目の見えない法輪大法修煉者の物語
■ 印刷版
 

 【明慧日本2019年1月1日】物語の主人公は両目を失明するまでは、とても有名な針灸医で、彼の治療を受けるため、あちこちから患者が訪れて、他人が羨ましがる裕福な生活をしていました。

 「天に不測の風雲あり、人に一時の禍福あり」と言われるように、この医師は目の疾患に罹り、病状は日増しに悪化して最終的には失明したのです。奥さんは一生夫の世話をするのを嫌がり、彼と別れて再婚しました。失明した医師は2人の子供を育てながら、生活はどん底に陥り、生きていく勇気さえなくしてしまいました。

 人はよく「捨てる神あれば拾う神あり」といいますが、この医師の友人に法輪大法の修煉者がいて、友人の医師が失明したことを知り、大法書籍やビデオテープを持ってきました。医師は退屈しのぎのつもりで聞き始め、一回聞き終えたところで、彼は人生の真諦を悟り、燃え尽きていた心に再び火が付き始めました。

 そしてみんなの間に、失明した医師が再び鍼灸の看板を掲げて治療を始めたことが伝わってきました。人々は目が見えないのに針治療ができるのかと議論し、ある人は治療するのにお金を取らないといい、ある人は法輪大法を紹介している、またある人は笑顔一杯になりましたよ! と話していました。

 その後、法輪大法の修煉を始めた医師は生活がよくなっていき、貧困から抜け出して、衣食住が満足した生活ができるようになり、医師の心にある佛性はますます充実していきました!

 人生はまさに劇のようです。ある日、医師の所にすでに歩くことのできない、車いすに乗った男性が、女性に押されて入ってきました。その女性は医師の元妻で、現在の夫の脚の治療のため、全財産を注ぎ込んでいました。治療代がないため、仕方なく元の夫を訪ねて来ました。その女性がどんな心理状態で元の夫に救いを求めて来たかは、「天のみぞ知る」でしょう。自分が捨てた元の夫が、はたして、なんの代価も求めずに彼女の今の夫の病気を治療してくれるでしょうか?

 失明した医師の大法弟子は元の妻とその夫を自宅に泊まらせ、無償で治療しました。隣近所の話によると、元の妻は泣きながら帰ったそうです。

 佛経に有名な修煉の物語があります。ある和尚が誤解され、ある家の娘さんと肉体関係を結んだと言われ、殴打され問い質されている際、その和尚は弁解をせず淡々と、「そうですか?」と言い、以後、怨むことなく、苦労をいとわず、その女性と生まれた子供の面倒を見ていました。のちに、真相を知った家族が和尚に懺悔すると、和尚は淡々と、また「そうですか?」と言っただけでした。功徳を積んだ和尚は、修煉を通して羅漢の位まで悟りました。

 修煉しない人は修煉者の精神の次元を理解するのは難しく、目が見えなくなった法輪大法修煉者の医師のように、その和尚のように、大法に導かれて日々自身を修煉して佛性を修め、人生の愛憎、怨恨について悟り、難に直面する際に自分を放下することができ、人々に対して慈悲をもって接することができたのです!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/7/1/181234.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2008/7/9/98824.html)
 
関連文章