全体修煉に溶け込み 初心を取り戻す
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文/台湾の大法弟子

 【明慧日本2018年12月12日】私は2003年に法輪功を修煉し始め、これまでの10年以上の修煉の中で、ほとんどの時間、常人のいわゆる幸せな生活に浸っていたため、非常に安逸で気楽な性格が形成されました。2016年のニューヨーク法会に参加し、師父の説法を聞いて、まさに頭に喝を入れられたかのように目が覚め、自分の修煉だけでなく全体学法も重視するようになりました。

 一、全体学法を重視する

 2016年にニューヨーク法会に参加してから、法が正される進展が早まり、修煉の道もますます狭くなっていることに気づきました。これまでの長い間、ずっと常人の幸せな生活に浸ってきて、多くの時間を無駄にしてしまいました。師父は「あなたは自分を修煉者と見なさなければいけません! 自ら進んで法を勉強してください! 法を勉強しなければどのようにこのことを行なうのですか? 私なら大丈夫と言うでしょうが、人間のずる賢さと知恵で行なうのであれば、きっとうまくいきません」[1] と説かれました。

 普段、大法のメディアに携わっているため、急いで自分の学法状態を見直し、普段の学法と全体学法などに参加できるように時間配分を調整しました。初めの頃はよく字を間違えたり、読むのが遅かったり、また、間違いを訂正してくれた相手の声に驚いたりするので、同修と一緒に学法するのが嫌でした。これは思想業力が働き、学法させてくれないのだと分かっていても、やはり声を出さずに勉強する方を好みました。また、全体学法にあまり参加しておらず、時間が経つと安逸心が生じて、学法しても身に入らなくなったのです。

 これらの原因を見つけてから、全体学法の時は、皆と共に声を出して法を読むようにしています。全体学法で皆さんが発する声には慈悲のエネルギーが含まれていると感じており、「集団で法を勉強し、集団で煉功することは私が皆さんに残したものです」[1] と師父の説法をこの身を持って体験しました。ですから、今はこの修煉環境を大切にしています。

 二、仕事の環境の中で真面目に修煉する

 卒業してから、私は自宅で仕事をしています。初めの頃はもうこれ以上仕事で忙しい日々を過ごさないで済むようにと、両親にも退職の事を計画するように言いました。けれどこれも、これも家族への情の現れです。また、以前はあまり法を勉強していなかったので、長い間、ずっとこの情の中に浸っていました。仕事においても相手にいろいろと要求することが好きで、自分に合わせてもらいたくて好き嫌いも表に出して、全く「忍」ができていませんでした。その結果、同僚へのプレッシャーも激しく、次から次へと会社をやめさせられ、私も相当なショックを受けました。

 後になって、これは師父が与えて下さった修煉環境であり、この環境の中で自らの顕示心理、損得を重んじる心などを取り除き、相手の事をもっと考えなければならないと悟りました。師父は「日頃いつも慈悲の心を保ち、善をもって人に接し、何かをする時にはいつも他人のことを考え、問題が起きた時はいつも他人がそれに耐えられるかどうか、他人を傷つけることはないかを考えていれば、何の問題も起こりません。したがって、煉功にあたっては、高い、もっと高い基準で自分を律しなければなりません」[2] と説かれました。自分がしっかり出来ていなかったせいで、大法に汚点を付けてしまったと思うと、情けなく感じました。

 自分の智慧はすべて師父が与えて下さったものです。他人を見下すことは嫉妬心の表れで、そして、相手を縁のある衆生として見なしていなかったことは、尚更いけないことです。このような環境の中で大法弟子の良さを現し、真面目に仕事を行い、身の回りの全ての人や物に優しく接し、衆生に真相を伝えなければなりません。

 学法を通じてこれまでの思考や観念がガラリと変わり、心も広くなりました。師父は「一人の修煉者として、ほかでもない常人の環境の中で修煉し、自分を錬磨し、徐々に執着心とさまざまな欲望を無くしていかなければなりません」[2] と説かれました。この環境の中で修煉し、向上していかなければならないことを理解してからは、まず相手の事を考え、他人の考え方や提案を採用し、皆で話し合って問題を解決していくようになり、そして、職場における上下関係の観念も取り除きました。この常人の理から飛び出すことこそ、修煉なのです。

 それ以来、真面目に修煉者の基準で自分に要求するようにしてからは、周りの環境も変わりました。同僚との仲も良くなり改善され、顧客との問題も解決され、業績も右上がりになりました。神韻の宣伝期間では、仕事仲間もポスターを張るのを手伝ってくれたり、大紀元の内容を分かち合ったり、両親も理解してくれて、私が大法の行事に参加しても全く干渉しなくなりました。師父が説かれた「あなたが接触する職場の環境、家庭の環境はいずれも、あなたの修煉環境であり、あなたが歩まなければならない道であり、必ず対処し、しかも正しく対処しなければならないことで、どのこともいい加減にしてはいけません」[3] という説法を、この身をもって体験しました。仕事の環境は大法弟子にとって修煉の場であり、大法を実証し、真相を伝える場でもあるのです。

 三、真面目に大法の行事の各項目に携わる際の心構え

 ある日、私がいる台南制作団体は台北の団体と協力して、あるドキュメンタリーの制作に携わりました。台南は出演者や小道具、場所探しなどを担当し、台北のプロフェッショナルの人達から直接学ぶ良い機会でもあるのです。この行事が初められた当初は出演者は見つけたものの、撮影地がまだ決まらなかったり、中華民国30年代の時の衣装や小道具の作成や使用が厳しくなったり(他の行事のものとちょうど撮影時期が重なって、衣装が借りれない状態)、その他にも様々なことが重なって、撮影時間の変動が何回もありました。

 これらの問題に遭ったからにはきっと偶然ではなく、私が修めなければならず、取り除かなければならない執着心が存在しているに違いありません。私には協調と連絡を取り合っている過程の中で、イライラしてしまうことや、利己心、面倒なことを嫌がる心などを取り除かせるために、師父が按排してくださったに違いありません。そして、撮影終了の何日か後に台北からメールが届きました。いくつかの撮影漏れがあったので、撮り直さなければならないとのことでした。これはまさに修煉において、漏れがあったから隙を突かれたのではないでしょうか。修煉者にとって偶然な出来事は存在しないのです。表面上、誰かの不注意が原因かもしれませんが、実際のところ、自分と全体の修煉状態を反映しているのではないでしょうか。

 師父は「修煉は皆さんにとって、メディアに関わるすべての大法弟子にとって、最も重要なことです。修煉の出来具合はあなたの人を救い済度することの効果を左右し、あなたの仕事の効果も決めています。これは間違いのないことです」[4] と説かれました。大法の行事や項目の中で、師父は私たちに仕事だけさせて、向上させないはずがありません。必ず修煉と試練が伴い、これらを通して自らの執着心が暴かれて修煉していくのです。ですから、問題やトラブルに遭った時は自分が修煉者であることを思い出し、常に内に向けて自分を探し、自らの不足を見つけて、それを取り除くことで次元が高められるのです。

 師父の按排であることに気づいた同修全員が、全員心を静めて自分の不足を探しました。私も自分を探したところ、撮影の途中に様々な人心が入り混じっていたことに気づかされました。例えば、やりやすいからと思い何事も自分で行い、チーム内の仲間たちに手を出させませんでした。これは顕示心理と、利己心と、他人を信じない心の現れなのです。また、自分がこの項目に参加しようとした動機も良くなく、真面目に関与していなかったのです。今回の事を通じて、同修全員がそれぞれの不足を見つけて自分を正していったので、再度の撮影もあまり時間をかけずにすぐに終わりました。

 撮影開始から再度の撮影の終了までの過程は、私たちに次元を高めさせるために、師父が按排なさったのだと私は思います。どの行事の項目に参加しても結果ばかりを重んじるのではなく、その過程を大事にしなければなりません。その過程の中でどのように協力し合うか、どのように他人の事を思ってチームの一員として、協調、協力して動いていくかを考えなければなりません。師父の要求に達していないのだとすれば、また一からのやり直しなので近道はありません。純粋な心と厳粛な態度で、大法の行事の各項目に参加しなければなりません。私たちは衆生を救っており、宇宙で最も神聖で偉大なことを行っているのですから、心を一つにして何事も協調、協力して自分を律し、修めていきましょう!!

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇一六年ニューヨーク法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [3] 李洪志師父の著作:『各地での説法七』「二〇〇六年カナダ法会での説法」
 [4] 李洪志師父の経文:『二〇一八年新唐人と大紀元法会』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/11/11/376912.html)
 
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