「法輪大法は 本当に不思議なほど素晴らしい!」 
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2017年4月4日】2005年、私は法輪功の修煉を堅持するため迫害され、地元610弁公室に不当に2年の労働教養を科されました。労働教養所で拷問を受け、私の右脛の腓骨は粉砕骨折となり、骨は皮膚を10センチほど突き破り、露出しました。労働教養所の病院はこのままだと危ないと判断し、私をその都市のA病院に搬送しました。しかし、彼らは何も手当をしてくれず、私の足は手術室に運ばれるまでずっと出血していました。

 労働教養所が家族に「保外就医」(保証人を立てて一時出所し入院)と知らせたため、父親は私を迎え、実家の町の病院に入院させました。病院でレントゲン写真を撮って、はじめてA病院はただ私の足の裂けた皮膚を縫い合わせ、骨接合もしないままギブスをして、最良の手術のタイミングを逃したことが分かりました。傷口はすでに感染して化膿していたため、整骨科の医師は「まず1カ月抗生物質を注射して、傷口の化膿が止まったら、再度傷口を切り開いて骨接合をし、金属製のプレートやネジで固定しましょう。ただ、骨を整復させても後遺症が残るだろう」と言いました。さらに、「もし手術するならば、1年後、その時の様子を見て、再び手当をするかもしれない。病院でプレートやネジを抜く手術を受けなければならず、その間、あなたは杖を使わなければなりません」と言いました。それに、入院費プラス手術、治療費など合わせて1万元以上かかるとも言われました。

 夜、骨傷の痛みで眠れず、労働教養所での恐怖、迫害の残忍、残虐な光景が絶えず頭に浮かび、深刻な精神的な打撃で、私はかなり苦しみました。労働教養所の迫害はさらにその外部にまで拡大し、同修との連絡は禁止され、大法の書籍を読むことも禁止され、家に帰ることも許しませんでした。彼らは私が家で煉功するのを恐れていたからです。

 その後、私の再三の要求の下で、多くの方の努力により、私はついに病院から家に帰りました。不当に連行されてから半年が経った後のことでした。私はようやく自由に煉功できるようになりました。当時その病院で看護師をやっていた義姉は「もし、あなたが法輪功を煉功して本当に立ち上がることができるならば、私も法輪功を修煉します」と公言しました。

 私は正常に法を学び、煉功をしました。はじめて煉功した時、同修に支えられ私は立ち上がり、体の重心を左足に移し抱輪を始めると、はっきりと師父のご加持を感じました。右脛の怪我をした場所、そして右脛全体が暖かいエネルギーに包まれたのを感じました。そして、体が次第にまっすぐに伸び、煉功の姿勢も正確に回復し、1カ月後、私は奇跡的に立ち上がり、そして、ゆっくりと歩けるようになりました。夜の眠れないほどの痛みも、煉功して消えてなくなりました。

 私の体が回復する全過程をこの目で見て、大法の神秘的な力を感じた義姉は大法の宝の本『轉法輪』を読むようになりました。

 2011年、地元の衛生局の事務室の主任は私に会った時、市610弁公室の人と町内会主任の前で、とても賛嘆した口ぶりで、「私は知っていますよ。あなたの足の骨折は法輪功を煉功して回復したのでしょう。これは医学から見ても奇跡ですね。法輪大法は本当に不思議なぐらい素晴らしいです!」と言いました。その場の人々は誰もが大法に心から敬服しました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/3/26/344680.html)
 
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