「ごめんなさい」と謝る勇気を持とう
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2019年6月6日】最近、心性の関門を通り抜けた時の出来事に、深く感銘を受けました。それを書き出して同修と交流したいと思います。

 修煉して十数年も経ち、三つのこともずっとやり続けて来ました。しかし、家族(同修)と一緒にいる時、いつも心性を守れないことに悩まされました。「情を取り除くべきだ。家族も師父の弟子で、他の同修と同じように付き合わなければならない」と、法理上で分かり長年修煉しても、時にはやはり心性を守り切れず、とても悔しく思いました。

 義理の母も大法弟子です。母は話し方がきつく、人に真相を伝える時も、家にいる時もいつもそうでした。何度も母に注意しましたが、母は「まあ、ゆっくり直して行きましょう」と言いました。口では言わないのですが、心の中では母のこの態度が気に入らず、「修煉というのはとても厳粛な事で、自ら厳しく律するべきだ。そんな軽い気持ちでいいのだろうか」と思いました。この不満な気持ちをなかなか放下できず、いつも母を変えようとしました。実は、これはとても強い執着でした。

 ある日、私たちは1999年の4.25事件を話しました。母はまたキツイ口調で話しました。私は心性を守り切れず、母と口論し、「お母さんの喋り方はキツ過ぎます。聞いている人はいい気分になれません。お母さんの話はつじつまが合わないので、どうして人に信じてもらえるでしょうか」と言いました。母は「まあ、ゆっくり直して行きましょう」と又決まり文句を言いました。その時、私は本当に我慢できず、立腹して立ち去って行きました。

 心性を守り切れないことを後悔しました。しかし、母に謝ろうとしませんでした。母のこのような振る舞いは私の人心を取り除こうとしていると分かっており、自分は考え方を他人に押し付け、いつも他人を変えようとしていることも分かっていました。正直なところ、母に感謝すべきだと思いました。しかし、理屈が分かっていても、試練が来たら、なぜかいつも心性を守り切れず、関門を乗り越えられなくて悔しく思いました。

 小さい頃から、私は決して弱音を吐かない性格でした。自分が悪いと思っても、人に謝まるより、人の指摘を黙って聞き、実際の行動で謝ろうとしましたが、けっして「ごめんなさい」と言いませんでした。少なくとも、その場では謝りませんでした。家族に対してはもっと謝りませんでした。「実際の行動で謝るから、いいではないか? 行動で誠意を表すから、口で言うよりもっと効果的だ」と私は考えていました。

 今回、母と言い合いをしてから、とても辛く感じ、母に謝ろうとしましたが、なかなか言えませんでした。ある日、夫と話をしている時、ちょうど母が入ってきました。私はその場の流れで母に謝りました。「この間、私は間違いました。ごめんなさい」と言うと、母は「いいえ、平気ですよ。気にしないでちょうだい」と言いました。母の話が終わった途端、自分の空間が一気に清らかになり、以前の、母に対する不満などのよくない物質が一瞬に消えてなくなったように感じました。その後、今までとてもきつく聞こえた母の言葉は、なんとも思わなくなりました。自分の容量が一気に大きくなり、目の前に新たな世界が開けたように感じました。

 師父は「自分の本当の原因を見つけた時、逃げずにそれに目を向け、それを認めることができる時、情況がすぐに変わるとあなたはきっと気付くのです。トラブルがなくなり、相手はなぜかあなたとの間に何もなかったかのようになり、何のトラブルもなかったかのようになります。なぜならば、修煉者にとって、如何なる偶然な機会も存在しておらず、如何なる偶然なこともあなたの修煉の道を妨害してはいけないからです」[1] と説かれました。

 私が「ごめんなさい」を言いたくないのは、自分が誤りから逃げ、その誤りに目を向けたくなく、認めたくないからでした。そのため、よくない考え方や、思想業が暴かれず隠されてしまい、そのため、師父もそれらを一掃することができず、トラブルの種がそのまま温存されてしまいました。

 これらの事に気付くと、私はまず娘に「ごめんなさい」と言うようにしました。娘に言い過ぎたりすると、すぐに謝り、娘から「あまり気にしていないよ」と言われても、私はやはり真摯に謝りました。最近、娘はとてもいい子になったように思います。時には、娘がキレるような場合でも、私は我慢できるようになりました。すると、娘もすぐ平静を取り戻しました。

 修煉の中で、誰かとトラブルを起こした時、自らの問題を探すと同時に、すぐに自分の過ちを謝るべきです。相手に「ごめんなさい」と謝る勇気を持つべきだと悟りました。心性が所定の位置に達し、強い正念を持っていれば、師父は私達の空間にあるよくない物質を徹底的に取り除いてくださるのです。私と同じような執着心のある同修にもぜひ今後の戒めとしていただきたいと思いました。

 現段階での体得です。不適切な所があれば、同修達のご叱正をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『北米第一回法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/5/13/387061.html)
 
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