法輪大法に新たな命と生きる道を教えられ!
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中国の大法弟子が口述し、同修が整理する

 明慧日本2016年10月15日】大法の師父の慈悲なる済度により、私は二度目の命を得ました。師父に対する感謝は、いかなる言葉を使っても表現し切れません。

大法は私に二度目の命をくださいました

 私は今年67歳で、四川省中部地域のある貧しくて辺鄙な農村に生まれました。暮らしは貧しく、中国共産党が起こした文化大革命に遇って、小学校しか出ていません。

 19歳の時、両親は人に頼んで、結婚相手を紹介してもらい、その相手は収入のある鉄道関係の労働者でした。私たちは一回顔を合わせただけで、三週間後に、結婚しました。夫は気性が非常に激しく、少しでも思うようにならなければ、殴りかかるか、さもなければ醜態をつくか、そのどちらかでした。私も弱みを見せず、殴り返したりしたので、体がいつもアザだらけでした。3、4年後、まじめに働かない彼は、上司と同僚との関係がうまく行かず、会社を解雇され、家に戻って来ました。

 安定した職場を無くしたにもかかわらず、彼は悪習を改めるどころか、私に対して、今まで以上にひどくなりました。私は子育てをし、農作業をし、舅と姑の世話をしているのに、なぜこんなひどい人と結婚したのかとよく後悔しました。多くの人も陰で「あの夫婦は釣り合わない」と言っていました。心身共にストレスにさらされ、私は次第に病気がちになり、体調が日に日に悪くなりました。しかし、この苦しみから逃れることができず、夫の暗い陰の下で生活するしかありませんでした。

 1998年、法輪大法が地元まで広まって来ました。多くの親戚は煉功して、心身共に健康になりました。私も勧められましたが、夫は「お前は俺の言う通りにしろ」と許してくれませんでした。

 体調が悪く我慢していた私は、もうこれ以上無理だと思って病院に検査しに行きました。結論は性前庭胃炎でした。医者に、「胃はすでにボロボロになっているため、一生薬を飲んでも治ならいだろう。胃の切除手術を受けるしかない」と言われ、「手術するには30万元以上かかるが、完治する保障はない」とも言われました。それを聞いた私はまるで死刑を宣告されたように呆然となりました。残りの人生をどう過ごせばいいのか、毎日泣き暮れては薬を飲み、一日一日無意味に過ごすしかないと思いました。こうして、1カ月が過ぎ去ったある日、息子が買って来た胃薬を飲んだ後、突然意識を失いました。夫は慌てて救急処置を取ってくれました。目が覚めた時、夫が泣いているのを見ました。は「明日、お前は法輪功を習いに行ってこい。法輪功の師父は神様で、たくさんの人が煉功して病気が治っているそうだから」と言いました。

 夫の許可を得た私は随分元気になりました。しばらくしてから、眠りにつき夢を見ました。夢の中で、私は峨眉山に登り、突然、空からたくさんの刃物が飛んで来て、山の上に群れた人達を刺して来ました。頭を刺された人の脳みそが、あたり一面に飛び散っており、多くの人達が死んでしまいました。しかし、刃物は私の所に飛んできませんでした。悪夢からはっと目が覚めた私は、夢の内容を夫に話すと「法輪功の師父がお前の面等を見てくださったお陰で、お前は助かったんだ。早く煉功しに行ってこい」と言いました。

 翌日の明け方、私は郷鎮政府の所在地にある煉功点に行きました。2、3キロの距離を2、3時間かけてやっとたどりつきました。そこでは、師父の広州での説法の第五講を放送していました。煉功点に着くと、私はすべての疲れを忘れ、とても集中して真剣に聞きました。昼の12時に、1講を聞き終わってから、私はとても元気になり、体も軽くなり、何の病気もなかったようになりました。薬を飲む時間になりましたので、お湯を探しました。その時、数人の同修が「一緒にご飯を食べましよう」と誘ってくれました。私が「お湯を探している」と言うと、同修は「あなたが本気で大法を学べば、病気のことはもう考えなくてもいいのよ。師父があなたを助けてくださいます。病気のことを放下しなければ、師父は病気を取り除きたくてもどしようもありません」と言いました。牛肉ラーメンを一緒に食べに行きました。牛肉ラーメンが入ったどんぶりを目の前にして、2カ月前から薬を飲む時、お湯を飲んでも喉を通らなかったのに、今、ラーメンの美味しそうな匂いに食欲をそそられ、一気に完食しました。唐辛子の辛さも全く気にせず、病気もなくなったようでした。大法の不思議さに魅了された私は「師父は偉大過ぎる」と思いました。

 午後、法を聞く時、私は早くも1列目の席に座らせてもらいました。今度は全部はっきりと聞けました。それから、師父の『論語』も拝読し、夕方に帰宅した時、元気いっぱいで歩いて家に帰り、30分もかかりませんでした。家に近づくと、私は声を上げて「お父さん、お父さん、ほらこんなに元気になったわよ」と大声で叫びました。夫は「夕飯が用意できたから、食べろ」と言ってくれ、私はおかゆをがつがつと食べました。

 家族は皆びっくりして私を眺め、「法輪功は本当に凄いね!」と歓声を上げました。翌日の朝、私はサツマイモのおかゆを2杯も食べ、家族は皆喜びの中に浸っていました。息子は「お父さん、お母さん、30年間も喧嘩して来たのだから、今からは、お母さんの病気も治ったことだし、仲良く老後を心穏やかに送って欲しい!」と言いました。

 法を学ぶ事を通じて、私は「夫が優しくなかったのは、前生彼に借金があり、この世でその借金を取り立てに来たからで、に返さなければならないのだ」と悟りました。また「真・善・忍に基づいていい人になるようにすべきで、大きな善と大きな忍を持ってに対応しなければならない」と思いました。一方、夫は私が元気になったのを見て、とても喜んでくれ、暴力を振るわなくなりました。しかし、ややもすれば、相変わらず暴言を吐いたりします。その時、私は心の中で「師父、私は必ず耐えます。すべての借金を返します。そうなると、はもう私を罵ることをしないでしょう」と言いました。夫は私が動じないで言い返しもしないのを見て、面白くないと思い喧嘩を売ってこなくなりました。こうして、一家は睦まじくなりました。

正念を持って正しく行う

 1999年7月20日、江沢民集団は突然法輪功に対して残酷な迫害を始めました。同修は不法に連行され、暴行を受けました。一部の人は大法の潔白、師父の潔白を訴えて、陳情に行きました。一部の人は、恐れ、動揺し、甚だしきに至っては裏切り行為を取りました。この突然に起きた迫害に対して、私は「法輪功は決して間違っていない。師父は決して間違っていない」と心の中ではっきりと分かっていました。師父のおっしゃる通りにして、他の虚言を一切聞かないことに決めました。しかし、夫は怖くなって「煉功を止めろ」と言い出しました。私がのいう事を聞かないため、もどうしようもありませんでした。

 ある日、私達6人の大法弟子は隣の村の同修の所に法を学びに行きました。警察官は私達6人を派出所に呼び出し「白状しろ、白状しなければ、帰らせないぞ」と脅かしました。私は「私たちは法を学んでいるだけで、何も悪いことをしていません」と言いますと、警察官は、「1人につき500元、指導員は3000元の罰金を払え、それから、もう煉功をしないという保証書を書け」と言いました。そして「字の書けない者には、代筆してやる。拇印を押せば、帰って結構だ」と言いました。他の学習者は本当に罰金を払い、保証書を書き、その日のうちに皆帰りました。派出所の所長は私に「どうして金を払わず、保証書も書かないのか」と聞きました。私は「お金がありません。それに悪いことをしていないのに、どうして書かなければならないのですか」と聞き返しました。所長は「お前はまだ煉功するきか」と聞くので、笑いながら黙って返事をせずにいたので、私は帰えれませんでした。翌日、罰金は1000元まで引き上げられ、繰り返し「まだ煉功するのか!」と聞かれました。私は「師父はいい人になるように教えておられ、煉功して病気もすぐに完治したことを、あなたたちも知っているでしょう」と答えました。

 私は邪悪に一切協力しませんでした。ちょうど12月の下旬で、私は派出所の掃除をしてあげました。二つの中庭を綺麗に掃除しました。警察官たちが食事をすれば、茶わんを洗い、かまどを掃除し、厨房を綺麗にしました。今まで恐らく一度も掃除したことのない窓まで、とてもきれいに拭きました。それを見て警察官らは感銘を受けたのか、4日目になって、所長は「お前は帰ってよろしい。お前がしたいなら家でするように・・・」と言いました。所長は「煉功」という言葉を言う勇気がありませんでした。そして、私は家に帰されました。

 家に帰った後、私は相変わらず法を学び、功を煉り、昼と夜外で真相を伝え、真相シールを貼り、町の周辺で真相を伝えて、世間の人を救い済度しました。私はまったく怖くありませんでした。2004年9月のある日、畑でサツマイモを掘っている時、村の幹部がやって来て、家に帰ってほしいと言われました。家に戻ってきたら、4人の警察官が我が家の前に立っているのが見えました。4人の中の2人は郷の派出所の人で、他の2人は市の公安局から来た警官でした。警官は「法輪功をどのぐらい煉功したのか」と聞きました。この突然にやって来た事態に対して、私はとても平然として、煉功してから心身共に健康になった自らの体験を話し、警官らに「法輪功は私の十数年の病気を治してくださり、しかも1銭も徴収していません。もし法輪功に出逢っていなければ、私は今日、このように皆さんと話すことはありません。とっくに病気のために家の全財産を使い果して、あの世に行っていたでしょう。この功法のどこが悪いか言ってください。師父は私たちにいい人になるように教えられて、いつでもどこでも他人の為に考えるように教えられています。どこが悪いのでしょうか? それに、師父は権力もお金も求めず、世間の人を救い済度しておられ、どんなに慈悲深いお方でしょうか」と言いました。

 警官は私の質問に答えられず、家宅捜査をしようとして、「家のドアを開けろ」と言いました。私はドアを開けながら「師父のご加持をお願いします。どうか大法の書籍と資料を持って行かれませんように、警官らに見えませんようにお願いします」と発正念をしました。警官らは家に入ると、至る所を探し始めました。

 『轉法輪』は私のベッドの横に置いてありましたが、警官らは隣の枕までひっくり返して探しましたが、本を置いていた枕が見えませんでした。警官らはあっちこっち探して、結局何も見つからず、仕方なく帰って行きました。このように、警官らは合わせて3回も家に来て、捜査をしましたが、いずれも手ぶらで帰って行きました。私は村の幹部に「法輪大法は人にいい人になるように教えています。あなたの果樹園の果物はよく盗まれているでしょう。私の孫はいつもあなたの所から果物を買っているじゃありませんか。大法がこのようにいい人になるように教えているのは、良い事ではないですか」と言うと、村の幹部も笑って頷きました。

 正念を持って正しく行って、初めて邪悪を解体することができ、初めて身の安全を守ることができると私は悟りました。

お婆さんの不思議な変化

 2012年、私は家政婦の仕事を始め、それはお婆さんのお世話をする仕事でした。当時お婆さんは80歳近くで、高血圧、脳梗塞、ヘルニアがあり、腰に金具を三つも入れ、それに喉頭炎も患っていました。お婆さんの家に入った最初の日、「家には仏壇を祀っている専用の部屋があり、その仏壇はとてもご利益があり、毎日お線香をあげているので、あなたも拝んでください」と言われました。「いいえ、私は拝みません。法輪大法を修めているからです。私の師父が広められている法輪大法は宇宙の大法です。あなたが信じているのは次元の低い小道に過ぎません。神佛は仏壇にはおらず、もう面倒を見ていませんよ。ご縁があれば、お手伝いをします。給料をいただく以上、掃除・洗濯・家事全般をやりますが、仏壇を拝むことはしません。そうでなければ、私は辞めます」と言いますと、お婆さんはようやく受け入れてくれました。

 私は「必ずこのお婆さんを救いたい」との一念が生じました。そして「まず家のすべての家事をしっかり行って家族全員に満足してもらい、行動で大法弟子は本当にいい人だと証明しなければならない」と思いました。同時に、お婆さんに「誠心誠意『法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい』と念じれば、病状は好転しますよ。この世の中では法輪大法しか人を救えないのですよ」と繰り返し言いました。

 私は絶えず正念を発して「家の中の狐、イタチ、幽霊、蛇などを一掃するように」と師父にご加持をお願いしました。ある日、お婆さんは病気になり、息子さんも風邪を引いたため、一緒に息子さんの車で病院に点滴に行き、私も共に行きました。当時、私にも風邪の症状があったため、息子さん家族は心配して「薬を少しもらいなさい。お金を払いますから」と言われましたが、私は遠回しに断りました。その日の夜、部屋で法を学び、功を煉ると、翌日にはもう元気になりましたので、「これは、師父が私の為に体を浄化してくださったからです。これが大法の不思議さと神秘的な所です」とお婆さんに告げました。この事はお婆さんに影響を与えたようでした。

 私は何度もお婆さんに「『法輪大法は素晴らしい』と念じればいいだけですよ。誠心誠意に念じれば、効果は必ずあんですよ」と言いました。お婆さんが3日間念じてみて効果はどうかと聞くと、「まあまあですね」と答えました。4日目の夜に、私は真相DVDを見せると、お婆さんの考えも次第に変わりました。さらに師父の説法を聞かせると、お婆さんはますます気分がよくなりました。

 その後、お婆さんは『轉法輪』を真剣に通読るようになり、「功法を教えてほしい」とまで言い出したので、師父の功法を教えるビデオを見せました。お婆さんは見ながら、真剣に功を煉りました。第4式を煉功した時、「腰には金具が入っているのに、どうして腰を曲げることができるのかしら?」と不思議そうに言いました。「考えなくてもいいですよ。煉功の時、金具はどこかに消えてなくなっているかもしれません。大丈夫ですよ」と私は言いました。お婆さんは安心して、五式の功法を全部覚えました。20日間の後、お婆さんは別人のように、体が軽快で無病な状態になりました。

 お婆さんは「もっと早くあなたに出逢っていれば、夫が糖尿病で亡くなることはなかったでしょうね」と言いましたので、「師父の慈悲なる済度に感謝してください」と私は言いました。お婆さんは今80歳を過ぎていても、耳も目もしっかりしていて、とても元気で、はつらつと暮らしています。

 私はやるべきことをやっているだけです。大法と師父の要求にはまだまだ及びません。多くの同修に比べても、三つのことをまだしっかり行えていません。これからも、必ず法を正す進展に付いていけるように追いかけて追いつき、確実に法を正す師に手伝い、師父に少しでも安心していただけるように頑張っていきたいと思います。そして、必ず先史の誓約を果たすようにします!

 不適切な所がありましたら、同修達の慈悲なるご指摘をお願いします。

 合掌。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/9/20/335210.html)
 
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