文╱中国の大法弟子
【明慧日本2017年12月4日】第14回中国での明慧法会は成功裏に終了しました。同修達の交流文を読んで多くの感銘を受け、本日、その感想を書き出し、皆さんと分かち合いたいと思います。
一、自らの不足を見つけ出し、奮起して精進し、法の荘厳さと偉大さを実証する
今回の法会では合わせて38篇の体験文章が精選されて掲載されました。すべての文章は同修が法に対する堅固な正念と無私でかつ純粋な善良さを表し、法の荘厳さと偉大さ、そして師父の慈悲と修煉の殊勝さと素晴らしさを示してくれました。
法会のあと私と会った同修達は、「第14回明慧法会の交流文を読んで大変励まされ、同時に同修との落差にも気付かせてもらえた」と口々に言いました。同修達がこれほど素晴らしく行えた最も根本的な原因は、彼らには心の中に法が入っており、それぞれの次元において、法が彼らに対する要求と合致したために、大法の威力が現れたのだと思いました。一方、自らの修煉のだらけた足踏み状態を考えれば、その原因はやはり自分が学法を疎かにし、そのため法理をはっきりと理解しておらず、私心と雑念を自ら取り除こうとしなかったことにあるのではないか、そんなことでどうやって向上できるだろうかと思いました。
私はまだ若いのに怠惰な心と安逸心が重く、長年修煉をしていてもこの問題をずっと突破することなく、その上、恐怖心によって、真相を伝えることもしっかり行って来ませんでした。法会の体験文章から、同修達が酷寒や猛暑の中、風の日も雨の日も関係なく、緩まず人を救い続ける姿を見て、本当に恥ずかしく思いました! そして、私と同じ医師である大法弟子は自らの仕事の環境を素晴らしく正し、大法の神の奇跡を世間にはっきりと示しました。自分と比べて、同修との差が大きいことに気づきました。この数日間、私も仕事をしている環境の中で真相を伝えるように試みました。以前、いつもあれこれと心配ばかりして、それに怠けていたので、真相を伝える事を長い間しっかり行っていませんでした。本当に真剣に取り組まなければならないと思いました!
以前、何かをする時、いつも結果を求め、しっかり行えばすぐに状況が変わるべきだと期待し、強い求める心を持っていました。同修の体験文章を読んで「求めずして自ら得る」とは何かが分かりました。実は、多くの場合、私達の僅かずつの向上に従って周囲が変化して行きます。しかし、そのすべてを決めるのは私達の心の状態にほかなりません。
二、自らを軽視せず、積極的に投稿に参加する
以前、私はいつも「自分は駄目で、しっかり修めていない」と思い、自分の不足を必要以上に大袈裟に考え、それがゆえに、いくらかコンプレックスを感じていました。今回の法会にあたって修練体験の原稿の募集があった時、一部の同修も「自分はしっかり修めていないから、何も書くものがない」と言いました。法会での体験文章を読んで感銘を受けたのは、「同修達が書いた文章はすべて修煉の中での一つ一つのエピソードで、普段の平凡な生活の中での体験を基に大法の素晴らしさに気づき、平静さの中で神の奇跡を示している」ということでした。私達は皆師父の弟子で、それぞれの人が関門を通り抜ける時、必ず心を修め、執着を取り除き、正念を持って正しく行うことによっての実例があると思います。それらのことを書き出せば、それは大法の殊勝さと偉大さを実証することになり、同時に明慧ネットに対して、円融し応援することにもなると思いました。
同修の心を込めて綴られた交流文に感謝します。明慧ネットの同修のご苦労に感謝致します。
合掌