「高度な漸悟」状態に惑わされない
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年11月11日】数カ月前のことです。地元の同修Aさんには自分の知り合いの中に「高度な漸悟」状態にある同修Bさんがいます。しかも、BさんはAさんの周囲の状況を見て、感じ取ることを手伝っていますと、言いました。私はこの話を聞いた後、Bさんはこのようなことをしてはいけないと思いました。しかし、Aさんのことをよく知っているわけでもなく、この出来事の経緯もわからなくて、その時、私は何も言いませんでした。

 近日の集団学法のとき、Aさんから「発正念の時間を増やしてはどうか」という提案がありました。同修たちは喜んで賛成しました。しかし、Aさんは「Bさんは私達の地区の状態がいかに良くないか、そこで、多めに発正念をすることを望んでいます」と話しました。この話を聞いて、私は考え込みました。発正念のことは、そもそも師父の要求に基づいて行うことです。Aさんの話からすると、まるでBさんの要求通りに、それに基づいて発正念を行うことになります。

 AさんはBさんの「高度な漸悟」状態にあることをいつも口にしています。また、Aさんは「Bさんの漸悟状態についての文章が明慧ネットで発表されたことがある」とも言いました。その意味からすると、Bさんの修煉状態は明慧ネットが認めていますよ、と言いたいのです。

 明慧ネットは大法弟子の交流の場所です。法に基づいて悟ることさえできれば、同修にプラスの作用になれば、様々な修煉文章が掲載されています。しかし、次元の高低などの区別はありません。「高度な漸悟」状態は、修煉の次元が高いとは限らないし、ただ、師父が按排してくださった修煉の道が違うだけだと思います。家に帰った後、私は明慧ネットで「高度な漸悟」という文字を入力し検索しました。それに関わる文章も読みましたので、「高度な漸悟」状態について、ある程度のことがわかりました。

 実は同修の修煉がどの次元に達しているのかに関わらず、法を師として修めるべきです。他の同修に自分を崇拝させたり、頼らせたりしてはいけないことは勿論ですが、自分と同修に対しても責任を負うということです。もし、同修の問題に気づいたら、師父はどういうふうに要求されているのかということを、同修と交流すればいいと思います。私達は時々刻々に大法と師父のことを思い出すべきで、修煉中の某人ではありません。

 次元に限られているため、法に基づいていないところがあれば、同修達の指摘をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/10/25/376207.html)
 
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