難しさを知りながら立ち向かえば安全
■ 印刷版
 

文/中国湖南省の大法弟子 春秀

 【明慧日本2018年8月10日】私は農村に暮らしている女性で、1997年から法輪大法を修煉しはじめました。

 修煉する前、私はめまい、痔、胆嚢炎、結石、貧血などいろんな病気を患っていました。歩くときは全身に無力感を感じていました。椎間板ヘルニアで下半身の神経が圧迫され、左側の脚は麻痺していました。また偏頭痛のため、嘔吐したり、頭のなかで大きな音がしたりしました。関節炎のため、夏にいくら暑くても厚い布団をかけなければなりませんでした。病気だらけの私は一日中苦しみに見舞われ、いろんな病院を訪れ、いろんな民間療法を試しましたが、最終的に現状を維持することがいっぱいで、少しも効果がありませんでした。

 1997年10月6日、ある大法弟子が私に1冊の『轉法輪』と折りたたんだ煉功図をプレゼントしてくれました。私は3日間で法輪功の五式の功法を学ぶことができ、7日間で『轉法輪』を読み終えました。そして、私は修煉の道を歩み始めました。

 私は大法の要求通り、心を修め、良い人になるように努力しました。3カ月後、身体のすべての病気がすべて消えました。皮膚もますますきめ細かくなり、歩くと風をきって歩いているようで、それ以来薬を飲み、注射をしたことはありません。親族らはみな大法を修煉して私の身に現れた奇跡を目のあたりにしました。

 難しさを知りながら立ち向かえば安全

 1999年7月20日、江沢民は嫉妬心から、善良な修煉団体である法輪功に対して血まみれの迫害を始めました。大法に対する天地を覆い隠すような中傷とデマに直面して、私は非常に悲しみ、なぜ江沢民と共産党がこれほどすばらしい功法を迫害しようとしているかが理解できませんでした。同年10月、私は同修から法輪功の資料をもらいました。世の人々に法輪大法のすばらしさを伝える資料でした。それを読み、私は非常に感動しました。少しずつ法輪功に対する迫害は完全に間違っていると、はっきりした認識ができあがりました。そしてこのような資料はもっと多くの人に読んでもらうべきだ、もっと多くの人に法輪功とは何かを伝えるべきだという一念が生じました。

 私はこの資料をコピーして配布することを決めました。しかし私はコピー機をもっていません。どうしようか? 書き写すと時間がかかるばかりか、効果もよくありません。しかしコピー店に行くと、彼らがコピーしてくれる勇気があるか、と心配しました。またお店と自分にトラブルを招かないかと思って躊躇していた時、突然、私はみなのためにやろうとしているので、彼らから支持されるだろうという一念が浮かんで来ました。

 私はコピー店に入り、コピーを依頼しました。オーナは資料を受け取って読み、驚いて「あなたは法輪功をやっている人ですね」と言いました。私は頷きながら「コピーしてくださいますか」と聞きました。その人は少し躊躇してまた質問しました。「あなたたち法輪功は上から経費をもらえるのですか」と。私は「法輪功には上も下もありません。更に誰かからお金をもらうこともありません。コピーの代金は私自身が出します。私達の師父は私たちによい人になるように教えました。私は師父の教えに従って行動しています」と答えました。続けて、私は「法輪功は佛家修煉大法です。学びたい人は学びにきて、学びたくなければ去っていきます。費用を取らず、すべてボランティアで活動しています。私は修煉してからいろんな病気が治りました。テレビで言っている内容は捏造したもので、すべて偽りです。私が今日自分でお金を出してこの資料をコピーするのは、更に多くの人に法輪功とはなにかを理解してもらうためです」と伝えました。オーナは「共産党が禁止していることをやれば、あなたはやられてしまいます。警官に掴まえられることが怖くないですか」と質問しました。私は「私はそれほど多く考えていません。ただ良いことをし、悪いことをしなければ、鬼がきてドアをノックしても怖くないということは覚えています」。オーナは「OKです。コピーしてあげます。あなたがほしいだけ、コピーしてあげます」と言いました。

 当日私は500部をコピーしました。資料を家に抱いて帰ってから、道沿いを1軒ずつ回りながら、資料を配布しました。当時は恐怖とはなにかわからず、ただ、世の人々に真相を知ってもらいたいという一念だけでした。その結果、何ごとも発生しませんでした。

 二、正念をもって正しく行えば安全

 師父は『精進要旨』の「佛性に漏れなし」のなかで、「さらに皆さんに教えますと、実際には、皆さんの以前の本性は、自らのため、私のためを根本としたものだったのですが、今後、何かをするときには、まず他の人のことを配慮して無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです。それゆえに皆さんは、今後何かを行ない、何かを口にするときにも、ほかの人のため、ひいては後世の人のために考えなければなりません! 大法が永遠に変らないようにするために考えなければならないのです!」と説かれました。

 師父のお教えは骨身にしみるものでした。2008年、共産党は安定を維持し、オリンピックを守るという名義の下で、大法弟子に対して細かい捜査を実施しました。多くの同修は恐怖心のため、落ち着かなくなり、自宅に法輪功の資料を保管しようとしませんでした。一部は隠れました。資料拠点で印刷した資料を保管したがらなくなり、学法グループで切磋琢磨する時、みなこのことのため、各自の理を固守し、絶えず論争しました。

 私の第一念は、師と大法を信じ、正念を持って正しく行い、動揺しない、師と大法があれば誰も私を動かすことができないということでした。そして、私は「みな争わないでください。大法の資料は我が家に保管します。今後資料が必要であればうちに取りに来てください。私は師父のご加護があるため、我が家は絶対安全だと固く信じています」と語りました。こうして、すべての資料は我が家に保管することになりました。

 結果として、恐怖心のある同修は何回も邪悪に邪魔され、よそに隠していた同修はやはり強制連行されましたが、我が家は無事で、今日まで何ごともおきていません。

 三、執着を修めると修煉の道は広くなる

 修煉過程において、しばらくの間、このような考えが浮かんできました。同修のなかにはパソコンの操作が分かり、技術があるから、資料を作れる人。車があって、同修を乗せて偏僻な地区へ真相伝えに行き、世の人々を救っている人。お金があって、大法のためにたくさん代価を支払っている人がいます。彼らは大法を広めるため、衆生を救い済度するため多くの貢献をしました。しかし私は農村の女性で、貧しく、知識レベルも低く、彼らのように大法を実証するために更に多くのことをすることができなくても、円満成就できるだろうかと考えました。

 この一念が浮かんできたとき、私は旧勢力に隙に乗じられ、厳しい病業の虚像が現れ、ひいては生命の危険にまで直面しました。師父のご加護の下、同修の助けの下、私は多く学法し、うちに向けて探し、そしてやっと一つの道理が分かってきました。大法が修煉者に付与された異なる能力は、いずれも師を助けて法を実証するために使うものだということでした。能力がある人は師父が彼の生々世々のなかで与えられたものであり、お金がある人は今日法を正す時期に使わせるためにくださったものです。ですからお金があればお金を出し、お金がなければ力を出し、それぞれが各自の能力を出し合うのだということでした。

 師父は「修煉は路同じからず 都(すべて)大法の中に在り 万事執着無ければ 脚下に路自ずから通ず」[1] と説かれました。私は心のなかが豁然と明らかになりました。能力が如何に大きかろうと、小さいかろうと、異なる階層、異なる業種でいずれも修煉でき、師を助けて法を正すことができるのだということでした。

 法理がはっきりすると観念を変えることができ、執着を取り除き、黒い手と卑しい鬼を取り除くことができて、私の身体は正常な状態に戻りました。再び自由自在に師父が私達のために切り開いてくださったた天に通じる大通りを歩けるようになりました。

 師父の救い済度のご恩に感謝申し上げます。

 合掌

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「阻む無し」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/5/24/367952.html)
 
関連文章