騒々しかった裏庭が 正念で静かになる
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年8月8日】この2、3日の間に、ある出来事がありました。私の住んでいるマンションの1階と2階は商業用に建築されており、今は倉庫として使われていて誰も住んでいません。私の家はその上の3階で、南側の二つの寝室は隣のホテルのすぐそばにあります。窓の下はホテルの裏庭にあたります。裏庭は主に客用の専用駐車場として使われ、今、車はそれほど多く駐まっていません。宿泊客は少ないようです。

 ある日の朝8時か9時頃、突然その裏庭に大勢の人がガヤガヤと入ってきました。年配者達が殆どで、先程まで外のレジャー施設で楽しんでいたようです。今から何が始まるのか興味深く見ていると、マージャンのテーブルを裏庭に運んでいます。私の家の窓のすぐ下の前にいくつかのマージャンテーブルを並べて、しかもパラソルまで立て、ホテルの裏庭は一変しました。

 私は確かにこの突然やって来た騒々しさには、参ってしまいました。さらに恐ろしいことに、彼らが午前8時から夕方の6時まで一日中マージャンに興じ、お昼も家に帰らずその場所で弁当を食べ、そして、引き続きマージャンに興じ、没頭するのです。

 「この大勢のお年寄り達は本当に元気がいいですね! もし法輪大法を学んでいたら素晴らしいのに。この炎天下でこんなに頑張られるのだから、私より精進できると思う。でも、大法とは縁が無さそうだ。可哀そうに!」と自分勝手に考えました。

 今の様子から見ると、1日や2日で終わるはずがなく、いつまで続くのか推測できません。彼らの喋る声や下品な言葉がすべてはっきりと聞きとれます。これからどうしよう? 以前、常人の時に騒々しい環境が苦手だった私は、今回、心中ほんとうに穏やかでなくなりました。まず思い付いたのは、邪悪が常人をコントロールして私を邪魔しに来たのだと思い、とりあえず発正念をしました。それから、常人の次元で自分はどのように行動を取るべきかを考えました。「ホテルのオーナーは金の穴に首を突っ込んでいるような人だから、裏庭まで貸し出して営業をしている。このようなやり方は住民に迷惑をかけてしまい、私は警察に通報してもいいだろうか? いや、やはりホテルのオーナーと話をすべきではないか。解決できなければ通報しても遅くないだろう。最近は国内の常人の道徳レベルは極めて滑落している。まったく他人のことを考慮せず、すべて邪党に害されている。修煉者として口を出してよいものか、それとも週末に帰って来る我が家の家族に任せるべきか? 4階に住んでいる年配の女性は一人暮らしで、北側の部屋に住んでいるから、この事に関心がないと思う。5階以上の住民はおそらくこの騒々しさは聞こえていないだろう。自分だけが最も深刻に被害を受けている。この状態が毎日続いたら、どうしたらよいのだろうか?」とありとあらゆる考えが湧いてきました。

 考えれば考えるほど決まらないので、先に師父に線香を上げることにしました。線香を焚き合掌して、「師父、この年配者達は本当に騒がし過ぎるので、弟子はホテルと交渉し、あるいは警察に通報してもよいでしょうか?」と聞きました。師父の写真を見て、「その背後にある邪魔している要素に対して、発正念を強めて取り除くべきで、世の中の常人に対して修煉者の忍を持って、不満に思わず、まったく怒り恨むことのない忍で対応すべきで、心の中では気にかけないことである」と悟りました。私の心が豁然(かつぜん・ 視野が大きく開けるさま)として落ち着くようになり、本当にそれらのことを気にしなくなり、北側の部屋のドアを閉めると大分聞こえなくなり、自分のやるべきことをしました。

 そのあと、新唐人のウェブサイトで偶然に七弦琴と簫(しょう・笛)の合奏曲を耳にしました。とても滄桑(そうそう・移り変わりが激しいこと)とした雰囲気に包まれ、安らかではるかに遠くまで届くような合奏曲でした。私はまるで大昔から歩いて来た自分を見ているように、涙がポロポロと流れてきました。生命はそれほど久しい歴史を経て来て、実に容易ではありません。この常人達の生命も同様に大昔から歩んで来て、迷いの中におり、永遠に戻れないかも知れません。彼らは実に哀れで可哀相なのに、私は彼らを責めるわけにはいかないでしょう? そう思うと、師父の弟子や衆生に対する無限で、計り知れないほど深い慈悲の心を少し会得しました。そして涙が止まらなくなり、その人心をきれいに洗い流しました。

 1日の4回の発正念の時間を少し延長して、邪悪を根絶しました。翌日の朝8時頃、彼らはまた来ました。私はちょうど煉功している最中で、音楽に集中して外の音を気にせず、窓を閉じてエアコンをつけ、何の影響もありませんでした。煉功が終わってからも外の騒々しさにかまわず、出かける準備をして、落ち着いた心境で衆生を救いに出かけました。歩いて帰る途中、電動自転車に乗っている人が邪魔をしたり、追い越したりしましたが、「これは常人のせいではなく、自分のせいだ」と思いました。

 3日目の朝、6時の正念が終わって、静功の後に睡魔に襲われました。私は怠惰な癖があり、いつも繰り返しています。それは、朝の6時に眠くなると二度寝をすることです。退職してからいつも自分に対して緩んでしまい、それが一つの悩みで、徹底的に変えたいと思っています。今回も睡魔に襲われましたが、すぐベッドから降りて、「絶対に寝たらいけない! そろそろ彼らが来る。急いで彼らが来る前に煉功を終わらせなければならない。今後も絶対に二度寝をしない。睡魔が来る前に煉功を終わらせよう」と考えました。これは良いことではありませんか。突然、私は悟りました。「もしこの事がきっかけで、自分の良くない癖を取り除けば、良い事ではありませんか。良くない出来事は良いことに変わります。なるほど、この騒々しい人達に感謝しなければなりません。師父はこのように説かれています。「ですから、良いことに遭っても、悪いことに遭っても、大法さえ修めていれば、全ては良いことです。これは揺るぎのないことです」[1] 師父はまた、「大法弟子は修煉者として、問題を見る時、人間と逆の角度から見るべきです」[2] 彼らは私に心性を高めるチャンスを提供してくれ、本当に彼らに感謝すべきだと思うと、喜びを感じました。煉功が終わると外は静かで、何の音も聞こえてきません。どうなっているのでしょうか? 昨日、煉功の途中に彼らがすでに来ていたのにと思い、窓を開けて見てみると、えっ? いくつかのパラソルとマージャンのテーブルが消えて、年配者達の姿もなく、そこにはただ1台の車が駐まっているだけで、車は日光を遮るシートで覆われていました。

 裏庭はシーンとしていて、誰一人いませんでした。「おや、もう終わったのかな? 2日間で終わったのかな?」 自分も信じられないほどビックリしました。これは師父が解決してくださったことで、本当に不思議でした。師父に感謝いたします! まさに「観念転ず 腐敗物は滅し 光明が顕れる」[3] の通りです。

 最初は常人の私利私欲の視点から物事を考えたり、常人を責めたりして、個人の利益ばかりを考えていました。次に、修煉者の角度から法に則って考えるようになりました。師父はこのように説かれています。「皆さんもご存じのように、羅漢の次元に達すると、どんなことに遭遇しても心にかけず、常人の中のどんなことも全然気にとめず、常ににこにこしています。どんなに大きな損をしてもにこにこして平然と笑っています。本当にそれができれば、あなたはもう羅漢の初級果位に達していることになります」[4]  大法弟子は大きな忍の心を持たなければなりません。それを悟り、自分の心の状態をさらに正しく保つようになり、心性を高めるチャンスを作ってくれたこの年配者達たちに、心から感謝しました。そしてこれらのことで、正念でもって何事も対処することの大切さを知りました。

 自分の観念が根本的に変わり、心性が向上してきますと、師父は助けることができ、周りの状況も根本的に変わります。修煉とは非常に玄妙なことであり、大法弟子になれたことは、とてもとても幸せなことです! 師父に感謝いたします!!

 注:
 [1]李洪志師父の経文:『二〇〇五年サンフランシスコ法会での説法』
 [2]李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「大法弟子は必ず法を勉強しなければならない」
 [3]李洪志師父の詩:『洪吟』「新しく生ず」
 [4]李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/7/21/371250.html)
 
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