四川の学習者・鍾俊芳さんが受けた迫害事実
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 【明慧日本2017年12月12日】四川省楽山市犍衛県の法輪功学習者・鍾俊芳さん(60代女性)は、江沢民が法輪功迫害を引き起こしてから、数回にわたって地元の610弁公室や派出所の警官に不当に連行や拘禁をされ、労働教養処分2年、実刑判決を3回も受け、そして、拷問などの迫害を加えられた。いまだに刑務所に拘禁されているが、鍾さんは痩せこけて体重が30キロ台になっている。

 一、楠木寺女子労働教養所で受けた迫害事実

 2000年、鍾さんは警官に不当に連行され、労働教養処分2年を宣告された。教養所で鍾さんは体罰、睡眠の剥奪などの迫害を受けた。

 教養所では法輪功学習者に対して「犯人・〇〇は、何々をしたい」と声を出して、報告することを強制された。ある日、鍾さんは「法輪功学習者・鍾俊芳は、お手洗いに行きたい」と言ったため、トイレに行かせてもらえず、体罰を受けた。警官は鍾さんに走ることを強い、1人が前で鍾さんを引っ張り、後ろの1人が鍾さんを押した。それで、鍾さんが漏らしてしまった。そして、十数日間監禁され、おかずを食べることを許されなかった。

 二、3年6カ月の実刑判決を2回受ける

 2003年2月、鍾さんはまた不当に連行された。その後、当局の裁判所に3年6カ月の実刑判決を宣告され、成都市女子刑務所に収容された。

 2006年8月に鍾さんは帰宅したが、監視され続けた。ある日、鍾さんは友人と出かけている途中で、「北京に陳情に行く」と思われたらしく、警官に連行された。それで再度、3年6カ月の実刑判決を言い渡され、成都市女子刑務所に拘禁された。

 刑務所で鍾さんは囚人服を着ることを拒否したため、警官に持っている服を全部押収された。鍾さんはブラジャーとパンツだけにされた。それでも鍾さんは屈せず、シーツを身に巻いて11月まで過ごした。その間、警官は受刑者らを指図して、鍾さんに侮辱を与えるなどの行為をした。

 2009年末、寒波で気温が猛烈に低くなって、鍾さんは夜中にベッド上で法輪功の第五式を煉っていたが、警官に発見されたため、手錠をかけられて窓に吊し上げられ、翌日も吊し上げられた。

酷刑图:吊铐
拷問のイメージ絵 吊し上げられる

 刑務所の迫害に対して、鍾さんは断食で抗議を行ったが、強引に灌食された。そのため、内臓に傷を負った鍾さんは刑期満期まで警官病院に入院していたという。

 三、3回目の判決懲役8年6カ月

 鍾さんは法輪功を学び続けたため、当局の嫌がらせを受け続けた。その嫌がらせを免れようと、鍾さんは家を離れ、子供たちとも会えなくなった。というのは、息子に会うと、息子が「解雇するぞ」と脅迫を受けたからだ。そして、鍾さんは自力で養老保険に入っていたが、もらう時、他の人の半分しかくれなかった。生計のため、鍾さんは家を売り、小さな商売を始めた。

 2011年8月10日夜10時、多くの警官が鍾さんの自営している服屋を取り囲んだ。そして、県610弁公室と国保大隊(法輪功迫害の実行機関)の警官らは、鍾さんと鍾さんの家で法輪功の本を一緒に読んでいる余発全さんなど6人の学習者を一斉に連行した。警官は鍾さんの家に置いてあった現金十数万元(家を売ったお金)を押収し、余さんのパソコン、プリンターも押収した。6人の学習者たちは県留置場に拘禁された。

 2012年4月22日、鍾さんは懲役8年6カ月、余さんは懲役7年6カ月の実刑判決を宣告された。それから、鍾さんは成都市女子刑務所に送り込まれた。

 情報筋によると、鍾さんは刑務所で殴打され意識不明になって、病院に運ばれたことがあり、内容不明な薬物を食事に混ぜられたこともあって、精神状態が朦朧となり、話すこともできない状態があったという。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/11/25/357098.html)
 
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