文/中国の大法弟子 波瀾
【明慧日本2016年8月5日】1997年、息子は突然の事故で亡くなりました。亡くなる2日前、息子は「お母さん、お母さんは体が弱いから、大橋の下の煉功拠点で煉功したらどうですか」と言ってくれました。当時、私は何の功法かも分からず、息子の言葉を気にも留めませんでした。
息子を失った私は、精神の崩壊の瀬戸際に瀕し、毎日息子の事を思い、いろんな病気も再発し、死んだ方がましだと思いました。その後、誰かから「息子さんが言っていた煉功拠点は法輪功を煉るところです。それは佛家の高尚な大法です」と言われました。それを聞いた私は、心の中にぱっと閃きを感じ「これこそ求めていた修煉ではないだろうか」と思ました。
煉功拠点に行って最初の2日間、煉功をすると、熱いエネルギーの流れが体中を駆け巡りました。また、別の空間の線香の匂いがして、頭上に穴が開き、そこから気が抜けるように感じました。さらに、体が上に引っ張られ、地面を離れそうになった感じがしました。私は「これは決して普通の功法ではない」と思いました。
私は一冊の『轉法輪』をいただいてきて、真剣に読み始めました。師父が説かれた「六道の中で輪廻する間、あなたの母親は人であるのもいれば、そうでないのもおり、数え切れないほどいます。そして、生まれ変わる度ごとにあなたがどれくらい子供を持ったのかも分かりません。誰が母親で、誰が子供なのか、死んでしまえば、お互いに誰も分からなくなりますが、造った業だけは相変わらず返さなければなりません」[1]を読んだ時、自分は子供への情を放下すべきだと悟りました。また、人生の苦しみは業力を返すことと見なせば、それは、返本帰真においては大変結構なことだと分かりました。
そのため、私は家で学法グループを作りました。4、5人からはじめて、早くも30人にまで増えました。私たちは毎朝煉功して、夜法を学び、すべてに真面目に厳粛に対応しました。トラブルに遭えば内に向けて探し、比して学び比して修して、強いエネルギーが空間を漂っていました。こうして、息子に会いたい苦しみは次第に解消されました。他の病気、例えば心臓病、リューマチ、頭痛なども、いつのまにか消えてなくなりました。師父は私を生死の瀬戸際から救って下さり、新しい命をくださいました。
同僚と近所の人に真相を伝える
1999年「7・20」以後、共産党は狂気にかられたように法輪功を迫害しました。しかし、法を信じ、師父を信じる強い意志が揺れ動くことはありませんでした。職場でも、生活の場でも、私は「真・善・忍」に基づいて自分を律して、個人の損得を言い争わず、体も健康になって、国の医薬費を節約しました。私が法輪功を学んでこれほど変わったのを見て、誰でもが私を応援し、彼らに真相を話すと、皆もとても賛同してくれました。
上司は私の仕事ぶりを見て、無理やりに保証書に署名させるのを止めました。私はすべての縁のある人に、「法輪功は迫害を受けています。私たちは皆良い人になろうとしています。『真・善・忍』に賛同すれば、誰でも受益し、誰でも健康になれます」と言いました。ある人は「私は『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と歩きながら念じていたら、体が軽快になりました。今、なんの病気にもかかりません」と言いました。またある人は「私は10数年間不眠症に悩まされていましたが、今寝る前に『法輪大法は素晴らしい』と念じれば、朝までぐっすり眠れるのです。本当に素晴らしいです、あなた達の師父に感謝します」と言いました。
身体障害者の子が救われた
1999年、夫は外出した時、捨てられた体に障害のある赤ちゃんを拾ってきました。この子は生まれて僅か10日ほどでした。家族は皆引き取って育てることに反対して「こんな体に障害のある赤ちゃんをどう世話をすればいいの?」と言いました。私は「この子に障害があるかどうかはともかく、彼女は一つの命です。私たちは救わなければ、この子は死ぬしかありません。人の命を救うことは自分にも福をもたらします。その上、私は修煉者ですので、すべてを師父に託します。この子はきっと元気になります」と言いました。
毎日、師父の説法を赤ちゃんに聞かせ、入念に育てました。5、6歳の時、娘はやっと歩けるようになり、8歳の時、やっと話せるようになりました。私は夫と娘をおんぶして省の大病院に治療に連れて行きました。医者は「この子は先天性精神障害ですので、学校には行っても、養護学校に行かなければなりません。お二人は、この子を一生面等見てあげなければならないでしょう。治療ができると言ったら、それは金を騙しとるための嘘です」と言いました。
私は諦めませんでした。帰って来て、娘を普通の学校に入学させました。夜になると、『轉法輪』を読んで聞かせました。1年後、彼女は自力で『轉法輪』を通読できるようになりました。精神障害を持ち、医者に死刑を下された子は、普通の子供より多くの漢字を読めることは、大法による奇跡ではありませんか。この子は法を得るために生まれてきたのではないでしょうか?
今、娘は力の及び得る範囲で、私を手伝うことができます。それに、年配の同修のために、ネットで三退の名簿を発表することができます。ネットから明慧週刊や音声資料をダウンロードすることもできるのです。大法の事でしたら、彼女はなんでもできるのです。偉大で慈悲なる師父は娘を救ってくださり、我が家を救ってくださいました。これは大法が創った奇跡です。
真相を伝え、人を救う
今、毎日娘と法輪功が不法に迫害されている真相を伝えに出かけています。娘は正念を発して、メモを取り、私は話をします。同修は皆娘の事を「小さな秘書」と呼んでいます。私たちはお互いに協力して、雨の日にも風の日にも、厳寒の日も酷暑の日も関係なく、一度も休んだことはありません。1日あたり、多い場合20数人、少ない場合5、6の人に真相を伝えています。普段喋るのが苦手な私ですが、慈悲なる師父のご加持の下、今、絶えず真相を伝え続ける事ができるようになりました。
人を救う中、相手は偉い人であろうがなかろうが、県の長から普通の庶民まで、私は彼らに、法輪功が迫害されていることを話し、法輪功は世界の百数カ国に広がっていること、大法弟子は「真・善・忍」に基づいて良い人になるように努力していること、強権を恐れず、自分で節約したお金で衆生を救い済度していることを話しました。
きちんと話が出来た時、衆生は先を争って三退をします。ある学校の校長先生は私に「こんなに上手に話せて、どんな質問にもしっかり答えて、あなたの学歴は?」と聞かれました。私は「いいえ、私にはあまり学歴はありません。師父はあなたを救おうとしておられるのです」と言いました。校長は「脱帽しました。三退しましょう」と言いました。
人心を放下して、神に向かう
2012年、私は同修と真相を伝えていた時、密告され、公安局に連行されました。警官は凶暴な様子で、師父にたいする暴言を吐くようにと強制しました。私たちがそれを拒否したため、不法に15日拘置されるようになりました。
拘置所で、私は少しも怖くありませんでした。師父は「生死を放下できればあなたは神になり、生死を放下できなければあなたはやはり人間です。」[2]とおっしゃっていました。私は警官に真相を話し、彼らに「大法弟子に優しく対応すれば、自分に退路を残し、子孫に福をもたらすことができます」と言いました。ある警官は「ここで、お前はよくそんな話を言う勇気があるね」と言いましたが、私は「それは真理です。なぜ言う勇気がないのでしょうか」と答えました。こうして、私は2日間で黒巣から出て来ました。師父のご加持のおかげで、何度も危険な状況から無事に逃れることができました。
以前、私は利益を求める心がとても強い人でした。法を学んだ後、名誉、利益、情をすべて放下し、特にお金に関しては、道に落ちているお金は拾わず、貸したお金を返してくれればもらうが、返してくれなければ求めないようにしていました。大法に従ってしっかり自分を律している時、師父は別の空間のたくさんの神佛を見せてくださるのです。一回、1人の大きな佛様が私を見て「早く天国に戻ってくるように待ち望んでいる」と言われました、
数年来、真相を伝える時、すべて師父が道の下地を敷いてくださっています。正念さえ持っていれば、できないことはありません。師父は「上士、道を聞けば、勤めて之を行なう。」[3]と説かれています。私は常に娘に「しっかり学び、練功し、精進して、この千載一遇の機縁を大切にしましょう。なぜなら、大法は私達親子を救ってくださり、偉大で慈悲なる師父は私達を天国に導いてくださるのです」と言っています。
注:
[1]李洪志先生の著作:『転法輪』
[2]李洪志先生の著作:『米国法会での説法』「ニューヨーク法会での説法」
[3]李洪志先生の著作:『シドニー法会での説法』