、私たち同修間にトラブルが発生した時に、各々が修煉によってまだ取り除かれていない執着心をお互いに見て取りました。これらすべてのことを経験しやり終え、私たちは元の家に戻っていくことになるのです。

 ある日、同修間の交流に問題が発生しました。Aさんは交流したがらず、「一人ひとりの悟りが違うので、交流は意味がない」と言いました。さらに話し続けると、今度は「もう何も言わないでください」と言いました。Aさんの様子を見てみると、Aさんは発正念はもちろん、他のこともせず、ただ長時間同じ場所に座ってぼんやりしていました。このような状況下で私は焦りました。私たちは一つの全体であるはずなのに、このような状態が続けば中国共産党に隙を突かれてしまうと思いました。私は他の同修を呼んで「中国共産党によって私たちが隔てられてしまうことに警戒しなければなりません。私たちには『内に向けて探す』という神通力をもつ宝物があるのですから、すぐにそれを使いましょう」と言いました。

 まず私自身について探しました。すると私の内に同修を見下げる心がありました。Aさんの真相を伝える方法は効率的ですが、時として常人に受け入れられず、人によってはAさんの話を聞こうとしないことがありました。Aさんが真相を伝えた相手から反感を買った話を私に聞かせたことがありましたが、私は聞いていて耳に心地よかったのです。そして「Aさんの真相を伝える方法は、文化レベルの低い人たちにしか通用しないのだ」と思っていました。

 後になって深く探っていくと、自分の中に隠されていた嫉妬心が災いしていたことがわかりました。Aさんが真相を伝え一人ひとりに三退させていくのに対して、私にはそれができなかったからでした。私の嫉妬心が良くない物質を生み出し、Aさんが真相を伝える場を妨害し、そのことが、Aさんが真相を伝えようとしている常人の良くない思想を湧き出させる結果を導いたのです。私はそのことを悟らなかったばかりでなく、Aさんの問題を探していたのでした。

 私は今やっと「実際、表面的にどのような真相の伝え方をするのかは問題ではなく、法に基づいて真相を伝えさえすれば、師父のご加持を得られ、Aさんが修めた慈悲が現れるので、Aさんが真相を伝える時、強大なエネルギーが打ち出され、その強大なエネルギーは他の空間で人を操る邪悪要素を解体するので、Aさんが真相を伝えれば、人は耳を傾けるようになるのだ」ということを悟りました。

 後でAさんも私の心を軽蔑していたと言いました。Aさんは私の話が法を理解していないために次元に限りがあると言いました。

 私は「邪悪は私とAさんの間を良くない物質でふさいだ。そのことが私に反映されたのが私がAさんを軽蔑した理由で、それがAさんに反映されたのがAさんが私を軽蔑した理由だった」ということがわかったのです。

 Aさんの話から、私は自分の修煉の問題を見つけました。私は何年も修煉してきましたが、個人修煉の次元を抜け出していなかったのです。個人修煉の理を法を正す修煉に当てはめようとしましたが、当然当てはめることはできず、だからこそAさんは私が法を理解していないと言ったのでした。

 またBさんは、Aさんの心が目障りだと感じ、Aさんが自分の経験と三退の成果を繰り返し話すのを聞き、何回か聞いたらもう聞きたくなくなったと言いました。Cさんも、Aさんの心が目障りだと感じ(AさんとCさんは長年の知り合い)、Aさんは家庭をうまく保っておらず、すでに多くの損失を出しており、Cさん自身もAさんのように自我を押し通そうとする傾向があったので、Aさんのことで気がもめていた、と言いました。

 Aさんは私たちの話をそれ以上聞こうとせず、私たちに話をさせませんでした。私たち3人は「あなたには人に指摘されることを許さない心があります」と言いました。私は「私は『理も法もはっきり教えてあげましたが、それでも自分自身を向上させようとする意欲が湧いてこないのだとすると、誰を恨むことができますか?』[2]という師父のお言葉を思い出しました」と言いました。私が師父のお言葉を唱えると、Aさんは怒りだし「あなたたち3人とも盲目的に他人に追従しているだけです! 師父のお言葉を持ち出して私にプレッシャーをかけようとしています! 自分の修煉がどうなのか、それは師父だけがご存じのはずです!」と言いました。

 夜になり、Aさんがうつうつとした様子で私の隣で眠っているのを見て、「師父は『心から相手を思い、私心が全くなければ、あなたの言葉は相手を感涙させます』[3]と説かれています。それならなぜ私が話すと人の反感を買ってしまうのでしょうか?」と思いました。

 自分の心の中にはやはりAさんを見くびる要素があったことに私は気づきました。自分では内に向けて探すことを重視していると思っていましたが、Aさんが内に向けて探していないと見てとると、私はAさんが修煉を着実にやっていないと感じました。すると私の内に顕示心と歓喜心が湧き出してしまったのです。Aさんに話していた時、私は話せば話すほど調子づき、闘争心を帯びて来て、師父のお言葉で同修を修めようとしたのでした。そして私にこのような多くの良くない心があることを師父がご覧になり、Aさんの口を借りて私を悟らせたのでした。

 問題が見つかった後、急いで発正念で清めました。その日、私たちは発正念の時はいつも、同時に私たち4人の空間場を清め、特に私たち4人に隔たりをもたらしたほかの空間にいる邪悪を解体しました。

 翌日の朝、私たちはいつもと同じようにAさんを呼んで法を暗記しようとしましたが、Aさんが来なかったので、仕方なく3人で暗記することにしました。しかし、その日は『真修』を暗唱する予定だったのですが、3人とも暗唱できず、Aさんだけが暗唱できたので、私たちはAさんに「早く来てください、私たちは暗唱できません、待ってますよ!」と懇願しました。

 するとAさんがやって来て「とてもつらい、この関を乗り越えられません。昨夜、師父は涙を流されました。師父は私のために気をもんでいらっしゃった」と言いました。さらに「私の修煉はまったくできていないので、他人の話を聞き入れることができません。以前、私はこのような同修に会ったことがあり、その時は他人の意見を聞き入れるように勧めました。しかし今度はまさかそれが自分に回って来るなんて、どうしてこんなにつらいのでしょうか!」と言いました。

 原因は私にもはっきりとわかりませんでしたが、Aさんが戻って来て私はとてもうれしくなり、突然目から涙があふれだしました。自らの心を抉り骨にまで突き刺すように内に向けて探した後に、師父はが大きな手で他の空間を遮って下さり、そして他の空間にあったものは大きな音を立てて地面に転んでしまったということを私は微かに感じました。

 Aさんの顔に以前のような生き生きとした表情が現れました。まさに、真相を伝えれば力の及ぶところすべての障害が取り除かれるのです。Aさんは次の日に出所することになっていましたが、まだ拘置室内の4人の人に三退を勧めていませんでした。私は自分が出所する前にすべての人に一通り真相を伝えようと思い、心の中で今日はこの人に真相を伝え、明日はあの人に真相を伝え、明後日はあの人に真相を伝えようと計画を立てました。

 昼食を食べていた時、Aさんは自分は明日出所するが4人の人がまだ三退していないと言いました。しばらくして気がついてみると、Aさんは座り込んで人と話していました。そして1人の人の手を引っ張りながら真相を伝え、また別の人の膝をなでながら真相を伝え、他の人には小声で真相を伝え、また他の人には別の伝え方をし・・・2時間経たないうちにAさんが私の所に来て「4人全員三退しました」と私に教えてくれました。私は本当に心の底からAさんを敬服し、「私も頑張らなければならない!」と決心をしました。

 拘置所内での法を実証する環境

 拘置所内では、私たちはいつも強い正念を保ち続け、師父のご加持の下、拘置所の外にいる同修の放つ正念の加持の下、拘置所内での場を正してきました。

 私たちは自分たちが拘留されている受刑者だと認めていなかったので、拘留者の身分にかかわることは一律に受け付けませんでした。私たちは点呼に応じず、拘留者の規則を読み上げず、拘留者の毎朝の日課である中国共産党の歌を歌わず、その代わりに、『法輪大法は素晴らしい』や『生々世々は此の一生のため』や『夢から覚める』などの大法に関係した歌を同じ部屋にいた人たちに教えました。時には、私たちは窓の外に向かって大声で歌い、この歌声ができるだけ遠くに届けばいいのに、と願いました。

 この十数日間の間に、法を正していることが大きな環境の変化をもたらしことを、私は強く理解しました。警察署から拘置所まで、等級が高い警官ほど大法に対して不敬なことをせず、さらにある警官は機嫌を取るような態度まで取っており、数年前までの勢いはまったく影をひそめてしまいました。

 実際、私たちに罪がないことを警官はわかっており、ただ明確にそれを表さないだけなのです。細部において、警官の私たちに対する態度と、その他の拘留者に対する態度が違っていることを、私たちは感じ取ることができました。

 拘置所内で、私たちが点呼に応じなかった時、警官は「点呼に応じないのであればそれでいい」と言いました。私たちが中国共産党の歌を歌わなかった時、警官は「歌わないのならそれでいい」と言いました。釈放された時、私たちは中国共産党が用意した紙にサインしませんでしたが、警官たちは「サインしないならそれでいい」と言いました。

 私が不当に拘留された時、宿直の副所長が大声で笑いながら「ここにはあなたの姉弟子や妹弟子がいますので、煉功もできるし、交流もできますよ!」と言いました。副所長は話しながら片手を立掌して正念を発する姿勢を取り、まるで法輪功の広告をしているかのようでした。

 ある警官は私たちが行うすべてのことに対して全力を尽くすと表明してくれました。そして語気を強めて「考えてみてください、ここはあなたたちが街で行う(煉功)より自由じゃないですか?」と言いました。

 毎朝、私たちは大声で『法輪大法は素晴らしい』などの大法に関する歌を歌い、巡回に来た警官は扉の前を通るたびにいつも私たちの歌声を聞いていました。私たちの所に巡回に来た時に、私たちがちゃんと座禅をし、ちゃんと歌を歌っているかを確認する警官もいました。

 また拘留者が刑期満了で釈放される時、必ず罰金を収めなければならないのですが、私たちが出る時は、誰からも罰金を徴収されませんでした。

 ある時、売春・麻薬・賭博に陥って抜け出せなくなった15、6歳の少女に対して、その警官もどうすることもできず、笑いながら私たちに「彼女たちにちゃんと話して聞かせてやってください」と言ったことがありました。その警官は明らかに「法輪功は人に良い人になるように教える」ことをはっきりと知っていました。

 またこういう事もありました。若い警官がこっそりと「あなたたちが歌っている(『夢から覚める』を指す)のを聞いたのですが、何の歌ですか?」と言いました。その警官が興味を持っていることは明らかでした。そこで私たちがその警官に歌を教えると、その警官はにこにこしていましたが、法輪功を学ぼうとはしませんでした。

 同じ拘置室にいた少女たちは警官よりもすぐに真相を理解し、ほとんどが三退しました。さらに喜ばしいことは、ある人は積極的に私たちから功を学び、またある人は「出所したら法輪功を学びます」と明確に表明しました。

 2人の班長が大法を支持し、毎朝の日課として専門の時間を作ってくれたので、私たちはみんなに大法に関する歌を歌ってもらいました。私たちが大声で歌い、『佛光はあまねく照らす』を歌った時、姿勢正しく両手で合掌していた人までいました。

 はじめてみんなが『夢から覚める』を歌った時、琪琪(仮名)も一緒に歌い、涙まで流していました。私が誰にこの歌を教わったのかと聞くと、彼女は祖母だと言いました。しかし祖母は大法弟子ではありませんでした。祖母は神韻も聞いたことがなく、ただ敬虔に神仏を敬慕していたということでした。何人かの少女たちもこの歌を知っていましたが、しかし、神韻のことは知りませんでした。ある人はここで聞いたと言い、ある人は別の場所で聞いたと言い、それではいったいどこで聞いたのかと問われても、みんなはっきりと説明できませんでした。私は「神韻の歌はすでに中国で静かに広がり、それは雨が静かに降り万物に潤いを与えているかのようだ」と思いました。

 ある日の晩、私とBさんが『生々世々は此の一生のため』を歌っていると、おしゃべりしていた琪琪は話すのをやめ、私たちの方に近寄って聞き始め、さらに近寄って聞き、どんどん近寄って来て、最後には私たちの前まで近寄って来て、きちんと座禅を組んで聞き始めました。

 そばで本を読んでいた丹妮(仮名)も手に持っていた本を手放し、近寄ってきて聞き始めました。歌を最後まで聞き終えると、丹妮は何か考え事があるかの様子で「この十数日間、私がここに入れられたのは、もともとこの歌を聞くためだったのではないかという気がしました。というのも、私は何年もの間、この歌を待ち望んでいたような気がするからです」と言いました。そして丹妮の目は話せば話すほど輝いてきて「知っていますか? 私のペンネームは『塵封』といい、何年も使ってきました。『どうしてこの名前なの?』と他人は私に聞きました。しかし実際、私にもよくわからず、説明しようとしても、実際説明できなかったのですが、この名前を使うことにしたのです。しかし今日、歌詞の最初の二つの言葉『紅塵の中で輪廻し 迷いの中で本性は封じられる』[4]を聞いて、私はその答えを見つけ、まるで長年の宿題をやっと知ることができたかのようです」と言いました。私は『生々世々は此の一生のため』の歌詞は私たちの師父が自らお書きになったものであり、丹妮はきっと大法と縁があるからで、家に帰ったら必ず『轉法輪』を読みなさい、そうすればもっとよくわかるはずだから、と丹妮に教えました。丹妮は厳粛にうなずきながら「必ず読みます!」と言いました。

 丹妮に教えた歌の歌詞が素晴らしい、とたくさんの人が言い、私たちが歌詞を書いてあげると、みんな歌詞を見ながら歌いました。拘置室にペンがなかったので、毎日数分間だけペンが使える(買い物の)時間にみんなは私たちにペンを渡し、私たちは急いで歌詞を書きました。

 ある寝苦しい晩、昼間から太陽がかんかんに照りつけて暑く、その日は琪琪の機嫌がまた悪くなり、琪琪は何度も寝返りを打っても眠れず、深夜まで苦しい思いをしていたようでした。次の日、私は琪琪に「困った事や悩み事があったら、心の中で『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と念じなさい、そうすれば思いもかけない収穫があり、あなたはそれをゆっくりと体験していくはずです」と話しました。別のある日、その前の晩に琪琪が念じてみると、『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』を2回念じただけで眠ってしまい、朝までぐっすり眠れた、と琪琪は私に教えてくれました。

 ある日、整列していた時、琪琪は私の隣にいました。手にできた吹き出物を私に見せて、「かゆくてたまらない」と言い、琪琪は他の人に移してしまうことを心配しており、そうかといって誰かに話すこともできず、いらいらしている様子でした。私は「いらいらしないで、この間教えた『法轮大法好,真善忍好(法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい)』という9文字を念じてみて」と言いました。琪琪はうんともすんとも言いませんでした。しかし、5分も経たないうちに琪琪は「お姉さん、本当に効き目がありました、見て、なくなりました」と言いました。私が見て見ると、本当に吹き出物はくなっていました。その後、琪琪は私に「『法輪大法は素晴らしい』と念じると心が安らかになり、この感覚がとてもいいです」と話してくれました。

 ある時、私たち4人が一斉に新しい『論語』を暗唱していた時、なにげなく振り返ってみると、少女たちは物音ひとつ立てずに私たちを囲んで座りながら真面目に聞いていました。

 さらにある時、私たち4人が『道法』を暗唱していて、最後の一段落まで来た時、うまく暗唱できず、少しつっかえてしまい、最後の「注意」の段落を暗唱しようとした時に、数秒止まってしまいました。するとその時、横から『わたしは皆さんに人為的に何かをするようにと言っているわけではなく』[5]と、続きを暗唱する声が聞こえて来ました。なんと、能天気な小順(仮名)はずっと私たちが暗唱していたのを聞いていました。彼女は師父のこのお言葉を覚えていたのです。私たちはとても驚き、そして喜びました。

 またこの小順が私に会った時の第一声は「法輪大法が素晴らしいことは、世界が知っている!」でした。明らかに、小順は以前真相を聞いたことがあるようでした。私が発正念していた時、小順は他の人に「お姉さんは煉功中ですから邪魔しないでください」と言っていました。「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍はすばらしい」を覚えた後、小順は大きな声で「私はもう法輪大法の修煉者です!」と宣言していました。誰かが不注意で師父に対して不敬なことを言ったりすると、小順はすぐに「私の師父を侮辱することは許しません!」と一喝しました。私が小順に「『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍はすばらしい』を念じるだけでは大法弟子とは言えず、必ず『轉法輪』を学び、5式の功法を煉功し、真・善・忍の教えに基づいて行わなければなりません」と話した時、小順はすぐにBさんに「お姉さん! 出所した後、必ず私に『轉法輪』(電子版)を送ってください! 必ずですよ!」と言いました。

 美君(仮名)は出所する前、わざわざ私たち4人に別れを告げに来ました。そしてここでの経験は、美君が持っていた(中国共産党の嘘の宣伝により引き起こされた)法輪功の印象を完全に覆したと言いました。

 美君が拘置所に入って来た時、中国共産党の宣伝の毒害を受けていたために、大法弟子は精神が異常な人の集まりだと思っており、遠く離れて観察していましたが、すぐに自分の考えは間違っていたと気づきました。私たちの話が理性的ではっきりしており、積極的に部屋を掃除してきれいにし、できる限り人を手伝い、態度は和やかで親しみやsく、恨み言を一言も言わないのを知ってから、美君は私たちに対して好感を抱くようになりました。美君が私たちと交流した後、私たちのほとんどが学歴や教養があり、睦まじい家庭を持っており、子女も優秀であることを知ると、美君の観念は徹底的に正されました。もともと共産党が宣伝していたものは全部うそで、法輪功が素晴らしいことがわかったのでした。

 美君はもともと縁のある人でした。1999年の初めに1日だけ公園で法輪功を学んだことがあったのでした。しかしその時はつらいのは嫌だと言って煉功しなかったのですが、こんなに素晴らしい縁を逃していたとは思いもよらなかったのでした。しかし美君は師父の煉功DVDをずっと大事に取っておいたのです。美君はその煉功DVDを見たことがあり、師父が煉功を教える動作はとても優美だったので昨日のことのように覚えている、と言いました。その年にもし美君が法輪功との縁を逃していなかったなら、美君の人生の歩みはもっと素晴らしいものになっていたことでしょう。美君は夫と仲たがいして離婚しなかったでしょうし、憂さを晴らすためにギャンブルに夢中になること事もなかったでしょうし、今の種々の苦痛もなかったでしょう・・・。

 美君は並大抵ではないほど美しく、態度もきちんとしていました。美君は私の隣で眠ったある晩に声をひそめて話をし、美君の知られざる境遇を打ち明けてくれました。賭博や拘留などの言葉は、美君のすばらしい姿とはまったく違和感を伴っていると思いました。しかし、美君が出所したその日、すべてはまったく良い方向に変わっていました。

 出所する前、美君は私の手を取り、厳粛な気持ちで「外に出たら必ず法輪功を学びます。私は『轉法輪』を手にし、法輪功修煉者を探します」と言いました。美君の美しい顔立ちを見て、心の中に『蓮の花の賛歌』が響き渡りました。「原本洁白自天来,落入凡间红尘埋・・・(純真なまま天からやって来て、俗世間に落ちていく・・・)」

 もともとすべてがこうなるように按排されていたと私は知りました。拘置室の扉が開き、うららかな陽光が美君の美しい顔を照らし、美君は手招きをするように手を振りながら、きちんとした笑顔をたたえて歩いて行くと、天に通じるような道が美君の前に広がっていきました。

 一つの生命が救われるのを見ること以上に人を喜ばせることが他にあるでしょうか?

 今回の経験を振り返って見て、本当に多くの感慨がありました。江沢民を告訴するうえで修煉がよくできていなかったために、修煉の上でつまずき、拘置所に入れられてしまいましたが、拘置所に入れられてしまったという苦難から立ち上がってみると、この十数日の間に意外な収穫があったことに気づきました。私はいつも笑いながら師父のお言葉「修煉していれば、いかなる事も良い事です」[3]をより深く体得しました。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「苦其心志」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [3] 李洪志師父の経文:『世界法輪大法デーの説法』
 [4] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「世々生々は此の一生のため」
 [5] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「道法」

 (明慧ネット第12回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/11/8/318655.html)
 
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