明慧ネットに文章を投稿した後 天目でみた光景
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年4月4日】自分の書いた文章を、明慧ネットの内部のメールアドレスから明慧ネットに投稿した時、ちょうど全世界の発正念の時間でした。私が足を組むと、自分のイメージが一つ飛んでいき、丸い形状の館内に降りました。当時、自分が投稿した文章がすでに明慧編集部の受信箱に届いたと悟りました。

 再び明慧編集部の受信箱をみてみると、様々な修煉者のイメージがありました。(修煉者の書き出した文章は、みな自分のイメージと状態を現します)。修煉者の出処が異なるとイメージも自ずと異なり、悟った内容も異なり、修煉の度合いも異なり、執着心も異なります。ですから、修煉者のイメージはみなそれぞれ異なっています。

 人間の目でみると、編集者は文章を分類し校正していますが、他の空間でみると、これらの異なる修煉者のイメージを分類して、異なる小さな舞台の舞台裏に按排しておき、公演を待たせます。不足があったり、整える必要のある場合は修煉者の状態を少し変えます。衣服を着替えさせるか、髪型を変えさせるか、あるいはその目つきをさらに純粋にさせます。(人間世界での現れは、編集者が文章のタイトルから内容までいろいろ改修を行います)。

 公演時間になると(人間世界では用意された文章が順番通り発表される時)、小さな舞台裏(ウェブサイトでは異なるプレート)の修煉者のイメージが公演をはじめます。小さな舞台が複数ありますが、これらの小さな舞台が一緒になると、世界に向け宇宙に向けた大きな舞台となります。この舞台は非常に特別で、これらの修煉者のイメージが現れるとその本人の内涵と状態を演じます。基本的には多種多様で、人々の良知を啓発し、熟睡している生命を呼び覚まします。この舞台は様々な神の状態と境地を現すことができます。宇宙の神々の見聞を大いに広めますが、邪悪な生命は限りなく怖がります。

 もちろんこの過程において、師父と天地を遍く覆う神々も随時見守っており、「公演」の安全を守り、公演が問題なく行われるように保証します。

 この光景を目にした私は、大法のウェブサイトに投稿すること自体、非常に神聖で、厳粛なことであると思いました。私たちはみな正念を持ってしっかりこのことに対応し、圓容すべきです。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/3/30/344885.html)
 
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