法輪佛法に出会い末期がんの尼僧が奇跡を体験
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 【明慧日本2017年11月4日】グェン・ホワン・ホェンさんはベトナムで大学法学部をまだ卒業していませんでしたが、髪を剃って出家することを選び、比丘尼(びくに・仏教に帰依し、出家して具足戒を受けた女性の称。尼。尼僧)になりました。それから数年経ち、検査で胃がんがあることがわかりました。ホェンさんがちょうど黙々と自分の葬式の準備をしていた時に、奇跡が起きました。

 以下は、グェン・ホワン・ホェンさんが自分で述べたことです。

 女子学生が出家して比丘尼になった

 26歳の時、私は出家して比丘尼(すなわち佛教で言うところの尼僧)になろうと決心しました。尼僧であった祖母が亡くなった後にこのように決心しました。

 祖母は60歳過ぎで出家し、78歳の時にがんで亡くなりました。このような致命的疾病に対する祖母の態度に私は敬服し、がんの苦痛に対しても、祖母は全く恨み言を言いませんでした。人生の最後の一刻まで、祖母は経文を読み佛を拝んでいました。

 祖母が亡くなって3日後、家族は盛大な葬儀を行い、多くの有名な僧侶が出席したので、両親が亡くなった時も同様の厚い葬儀が行えることを希望しました。葬儀には計り知れないほどお金がかかり、我が家の受け入れ能力を越えていたので、必要な費用はすべてほかの佛教徒から寄付されたものでした。

 祖母の葬儀の後、ある寺院の比丘尼の住職が出家者を求めているのを見かけました。私が髪を剃った時、まだ大学法学部4年の学生で、家族は反対しましたが、これらすべてを放下しようと決心し、私の新しい生活が始まりました。

 グェン・ホワン・ホェンさんは法科大学と家庭に別れを告げ、尼僧になり、その後、胃がんにかかったおかげで、法輪佛法の修煉に入りました。


グェン・ホワン・ホェンさん

 若い比丘尼の困惑

 ベトナムには「靴はどの靴下とともにあるのか 靴下をはいているものだけが知る」ということわざがあります。

 寺院での生活は私が想像していたほど容易なものではありませんでした。尼僧と僧侶も常人と同じように情欲や恨み、妄想に溺れる(おぼれる・心をうばわれて、そのことにふける。夢中になって本心を失う)ことを知りました。このような環境下で、どのように悟りを開くのでしょうか? 私は苦境に陥ったと感じましたが、どうすれば解放されるのかはわかりませんでした。私ができることは、佛像と菩薩像に対して昼夜礼拝することだけでした。

 悟りを開けるよう導いてくださる明師を探し当てられるよう、ずっと佛に求めてきましたが、修業は停滞して前へ進まず、孤独を感じていました。

 寺院では、毎日、250人の尼僧と僧侶のために食事を作り、同時に、明師に巡り合えるよう、昼夜、佛像と菩薩像に祈りました。このようにして、望みのない状態の中で待ち続けました。

 本当の道を見つける

 正式に尼僧になって1年後、胃がんを患っているという診断が下され、さらに、がん細胞はすでに腸と子宮にまで拡散しており、立ち上がる動作だけでも痛みに耐えられませんでした。しかし、このような状態でも、いつも通り、全力を尽くして自分の日課と職責を全うしました。しかし、非常に速く、私の体は弱っていき、家に帰って治療しなければなりませんでした。 

 私は友人の提案で様々な治療を受けました。友人はとてもよくしてくれ、定期的に私に薬を送り、治療に付き添ってくれました。最後の希望を抱きながら、医者を訪ね薬を買うために東奔西走し、がん治療に名を知られているすべての医者と気功師をもれなく訪問しましたが、すべてが無駄に終わりました。そして、私の病気はだんだん重くなっていきました。私は死ぬことは恐れていませんでしたが、両親のことが心配で、もし私がこの若さで死んだら、両親はどれだけ苦しむだろうか、と思ったからです。


法輪大法の書籍を読むグェン・ホワン・ホェンさん

 私が希望を放棄したちょうどその時、ある友人が座禅を含む修煉方法を推薦してくれ、それは「法輪大法」というものでした。友人は私を公園に連れて行き、その場にいた修煉者から煉功を教わりました。

 最初、私は嫌がっていましたが、修煉者は私によくしてくれ、命をつなぐことができる修煉の道をできるかぎり探すべきである、と言いました。修煉者は私に法輪大法を紹介し、実際に自分の体に恩恵を受けた状況を紹介してくれました。修煉者の心のこもった言葉に私は感動し、試してみることにしました。驚いたことは、公園でみんなと一緒に煉功しはじめて1ヵ月後には、痛みも軽減し、体の回復の心地よさを実感できました。

 寺院に戻り、私は夜に法輪大法の主要な著作である『轉法輪』を読みましたが、すでに別の新しい道を歩み始めたことを、ほかの人に知られたくはありませんでした。

 世俗の中で修煉する

 こうして1ヵ月が過ぎ、私は寺院を出ることに決め、新しい生活を始め、それは常人社会の中で修煉する生活でした。法輪大法は佛家修煉大法の一つですが、修煉者が世俗から離れずに修煉するよう奨励し、複雑な環境の中で次元を高め、同時に、正常な仕事と家庭生活を保持するよう奨励しています。

 私がこの道を選択した時、多くの批判に直面しなければなりませんでした。比丘尼の住職は多くの質問をしてきましたが、最後には私が寺院を離れることに同意してくれました。しかし、家族は私の決定に不安を感じ、おばと同じ道を歩むよう希望しました。おばはビンズオン省で寺院の住職になっており、さらに、インドへ佛法を研究しにも行っていました。家族の眼中には、私には非常に「次元の高い」前途があると映っており、家族にとって私が叔母と同じ道を歩むことは、心性の高まりよりもさらに重要であると映っていました。

 しかし、私はすでに心を決めていたので、だれも私を阻止することはできませんでした。それは、法輪功を修煉して体が回復したためばかりでなく、これがずっと探し続けてきた本当の修煉の道であったからです。『轉法輪』を読んだ時、突然悟りました。というのも、これが本当の修煉の本であったからです。生活、業力、修煉のすべてについて、これまで私ははっきりとわかっていませんでしたが、本にははっきりと簡明に説明されており、非常に深く感銘しました。

 はじめて法輪功を修煉した時、温かなエネルギーが全身を貫くのを感じ、非常に心地よく感じました。この感覚のすばらしさは、言葉では形容できませんでした。私は自分の体の大きな変化を目の当たりにし、法輪大法を修煉し始めて半年後には、全ての病気はすっかりよくなりました。

 現在、私の健康は完全に回復し、英語を教えて生計を立てています。授業の後はいつも、学生たちと一緒に座って『轉法輪』を読んでいます。この功法を練習して私のがんがよくなったと聞き、学生の父兄はみな自分の子供に法輪大法を修煉させたがりました。

 寺院を離れたあの日を私ははっきりと覚えていますが、私は多くの困難に直面しなければなりませんでした。なぜなら、私はお金を持っておらず、仕事もなく、住む場所もなかったからです。現在、私の周りには心暖かで誠意があり、純正な修煉者がおり、自分が正しい選択をしたことをとても喜んでいます。たとえどんなに大きな困難と挑戦にぶつかろうとも、私の心身は穏やかで落ち着いています。私は自分が困難を克服できると信じており、なぜなら正道を歩んでいるからです。


英語の授業の後学生と一緒に『轉法輪』を読むグェン・ホワン・ホェンさん

 最終的に、両親は私が法輪大法を修煉するのを支持しました。私が健康的になり、平和に、自由にまじめに生活しているのを見て、両親はとても喜びました。出家して30年のおばが私に寺院に戻ってほしいと思っていることを理解していました。しかし、以前の比丘尼の住職がおばに「彼女にかまわないでください、彼女は今、正道を歩んでいるのです」と伝えました。比丘尼の住職は私のことを最も理解している人で、佛法修煉のカギは心性を修めることであり、心の変化である、ということを比丘尼の住職も深く知っていました。だからこそ、常人社会で修行することは最も難しく、また最も有効な道なのです。

 慈悲深い神仏が私の祈りを聞きいれてくださり、真の修煉大法をお示しくださったことに、私はとても感激しています。もし末期の病気の死亡の危機にあり、苦しみを体験した人なら、私がどれだけ幸せかわかるはずですし、健康と悟りに通じる本当の道を見つけたことに対して、どれだけ感謝の気持ちでいっぱいであるかが、よくわかるはずだと思います。

 発生したすべてのことには原因があり、運命づけられている、と私は信じています。もしみなさんが私のこの物語を読んで、みなさんに益するところがあり、啓発されるところがあることを希望します。

(大紀元から転載)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/9/21/354007.html)
 
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