「陰で他人を批判する」ことについて
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2016年6月6日】修煉者は真・善・忍の教え通りに自らを律していけば、知らない間に質朴で正直な人になることができます。このような人は近づき易く皆に好かれ、そして、何かあれば相談しに来たり、うれしいことがあれば分かち合ってくれたり、疑問があれば共に交流してくれます。しかし、この中で少なからず誰かの事をいろいろ噂したり、「陰で他人の善し悪しを批判したり」することがあります。

 このような時、私も他の同修のように真っ先に内に向けて自分自身を探します。なぜ自分にそう言ったのでしょうか。なぜ私に聞かせたのでしょうか。自分にもそのような人心があるからでしょうか。それとも心性に漏れがあるから、それを修煉するためにあえて聞かせたのでしょうか。自分の前で言われた「他人の噂話」はまさに鏡のように、自分自身を見つめ直し、不足な部分を探すことができます。

 もちろん、その場ですぐに思い出せないことはありますが、ほとんどの場合、後になって内に向けて自らを探します。なかなか原因や人心を見つけられない場合もありますが、そのような時はもっと深く掘り下げてみれば、普段気づかなかったり、深く隠されていたり、あるいは習慣になっている問題が見つかるかもしれません。もし原因を見つけることができたら、これから普段の生活や仕事の中で常に抑制することを心に刻まなければなりません。これが修煉し、精進するということだと悟りました。

 以前の私は怨恨の心と闘争心が強く、特に嫉妬心が格別に激しいものでした。しかし、他人があれこれ批判したり、誰かの善し悪しを言ったり、文句やぐちをこぼしている時など、隣でそれらを聞いても調子を合わせたり、言いなりになったりせずに「自分はどうだろうか」と内に向けて探し、そして、学法することを通じて自らを抑制し、時間をかけてようやくこれらの悪い心を取り除くことができました。

 今年の2月の下旬から3月の上旬までの間、他人の事を陰で批判するようなことが再び目の前で起こりました。これにより自らの色心と物質利益において貪欲な心がまだ深く根付いていることに気づきました。なぜこれほど長く修煉してもまだ純粋にならないのかと悩み、煉功している時でさえ何度かこれらの悪い心を抑制することができませんでした。「特効薬」がないのは分かっています。近道がないのもよく理解しています。法を勉強し、トラブルが起きた時の機会を利用して他人ではなく自分自身を見つめ直し、内に向けて自らを探すことにより、一日も早くすべての執着心を取り除いていくしか方法はありません。

 「陰で他人の事を批判する」ことは極めて悪い言動です。大法の修煉者として目の前で他人の事を悪く言われたり、貶されたりした時は、私はまず自分自身を見るようにしています。内に向けて探すほかに、沈黙したり、簡単に、「さあ?」、「私は知らない」、「そんなことはないと思うよ」など興味のない言葉を発しています。もしどうしても状況を変えられない時は話題を変えてみたり、理由をつけて離れたりして、自分に近づく人に間違いを起こさせないようにしています。

 陰で他人を批判する人は、自分なりの考えや意見を持っているのに、それを堂々と口にしたくなく、陰でこそこそと他人を批判するような方法で自分の意見を言ったり、相手に対する不満を発散する人です。このようなとき、徳を失わず、しっかりと口を修めた上で状況に応じてできる限り妥当に対処しています。

 2015年、会社への注文が左下がりの情況が続くにつれ、工場の生産も中断したり、止まったりしました。このような時は食堂の従業員もシフトを変えながら働かなければなりません(出勤しないと給料がもらえない)。ある時、「〇〇さんはいつも自分の妻の時間帯を延ばすんだよ」とある従業員が私にささやきました。その人が言っていることは事実であり、その上自らの仕事にも関わっているので、すぐに適当な時間を見つけてその人に注意すると、相手も平穏な態度で聞き入れてくれました。またある時、〇〇さんが上司と飲みに行って、それからカラオケでどうのこうのと私の目の前で興味津々に言ったので、それを聞いて責任感に駆られた私は、翌日、〇〇さんを叱りつけました。これこそ真に自分の事を思っての事だと彼女は思っていました。

 悪意を持った告げ口に関してはできる限り関わらないようにし、常に内に向けて自分自身を探し、自らを修めるようにしています。相手を批判している人の言っていることが事実であれば、後で適切な時間を見つけて、告げ口をした人の罵りの言葉を伝えず、誠実さをもってその人に告げます。陰で愚痴をこぼすのではなく、はっきりと本人の前で善意をもって教えているので、相手も機嫌を損ねるはずがありまぜん。

 「陰で他人を批判する」ことを聞いたとき、自分がどのような行動をとるかが問題です。正しいことをすれば自分にも相手にもよい結果をもたらしますが、悪いことをすれば、マイナスの効果を引き起こすことになります。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/5/24/329133.html)
 
関連文章