文╱スペインの大法弟子
【明慧日本2018年8月9日】私はスペインのグアダラハラから来た大法弟子で、8年前から修煉を始めました。
最近、私が住む町の煉功場の数人の協調人が数力月間ここを離れることになるため、彼らは私に煉功場及び集団学法の担当をするよう頼んで来ました。その瞬間、私は言葉に出来ないほどのプレッシャーを感じました。そして、彼らのやり方は利己的で無責任だと不満の意を抱きました。私の修煉状態は決して安定しておらず、自分がそれほど精進しているとは言えず、引き受ける事はとても出来ないと考えました。
「どうすればこの仕事ができるのか? どうすれば時間を作れるのか? もし、しっかり出来なければ、どうやって他の同修とコミュニケーションをとるのか」と、私は本当に八方ふさがりで、手も足も出ませんでした。私は師父に助けていただくようにお願いしました。そして、「先ず、本当の修煉者になり精進することだ。それが何より重要なことだ」と悟りました。
私は心を鎮めて法を学びました。定時の発正念を一回も欠かさずに行ない、さらに、毎日煉功しました。
そうすることによって、私はもっと内に向けて探す事ができるようになりました。次第に、今まで自分はチームの一員として責任感に欠けていたことに気づき、「自分は煉功だけ参加すればいい、他のことは心配しなくてもいいというのは、なんと利己的な考え方だろうか!」と思うようになりました。
ここまで気づくと、周りの同修にも変化が起きたように感じました。他の同修も煉功場と集団学法のことをもっと分担するようになり、共に煉功場の組織や準備などをしてくれるようになりました。私達は交流し、体験を分かち合うと、チームの一体感が強まり、全体的に向上しました。
私はもう一つ別のプロジェクトにも参加しました。するとまた前回と同じような状況に直面しました。最も活躍していたメンバーが他のプロジェクトに参加するため、ここから離れざるを得ませんでした。師父はまだまだ私に精進するようにと励ましてくださいました。私は今回のことを自分の心性を高め、さらにしっかり行なう良いチャンスだと積極的に捉えました。同じように、グループのすべての人、そして、普段あまりプロジェクトに参加していない人も積極的になりました。
内に向けて探すと、「今までの自分はプロジェクトに協力し、参加しているつもりでしたが、実は、自ら積極的に関わっていなかった」と分かりました。今度の試練で、私はやっと本当に積極的に、前向きになりました。
師父は説かれました。「常に法に則り、絶えず自分の修煉を緩めていなければ、行なったすべてのことは本当に修煉者が行なっていることになります。それは大法弟子の使命を完成させるための根本であり、根本的な保証なのです」[1]
私が煉功し始めた時から、師父は私の天目を開いてくださいました。初めて一部の場面を見た時、私はとても驚きました。私達が正念を発した時、善と悪の間の真の闘いの光景を見ることが出来、そして、私達がいかにして邪悪を消滅し、私達がどれだけ強いのかわかりました。私達が本当に精進して修煉している時、私達が根本的に執着を放下した時、私達の力はとても強大なのです。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『二〇一五年ニューヨーク法会での説法』