黄礼喬さん天津西青刑務所で殴打され 九死に一生を得る
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 【明慧日本2019年7月7日】(天津=明慧記者)天津市シームレス鋼管会社の技師・黄礼喬さんは、法輪功を学んでいるという理由で、3回も労働教養処分を科された。そして二度にわたり拘束された後、2012年4月7日に再度連行され、同年の9月26日に懲役7年の実刑判決を宣告され、天津市の西青刑務所に拘禁された。その後、濱海刑務所に移送された。

黄礼乔和妻子葛秀兰
黄礼喬さんと妻の葛秀蘭さん

 5年の間、黄さんと妻の葛秀蘭さんとの面会はずっと禁じられたままであった。妻の葛さんは長年にわたり、司法局、刑務所、刑務管理局の間を駆けずり回り無罪を訴えたが、打開策はなかった。そして、葛さんは刑務所管理局に、面会できない理由を公開するようにと求めた。そのため法曹部門の関係者らはやむを得ず、最終的に2017年1月11日午後、やっと5年ぶりに面会が叶って会えた。

 黄さんは2012年10月10日~2014年3月14日の間、天津西青刑務所の5監区で凄まじい暴力によって虐待され、九死に一生を得た。

 罪を覆い隠すため、刑務所側は黄さんを独房に閉じ込めた。そして、当時の監禁されている受刑者ら十数人による拷問チームを設けた。

 以下は、黄さんが自ら述べた凄まじい拷問、迫害の事実である。

 私は独房に隔離された後、昼夜を問わずに「大の字」の形にされて、ベッドの四角に手足を縛り付けられた。受刑者らは機嫌が悪い時には、きつく四肢を縛って必死に四角の方向へグイッと引っ張り上げたため、骨がずれる音や筋肉が引き裂かれる音がはっきりと聞こえた。私はこの耐え難い激痛で、何回も気絶した。

中共酷刑示意图:上大挂
拷問のイメージ:「大掛」にかけられる

 私は永遠に忘れられないむごい拷問を二度、受けたことがある。

 2013年3月1日の昼ごろ、1人の受刑者が「さあ、今から拷問を始めるぞ」と言った。もう1人の受刑者が私の手足をベッドの四角に縛り付けたあと、数人の受刑者らが、私の足とお腹をめがけて殴る蹴るの暴力を振るい始めた。そして、私が少し動けることを見て、彼らはゴムバンドで私の下腹部をベッドに巻き付けた。猛烈な暴力を受けたことによって全身に痙攣が起き、しかも、ゴムバンドで巻き付けられていたため、痙攣のすき間さえなかった。約10分間この状態が続けられたが、誰かが「このままだと、死んでしまうぞ」との声がかすかに聞こえた。それで、ゴムバンドだけが取り外された。そして受刑者らも疲れ果てて、部屋を出た。

 約1カ月後のある日、受刑者らはまた前回と同じ拷問で私を苦しめた。今回は、持続的に30分以上も暴力を振るわれた。そのあと、私をベッドの上から外して、今度は両手を後ろへ回し縄で縛り上げ、窓の枠に吊るし上げた。その時、吊るし上げられた状態で足は完全に地面から浮き上がらせ、「ツバメが飛ぶ」ポーズ(姿勢)と名付けられた。あまりにも巨大な痛みで、私は意識を失った。

中共酷刑示意图:吊背铐
拷問のイメージ図:両手を後ろへ回され、吊るし上げられる

 私が気を失って目が覚めると、地面に横たわっていた。私が気がつくと、受刑者らはまた私に対して乱暴を働いた。私の五臓六腑がはり裂けるような激痛に見舞われ、私は大量の血ヘドを吐き、ベッドの周辺から、地面、部屋中にまでそのヘドがそこら中にいっぱい飛び散った。

 それでも私は九死に一生を得たが、あれ以来、これらのことは誰もが無視して、何事も発生していなかったように、言及しなくなった。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/7/1/389406.html)
 
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