自分の考えや念をしっかり制御しよう
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文/黒竜江省の大法弟子

 【明慧日本2017年4月4日】自分の最近の心を修める体験を皆さんと分かち合いたいと思います。ある日、同僚が突然私にこう聞きました。「プライベートの問題において、何か計画はありませんか?(私はずっと独身です)」。私は「何の計画もありません。母との今の暮らしで充分です」と答えました。同僚は「どんな希望や条件がありますか? 機会があればやはり考えておいた方がいいです」と言いました。

 正直な話、私はその会話を気に留めませんでした。しかし、ある日の午前中、オフィスにいた私は突然こんなことを考えました。「万が一、母と一緒に師父について家に帰ることができず、独り身として残されてしまったらどうしよう? 1人ではとても孤独で寂しいし、その時どうしよう?」。そう考えると涙が出てきました。また、もう一つの念がはっきりと現れました。「あなたには師父がいらっしゃって、法があるのでは?! 法の中では人にはそれぞれの運命があると書かれている。大法を無駄に学んではいない。師父が按排して下さるので、心配はないです」。そう思うと、私はすぐに落ち着きを取り戻して、深く考えませんでした。しかし、その直後、もう1人の同僚が突然「あなたは自分自身のことを考えてみるべきですね。お母さんはだいぶ歳を取っているので、あなたに一生付き添ってくれることはありえません。1人になったらどうしますか? やはり見合いの条件をよく考えて伴侶を探した方が良いのでは」と言いました

 今回、私は重視しました! 家に帰ると、私は去年の8月中旬に、母と姉が一時期家を離れてどこかへ行った際、1人家に残された自分の気持ちを母に伝えました。そのとき、鼻がちくちくと痛くなって、視野も涙でぼやけてしまい、心がぽかんと空いてしまった感覚を覚えました。涙ながらに、私は一言を加えました。「お母さん、必ず自分をしっかり修めて、必ず師父について一緒に家に帰りましょうね!」。その言葉を口にした途端、私は明らかに感じました。母にしっかりと自分を修めるようにと言いましたが、それは母(同修)への正念による加持ではなく、母のいない独り身での生活に直面する「恐れ」による言葉でした。言い出す前、私はその「恐れ」の中身をはっきりと認識できず、ただ自分の母への情がとても重く、修めるべきだとしか考えませんでした。

 今年78歳の母は私と一緒に暮らして8年になりますが、毎日私の衣食住の面倒を見る以外、すべての時間を学法に使っています。私の家は学法拠点です。午前と夜のグループ学法に母は必ず参加し、四つの定時の発正念をよく堅持し、早朝の煉功も抜けたことはありませんでした。母は方言の訛りがひどくて、地元の人には分かってもらえず、家でできる範囲で大法の仕事に加わっています。母はとても健康で、出かける際はいつも60代と言われています。本当の自分は「母は必ず師父と一緒に家に帰ることができる」と考えています。それなら、その「恐れ」は絶対に本当の自分の考えではありません。

 内に向けて探す過程で、自分にはまだきちんと取り除いてない、あるいはまったく修めていない重い執着があることに気づきました。独身の私は数年来ずっと母と一緒に暮らし、日常生活のすべてを母に任せています。電気代を払うことさえ「一大事」と考える私には、いつの間にか、とても重い依存心が生まれました。これは責任を負いたくない振る舞いであり、利己的な表れです。師父は説法の中で、「今後、何かをするときには、まず他の人のことを配慮して無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです」[1]と言われました。私はずっと修めることを重視せず、多くの事において「自然」になり、ひいては「習慣」になってしまいました! もし私が法に要求されている基準に達することができなければ、自分をダメにしてしまうだけではなく、母をも害してしまいます。これが旧勢力の目的かもしれません。

 ここで、家庭を持つ同修に一言言わせてもらいます。私たちは必ず修煉の道を正しく歩まなければならず、何かを行うさいは必ず相手の立場に立って考えなければなりません。常人の中で身につけたいわゆる「習慣」も本当に改めなければなりません。なぜなら、多くの習慣は法に符合せず、時間が経つにつれて私たちの向上を妨げる観念になってしまいます! また、同修の皆さんに気づいて頂きたいですが、私たちは自分の一つの考え、一つの念をしっかりと見つめるべきです。法に符合しない念があると気づいた途端、それを瞬時に解体し、不必要な損失をもたらさないようにしましょう。本当に、着実に自分の心を修めなければなりません。

 結婚すべきかどうかの問題に関して、私はずっと自然に任せよう、仕方がないと思ったこともあります。のちにじっくり考えてみると、結婚しなければ修煉にはもっと有利だと思いました。ときどき、「結婚せずに、ただ異性と付き合うだけでもよさそう」と思い、まさにこの偶然の一念が周囲のたびたびのプライベート問題の質問を招いてしまいました。常人に「法輪功を習う人は結婚しない」という印象を与えないために、私は結婚しないとは言わず、いつも自分に合う人が見つかっていないと答えていました。現実生活の中で、修煉しない独身の人も結構います! それなら、なぜ大法を修煉する独身の自分は人から聞かれることを恐れるのでしょう。考えてみると、やはり自分自身に問題があります。実は、「大法にマイナスの影響をもたらしてはならない」を口実に、私は自分の強い色欲の心を隠していました!

 師父は私たちの修煉を生活と切り離して考えてはならないとおっしゃっています。出遭うすべての事は私たちの修煉状態と関係があります。意識を持って内に向けて探せば、師父は必ずどの方面において問題があるのかを啓示して下さり、あるいは関連性のある法が必ず脳裏に現れてきます。もし、出来事やトラブルが発生しなければ、私たちは自分のあれこれの不足を認識するチャンスがなく、認識することができなければ向上もできません。私たちは必ず毎回毎回の不愉快や気に入らないと思う機会を捉えて、自分の向上につなげていくべきです。

 修煉は本当にとても玄妙なことです! 法に則って修煉し、自分の不足を認識して改めることができれば、次元が向上したときの感銘は本当に素晴らしいのです! 最後に、同修の皆さんが勇猛邁進し、1日も早く師父について家に帰ることを心より願っています!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「佛性に漏れなし」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/3/28/344827.html)
 
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