煉功することは 修煉の大切な一部分である
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文/雲南省の大法弟子

 【明慧日本2019年1月2日】中国共産党が法輪功を迫害し始めた1999年7.20以前に、地元でよく見られた光景ですが、集団学法の日になるとほとんどの学習者は早めに煉功点に出かけて行きます。そこで、床を掃除する人もいれば、学法にふさわしい環境を整える人もいます。修煉体験を交流する人もいれば、『轉法輪』の本を読んでいる人もいます。しかし、どんな状況下であっても一旦煉功音楽が流れてきたら、皆直ちに手元のことをやめて、すぐに煉功する状態に入ります。師父の音声にあわせて皆の煉功動作はきれいに揃うことができます。そして、その光景はとても穏やかで、和やかに見え、この強大な慈悲なるエネルギー場に皆馴染んでいます。

 迫害が始まってから、私達は集団で煉功する環境を失ってしまいました。家で煉功するしかありません。だんだんと一部の人は修煉をやめてしまい、一部の人は煉功しても三日坊主の状態になるなど、自分を厳しく律することが出来なくなりました。また、ある同修三つのことに追われてとても忙しいという口実で、あまり煉功はしていません。またある同修は学法だけはしていますが、全く煉功をしないのです。甚だし場合は、自分は三界から出たという人さえいます。もちろん、学法や煉功もしなくなりました。集団煉功をする環境を失ってから、同修たちには様々な状態が現れました。

 師父は「高い次元の修煉になりますと、道家では元嬰出世を重んじ、佛家では『金剛不壊の体』を重んじますが、このほかに、さまざまな術類のものも演化させなければなりません。これらのものはすべて手法を通じて煉りますが、動作はそれらを煉るためのものです。完全な性命双修の功法には、修も必要とし、煉も必要とします」[1]とはっきりと説かれています。

 師父は「それなら、何のために煉功するのでしょうか? それは法輪を加持し、植えつけてあげたあらゆる機能や気機を加持するためす」[1]と説かれました。

 さらに、師父は「煉功は修煉を補っているため、両者のいずれも不可欠です」[2]とも説かれています。

 煉功することは私達の修煉の中で欠かせない一部分であり、いくら忙しくても時間をしっかり確保して煉功すべきです。五式の功法は大法の一部分であり、心性を修めることに関するとても重要な一面です。煉功することによって、私達は様々な執着心を放下できます。例えば、怠けている心や安逸心、そして苦を恐れる心などなど、たくさんの執着心を放下できるのです

 師父は「実は、煉功する時、業力が転化されなければなりません。『失わないものは得られず』、しかも失っていくものは悪いものなので、あなたはその代償を支払わなければなりません」[1]と説かれました。

 また、師父は「煉功は疲労を解消し、身体を速やかに回復させる最も良い方法だからです」[3]と説かれました。

 師父は「われわれの煉功場は他のいかなる功法の練功場よりも素晴らしく、われわれの場は、そこへ行って煉功さえすれば、病気治療よりずっと効き目があります」[1]と説かれました。

 師父は「多くの大法弟子は同時にいくつかの仕事を担当しています。法を実証することを行わなければならないので、法を勉強する時間はなく、法の勉強と煉功をあまりしていません。長くこのまま続くと、それではいけません」[4]と説かれました。

 煉功することによって私達の体の浄化だけではなく、性命双修に達することもできます。そして、自分の意志や根気を強め、師父と大法を堅実に信じることを強めています。煉功の中に動作がはやく進んだり、遅れたりする場合がありますが、このような良くない現象をすぐに直すべきです。もしも私達の煉功動作と師父の音声に一致すれば、エネルギー場がもっと強くなり、大法の厳粛さや殊勝さを体得できます。なので、私達はしっかりと学法をするだけではなく、煉功も忘れてはいけません! 煉功と学法はどれ一つも欠かせない大切なことです。これは円満に向かっていく根本的な保障なのです!!

 多くの大法弟子たちは刑務所で煉功できる環境を求めているため、警官らや警官に指示された囚人らによって、未だに残忍な拷問によって絶えず苦しめられています。私達はこの煉功できる環境を大切にしない理由はどこにもありません!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の経文:『アルゼンチン法会への祝辞』
 [3] 李洪志師父の著作:『各地での説法四』「二〇〇三年アトランタ法会での説法」

 [4] 李洪志師父の経文:『二〇〇五年サンフランシスコ法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/12/18/377635.html)
 
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