仕事においても「真・善・忍」を厳守する
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年2月3日】記者として働いてきた私は、今までの十数年間の中で窮地に陥った時でも、また成績を上げて名が知れた時でも純真さ純真さ(邪心のない清らかさ)を失うことなく、常に喜びと幸福に包まれて生きてきましたが、これらのものは全て大法からの恩恵です。もし、法輪大法の存在を知らなければ、私はきっと貪欲に満ちたこの世の中にどっぷりと浸かり、自分の本性をきっと見失っていたことでしょう。

 私は幼いころから詩やエッセイを書くことが好きで、河原や山々などの大自然の中にいることを好み、純真な心で大自然の美しさを詩やエッセイで表現することが大好きでした。このような環境の下で育ったので、大人になってもこの天真爛漫な心をずっと保っていたいと願ってきました。そして、大学卒業後は、成り行きでマスメディアの業界に就職し、人々が金銭のために日々多忙な仕事に没頭し疲労困憊している中、それを横目に、せめて自分だけは自分らしさを保っていたいと思いました。人が生きていくことの真理とは何か、私は一体誰なのか、何のために生まれてきたのか、そして、どこへ向かっているのかなどをよく考えました。こうして、これらの困惑と疑問を抱いたまま、科学などではとても解明することができない現象や現実の中で、大小さまざまな本屋に足を運んでは、その真理を見つけ出し、私の疑問を解決してくれる本を探していました。

 1996年のある日の午後、街で散歩していた時、偶然に小さな本屋に入り『轉法輪』という本を見つけました。すぐにそれを手にとって軽く目を通した瞬間、中の内容に心を奪われ、ついに私が抱えているすべての疑問を説くことができる万能の本を見つけ出しました。それからというもの「法輪大法」や「真・善・忍」が心に刻み込まれたかのように、一刻たりとも『轉法輪』の中の教えを忘れたことはありません。

 私は別空間など全く見せてもらえずに修煉してきました。現実で師父にお会いしたこともなければ、夢の中ですらも無く、その上悟らされることもありませんでした。ただ師父の教えだけを聞き、大法弟子として常に自分自身を律してきました。十数年の間、私が世間の名利に捕らわれずに、ずっと天真爛漫さを保っていられるよう、師父はずっと見守ってくださいました。人に褒め称えられた時でも、咎められて批判された時でも、常に自分は大法弟子であると自覚することができ、常人社会の人気者や嫌われ者は一時的なものに過ぎず、全ては幻であり、追い求めるものではないということに気づきました。

 十数年の間、大法の本の中で理解した道理を、生活の中で実践できるように努力してきました。様々な苦難を経験し、何度も危機を乗り越え、実際に利益や損得に関わる中で名、利、情を軽く見ることができ、本当の幸福を実感し、それらに縛られない気楽さを切実に感じました。少年時代に追い求め続けたあの何事にもこだわらずに堂々としていた感覚や、俗物(名利にばかりとらわれている、くだらない人物)には到底理解できない、何事にも囚われない自在な生き方など、全ては大法を修煉してきたからこそ、手に入れることができたのです。

 1999年以前は、とある新聞社で校正の仕事をしており、毎日、人々が気にかけない仕事をただひたすら繰り返していました。任された文章の校正を真面目にする以外にも、上司に言われた仕事や残業なども何一つ文句も愚痴も言わず、一つ一つ真剣に取り組んできました。時々同僚を手伝ったり、オフィスの清掃などもまめに行いました。仕事への態度が真面目で、よく大きな間違いを見つけ出していたので、各部署の上司は私たちの校正に頼るようになり、新聞の原稿に私たちのサインが入っていなければ、印刷所にすら持って行かないほど信用されていました。そのころは、自分は法輪功修煉者で、何事も「真・善・忍」で自分自身を律し、いかなる所でも良い人にならなければならず、これらは全て修煉者一人ひとりがなさなければならないことであると、良く同僚に話していました。口にするほどの事でもないような些細なことでも、時間が経つにつれて、周囲の人たちはこれらの事をしっかりと聞くようになり、皆、私と一緒に仕事をしたがるようになりました。

 1999年、中国共産党による法輪功への弾圧がはじまりました。会社では、下から上まで誰も迫害に遭いませんでした。私を見かけても何も言わないし、毎日大法への誹謗中傷の電話やメールを受けても、誰も聞く耳を持たず、見ようともしません。そして、一体どういうことなのかと私に聞きに来る人もいなければ、大法の書籍を出せと私に要求する人もいませんでした。それどころか、中には私が会社に置いている大法の本『轉法輪』を、手に取って読む人すらいるのです。その後、休暇を取って上京し、警官たちに殴られて、顔中痣(あざ)だらけになって会社に戻って来ても、上司からは何も言われることもなく、私もいつも通りに仕事に取り掛りました。自分の態度や言動の一つ一つが、大法弟子としてあるべき姿を現しているということを心に刻み、いつも意識しています。この十数年間の校正の仕事で、師父の教えを聴き、大法の名誉を守ってきたからこそ、周囲の人々は私が法輪功修煉者であり、大法弟子は皆良い人だということを理解しているのです。

 私は奇跡に出逢ったこともなく、感心されるようなこともありません。すべてが些細な事ばかりですが、このような小さな事こそ「真・善・忍」の三文字が、人間界の至る所に現れているということを教えられました。一人一人に対して真心で接したのかどうか、一つ一つの仕事に対して、冷静で面倒がらずに対処できたかどうか、突然の咎めや非難を忍耐し、自分の不足な部分を探し出すことができたかどうか、相手に迷惑をかけないようにもっと他人の事を考えたかどうか、自分の仕事は必ず自分でやり遂げ、責任転嫁をせずに自分で責任を負えたかどうか、チームワークを優先し、困っている人を助けることができたかどうか、周囲の環境を大事にし、食べ物を粗末にしなかったかどうか、これらの事の全てが大法弟子の心の現れです。

 その後、仕事を変えて記者になり、さらに多くの業界の地位の高い役員や議員の方たちと接する機会が増えました。しかし、私は意味のないスキャンダルな記事には決して触れず、伝統的な文化に関するものだけを書くようにしていました。毎回の取材では、事前に準備を万端にして、オリジナル性とそのものの持つ特性を主張し、人の道徳や正念を喚起するように努力してきました。地位の高い企業家であれ有名な学者であれ、彼らの内心にはきっと純真で善良な一面があると信じているからです。そして、毎回の取材の最後には、必ず企業の経営理念と人としての原則に話を持っていきます。相手に「会社を経営する人は、道徳と教養を基本にしなければ、何事も長続きしないし、人としても尊敬できず、辛いことを経験しかねない」と伝えました。

 私は伝統文化の精神を文や取材に溶け込ませ、毎回の取材や編集で、相手の内心の純真さと善良さを呼び起こし、世間に善良と正念を伝えています。この過程で大法が無限の知恵を授けてくださり、業界で有名になりました。「大物記者」や「才女」 「先生」などと呼ばれていますが、これに浮かれることもなければ、高い職に誘惑されることもなく、まして、これを機にもっと稼げる仕事に転職するなど考えたこともありません。いつも笑顔で取材相手の心の声を聞いています。伝統文化に関する内容しか取材しないので、仕事の幅が限られているし、給料もエンターテイメントや経済分野に携わっている同僚たちにはとてもかないません。けれども、自分が手にする給料は全て自分の働きに見合うもので、記事の一つ一つが知恵と真心を込めたものです。私は自分の良心に対して何一つ恥じることなく、たとえ給料が少なくても正々堂々としていられます。

 最初は、取材する全ての企業家は皆他の記者のように、適当に取材をしてお金だけをもらう、あるいは、記者としての便利な立場を利用して、多くの広告料を手にすればいいというような人だと思われていました。しかし、時間が経つにつれ私が余分なお金を要求せず、広告料も受け取らず、全部無報酬で企業に協力していることに取材相手が気づいた時、皆私の仕事と人としての原則を認め、多くの人々が私と友達になりました。業界内では、金持ちになった同僚や有名人と知り合った同僚、あるいは上流社会に入った人や、関係を利用して海外に出て貿易をして、多くの金を稼いだ人などたくさんいます。しかし、私は終始慎ましく暮らしながら記者の立場に立ち、仕事が不安定でいつ失ってもおかしくない厳しい状況下で、未だに記者としての原則を守り、たとえ1日限りの仕事や付き合いであっても、人々に誠意のある善良な記者という印象を残すように努力してきました。

 今の私は貧困でもなければ、裕福でもありませんが、世界で一番の幸せ者です。このような欲にまみれた世の中では、名利や情は人に真の幸せをもたらすことは出来ません。名利と情をなるだけ淡く見て、常に善と慈悲な心を持ち純真さを保ってこそ、真の幸福が得られるのです。名利に染まった業界の中にいたからこそ、大法の含意(表面に現れない意味を含みもつこと)について、さらなる認識を得ることができました。

 何年か前にメディア業界から抜けて、普通の営業マンになりました。私は営業が大の苦手です。前は人に頼まれて記事の原稿などを書いていましたが、今は逆に私が人に頼まなくてはいけません。一時、心理的にもこの真逆についていけず、落ち込んでいましたが、師父がいらっしゃるので、きっと上手に出来るようになると私は信じています。どの業界でも修煉することができ、善良な人間になることができるので、真剣に努力すればきっと困難を乗り越えることができると思っています。

 営業で走り回るとき、私は今までの仕事で得た経験をいかして、真心を込めて顧客と接し、相手の要求を理解し、誤解をも解いていきます。そして、わずか数カ月の間で、多くの顧客の好評を得て、たくさんの発注書を得ることができました。会社の上司は私が修煉者であることを知り、今までの仕事ぶりや人格を見て、会社の極秘文書の取り扱いやチームリーダーの役まで安心して私に任せています。また、会社の事だけでなく、上司や同僚たちは彼らの家庭の事まで私に任せています。出張で家を留守にしている時は、私だけが彼らの家の鍵を持っており、郵便物の回収をしました。私は彼らに「大法の修煉者として名利を重んじず、1銭たりとも会社の金に触れず、決して相手の物に触らず、うまい汁も吸わず、まして、道徳に背くようなことは一切しません」と良く口にしています。上司や会社の同僚たちは、日常生活においても私の言動の一つ一つを見て、皆心の底から信頼し、感服しています。特に上司の家には至る所に有名な絵画や高価なジュエリーが置いてあります。私は大法の教え通りに「真・善・忍」を実行していく中で、確実に人々の尊重と信頼を得ることができました。彼らは大法を修煉する者にとても良くしてくれるので、会社の業績も日に日によくなっています。

 昔、家を買いました。その後、兄が結婚し子どもが生まれたため、持ち家がなければ学校に通えないというので、購入した家を兄夫婦に譲りました。家だけでなく、戸籍を譲ったこともあります。他人から見ればとうてい理解不能で馬鹿なことかもしれませんが、私から見れば、何事にも神様がしっかりと見届けられ、何かを失えばきっと何かを得られると信じています。その後、戸籍をアメリカでグリーンカードを取るよりも困難なこの街に移すことが出来、上司もあり得ない話だと言っています。私は清潔感を重んじ家族に迷惑をかけないように、どこに住んでも家の中をきちんと掃除し、常に清潔さを保っています。すべての物品と周囲の環境を大事にしているので、大家さんも私のような借家人を好み、安心して家を貸してくれます。私が住んでいる場所では、水道管の破裂や泥棒が入るなどの事件は一度たりとも起きたことがありません。全ては師父が見守ってくださっているからで、お金に困ったこともなく、寒い思いもひもじい思いもしたことがありません。心の底から師父に感謝しています!

 女性として出かける時はいつも軽く化粧をし、清潔感のある格好をしています。ブランド品は買いませんが、私が持っている洋服は皆ブランド品のように、上品さを漂わせています。行く場所によっては、人に気品と修養があると思わせるような上品な格好をします。買い物をする時も、あまり値切らず適当と思うものを買います。ネットショッピングも必要に応じて利用しています。料理の材料を買う時も、お店の人と一緒に計算し、お金が合わない時は、金額通りに払ったりお金を返したりします。ですので、私の周りにいる人やスーパーの店長、屋台の主人など皆に好かれており、たとえ何年も会っていなくても、未だに笑顔で挨拶してくれます。普段の生活において些細な事はたくさんあります。例えば毎日出かける時は常に笑顔でいること、身分の差に関わらず周りの人に優しくすること、年寄には敬意を払い、子どもたちを大事にすること、毎朝家やオフィスをきれいに掃除すること、草花や動物を大事にし、例え道端で小石やガラスの破片を見かけた時は、他の通行人が不注意で踏んで怪我しないように、それを拾って横に置くなど、このような些細な事でも気を付けています。何事に出会っても、心の中に法があればきっと出来るはずです。

 今までの人生を振り返り「大法を修煉する人は一番幸せ者で、この幸福感は師父が与えてくださったもので、師父と大法がなければ、私は今までの苦難を乗り越えられなかったし、純真さを守ることも出来ませんでした」と周りの人によく話します。

 かつて同僚にこのように言われました。「あなたの最も尊敬できるところは、その純真さと真っ正直な人柄です」また「40代の女性が未だに『美しく輝いている』と評価されることはとても珍しいことです」とも言われました。「美しさ」や「純真な心」のような言葉は若い女の子に用いる言葉です。なのに、それが私の事を言っています。これらは全て大法がもたらしたものです。今まで生きてきた中でどのような辛い目に遭っても、私は一度も師父と大法の非を口にしたことはありません。これもまた、今まで私のような大法弟子が身近の人々に、大法は無実であり、冤罪を着せられていることや、大法を修煉していることは最も幸せなことであると、毎日繰り返し伝えている理由でもあります。なぜなら、これらは全て私の心の底から出た言葉だからです。

 昨年、私は自分の本当の気持ちを告訴状に書き留めて最高裁判所に届け、大法の素晴らしさや、自分が生きている本当の意味と人生における宝物を見つけたこと、そして、江沢民こそ中国の伝統文化を破壊し、国民を虐殺している首謀者であることを伝え、また、法輪大法と師父の冤罪を晴らすように要求しました。

 これまで大法を修煉して十数年も経ちますが、私はほんの僅かでも大法に疑問を持ったことはなく、修煉する心も一度たりとも揺らいだことはありません。師父の教えをしっかり聴き、余計なことは口にせず、すべきではないことは決してしません。ただ固い信念を持って最後まで歩んでいけば、きっと師父と共に天に返ることができると私はずっと信じています。まだ中国共産党の誹謗中傷に騙されている人たちよ、中国共産党の言葉に耳を傾けないでください。真相を知らず騙されて、法輪大法を恨まないでください。早く真相を知って理解してこそ、本当の幸福を手にすることが出来るのです。

 言いたいことは、まだまだたくさんあります。弟子である私たちの心を、師父は全て知っておられます。心から師父への感謝の気持ちと敬意を表すため、この文章を書き上げました。私は必ず師父にどこまでもついて行き共に天に帰ります! 師父に感謝いたします!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/11/21/337977.html)
 
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