最も貴重な名刺
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文/中国の大法弟子

 【2018年2月15日】私はこの世で最も貴重な名刺を秘蔵しています。それは師父の名刺なのです。

 あれは1994年1月28日のことでした。私はこの日に慈悲で偉大な師父と出会い、この名刺も師父が初めて山東省済南市で法を広められる時に渡してくださったものです。

 あの日、私は様々な病を抱えながら、師父の座談会に参加しました。師父が扉から入って来られた瞬間、以前、座談会に参加したことのある大法弟子が「師父が来られたよ!」と声を上げたので、全員、その声につられて入口の方を振り返りました。気功師なのだから、きっと長くて白い髭を持つ白髪のお爺さんだろうと思っていた私は師父を見た瞬間、驚愕しました。カフェ色のスーツを着て、優しそうな目つきで、柔らかい雰囲気を身に纏いながら、胸を張って堂々と歩いて来られた師父は、どう見ても20代にしか見えなかったので、私は予想外の師父の姿から目が離せませんでした。

 座談会は何日間も続きました。師父が説かれた博大で奥深い法理は私の心の奥にまで轟き、これまでの無神論の概念を一掃しました。最後の日、師父は弟子からの質問に解答されました。中でも、師父に佛家の大手印を見せてくださるよう、ある弟子からのお願いがありましたが、師父は、佛家の手印は佛たちの言葉なので、これから見せる手印に関しては、それぞれ自分で悟り、何が得られるかはその人次第だと説かれました。

 私は師父の大手印から全く目を逸らすことなくじっと見つめていました。師父は本人の悟り次第だと説かれましたが、当時の私は悟りとは何かも分からなかったので、「師父は今、私の病気を治してくださっているに違いない」とだけ思ったのです。そして、師父が大手印を変えられる度に、「きっと私の病気を治してくださっている!」と心の中で堅く信じていました。30秒もしないうち、突然、強い熱い流れが頭の天辺から足の爪先まで全身に行き渡りました。すると、その日まで40日間も続いていた高熱が一気に下がり、長い間、私を苦しめてきた十数種もの病を全て師父が治してくださいました。全身から粘々した汗が流れ出し、あの寒い冬でもはっきりと分かるほど、身体から熱気が発散しました。その日、私はついに元気な状態とは何かをこの身で体験し、健康な体を得て、師父が説かれた灌頂の素晴らしさも実感しました。

 九講の説法の中で、「玄関設位」の章を除き、その他の全ての説法を聞いている時、功能やエネルギーが体の中で回っているのをはっきりと感じました。座談会の最終日の最後に、師父は五つの功法について、生涯のためになるので、真剣に煉功するようにと再度強調され、これを聞いた私は、最後まで修煉すると決心しました。

 師父は、座談会の休憩の合間を利用して、各省や市、県などからの説法のオファーや教功のスケジュールを公開しておられたので、地元に師父を紹介できたらいいのにと密かに思ったのです。

 私は師父が必ず通られる通路側に座っていました。休憩時間になり、師父がそばを通られた時、私は早速尋ねました。「李先生、私たちの市に来ていただけませんか?」、「それなら、あなたの市の気功研究会の人と相談してみてください。オファーを××さんに出してくれれば、××さんが手配してくれます」と優しい口調で答えてくださいました。翌日、座談会が始まり、師父が再びそばを通られた時、「李先生、どうすれば××さんと連絡をとることができますか?」と尋ねたところ、師父はポケットから1枚の名刺を渡してくださいました。「あなたの市の気功研究会からオファーを出してもらえば、法輪功研究会のほうで段取りをします」と教えてくださったのです。

 名刺を受取ってよく見たところ、なんとそれは師父の名刺だったのです! 一番上に師父のお名前が書かれており、その右上には金色の法輪が印刷されていました。師父のお名前の下には、「中国法輪功創始者」と書かれており、その下には「中国気功科学研究会法輪功分会会長」と書かれています。そして、一番下には師父の各地における役職名と、連絡人の名前と電話番号が書かれていました。名刺の裏には、師父の名前のピンインが載っており、名刺の表側の右上の法輪はとても目立っていました。私が初めて見た法輪も師父が渡してくださったこの名刺に印刷されている法輪なのです。1999年の「7.20」後、警察官に二度も家を差し押さえられたものの、この貴重な名刺だけは一度も見つけられることなく、今でも安全な場所に保管しています。

 その後、師父は本物の法輪を私に下さいました。1996年のある日、私は資料を届けに来る同修を待ってソファーでうとうとしている時、ふと、壁にかけてある掛け軸の中の大きな法輪がぐるぐると回っているのが見えました。大きかったり、小さかったり、近かったり、遠かったり、まるで別空間にいるかのようで、法輪は回りながらどんどん私の方に近づいてきました。そして、その法輪は私の玄関に入り、それからは全く出てこなかったのです。法輪の色はとても美しく、掛け軸の法輪よりも綺麗で、地色は透明でした。

 これは師父が授けてくださった法輪であると知り、師父への感謝の気持ちでいっぱいです。

 私が住む市の気功研究会は、師父の座談会の入場料があまりにも安く、研究会の方で儲けがないと嫌がり、結局オファーは出しませんでした。このことを思い出すと今でも悔しく思っていますが、その代り、師父が下さった名刺を生涯の宝物にしています。

 この名刺を頂いたのも師父との縁です。今日、この人間界で果たさなければならない誓約があるので、師父の後に続いて人間界に降りてきて、千万年待ち続けて漸くこの日が来ました――1994年1月28日

 その日から2018年1月28日までの24年間の修煉の中で、師父のご加護の下、様々な困難やトラブルを乗り越えて何とか今日まで歩んで来られました。そして、今、「その時、あなたは言葉を尽くしても、あなたの師父がどれほど偉大なのか言い表せません」という師父の説法をこの身を持って実感したのです。

 これまで長い間、『轉法輪』を勉強する時、「直接わたしの説法を聞き、功法伝授を受けられる人は、本当に……今のこの時間が最も喜ばしい時だったと、将来きっと分かることでしょう。もちろんわれわれは縁を重んじます。皆さんがここに坐っていることは、すべて縁によるものです」[2]という部分の法を読むたび師父への感謝の気持ちが胸いっぱいになり、とても言葉では言い表せられません。師父は私を地獄の底から救い出し、この身体を洗浄してくださり、また、修煉の道まで連れて行ってくださり、師父と共にいられるこの時期の大法弟子にしてくださいました。大法弟子として、「法を正す最後の時、着実に自らをしっかり修め、人を救う使命をきちんと果たしてください」[3]という師父の教えをしっかり守り、師父が按排してくださった「大法弟子が法を実証する中で歩む道、つまり自らを修めながら、衆生を救い済度し、同時に宇宙の法を正すことに対する要求に合わせて、法を正すことにマイナスの作用を働いたり、大法弟子に悪事を働いたりする黒い手と卑しい鬼及び、旧勢力が按排した妨害、迫害の要素を解体、根絶しています。これは即ち、大法徒が歩んだ完全無欠な修煉の道、偉大な神を圓満させ、成就させる道です」[4]という修煉の道を歩んでいきたいと思います。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『スイス法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [3] 李洪志師父の経文:『フランス法会へ』
 [4] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「私からの棒喝」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/1/21/359863.html)
 
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