文╱中国の大法弟子
【明慧日本2019年4月4日】
同修Aさんの場合
2019年の旧暦のお正月前、同修のAさんは深刻な病業の仮相が現れ、大変危険な状況に陥りました。その後、内に向けて探し、自分にはいつも「50歳まで生きていればいいのだ」との一念があることに気づきました。
その結果、50歳になったその夜、別の空間から大きな手が伸びて来て、Aさんの首をしめ、Aさんは話すことも動くこともできず、危機一髪の状態でした。旧勢力がAさんの命を取りに来たのです。幸い、危ない中、Aさんは師父に助けてくださいと叫び、そして、すぐに法に則って心性を高め、正しくない考えを取り除き、やっと危険な状態を脱して無事乗り越えることができました。
同修Bさんの場合
Bさんは学法も煉功も疎(おろそ)かにしていました。昨年、Bさんは便秘気味になれば、常人の家族に便秘薬を買って来てもらい、目が乾くと感じたら、目薬をさしたりしました。その後、しばらくすると、Bさんは目の前が真っ暗になり、目が痛くなり、物が見えなくなりました。Bさんは自分が間違っていたと気づき、師父に助けを求めました。そのため、しばらくしてから、Bさんは体が回復しました。人と神の違いは一念 の差によるもので、正しくない一念はトラブルを招きました。
同修Cさんの場合
Cさんは時には口を修めることに不注意でした。今年、年が明けてから、Cさんは「お正月は忙しくて頭がおかしくなったわよ。私の頭は本当に駄目ね」などと、法に合致しない言葉を口にしました。その結果、Cさんはお札を数える時、1元札70枚のお札を7元だと勘違いして、いくら訂正してあげても、やはり7元と言い張りました。しかも、1元札70枚を指して、「これは7元だよ。あなた達の方が間違っている」とまったく自分の間違いに気づきませんでした。
以上は、この数日間に起きた出来事でした。私達は修煉者です。私達が言った言葉には「パワー」があり、そうでないことでも、そのようにさせてしまう力があるのです。ですから、同修達にくれぐれも自分の「一思一念」を正し、自分の「一思一念」に注意してほしいとここで呼びかけたいと思いました。