修煉して20年 法は素晴らしい
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文/台湾の大法弟子

 【明慧日本2020年1月10日】1999年を思い返すと、あの頃の私は、まだ高校3年生でしたが、『轉法輪』を読んで直ちに、師父が「それはあなたの心底に埋蔵しているもので、電気のプラグのように、繋がってすぐ電気が流れてきました」[1] とおっしゃる通り、法輪大法が宇宙の真理であると分かりました。たとえ常人の概念では信じられないとしても、やはりこれが真理です。

 20年にわたる法を正す時期の修煉において、師父のご加護の下、多くの試練を乗り越え、そして、衆生を救うという大法弟子の神聖なる使命を果たすことを念頭に置いてきました。時間がある時、「もし、法が人間を正す時期がもうすぐ来ることになったら、後悔はしないか?」と自分に問いかけますが、出した答えは「後悔しない」でした。十分に行なったとは言えませんが、しかし、私は間違いなく、その段階の全てにおいてとても努力をしました。残りの道は、師父のお導きの下、更に良く行ない、より多くの人を救いたいです。

 修煉する前は、考え方が繊細で、心が狭く、人や物事に対してとても執着し、また、少しでも自分の思い通りにならないと、情緒の起伏が大きくなり、正直な所、生きることに疲れていました。18歳の時に修煉を始めてからは、師父が説かれた「自然に任せる」[2] という法理に則り、従うよう努力し、やるべきことをしっかり行ないました。また、師父は「自分のものなら、無くなることはないし、自分のものでなければ無理に争っても得られません」[2] と説かれ、宿命づけられるものは存在するものです。求める心を徐々に放下すれば、目の前のことをしっかり行なうことに集中することができ、最後には往々にして、予想外に順調な状況が現れました。

 例を挙げると、授業の成績を重く見れていれば、毎日損得ばかりを気にかけ、最後には試験の結果も悪くなり、第一志望校も逃してしまいました。修煉を精進し始めてからは、毎日大法弟子が行なうべき三つのことに重点を置き、何かに遭遇したときは心性と自分を修めました。まだしっかり行なえていませんが、私は第一志望の大学と研究所に合格することができ、後に、国家試験にも楽々と受かり、給料が非常に良く、安定している仕事につくことができ、いつの間にか、師父は私に最も良いものを与えてくださいました。今世において修煉者の先生に巡り会えました。そして、夫の両親は、私の両親よりも私を可愛がり、サポートしてくれ、私は周囲の人々からとても羨ましがられました。

 大法を修煉し始めた頃に、中国共産党により大法は迫害されました。師父が法を正されることを、手伝って20年経ちますが、衆生を救う過程で個人の修煉もとても重要であり、以下はいくつかの面での修煉の心得に対する交流です。

 一、学生の時期

 私は大学生の頃に、修煉を始めたばかりでした。同学年の人たちは学業の圧力から解放されたばかりなので、いつも遊びに行く約束をしていました。18~19歳の遊びたい時期を経た私から言うと、実際は、これは大きな試練です。例えば、仲の良い友人が遊びなどの集まりに行く時、大法の真相を伝える活動への参加を当然優先していたので、友人との遊びや集まりなどは断らなければなりませんでした。その頃の私にとって、本当にそれは人との関係を断つ試練でした。真相を伝える活動場所の地下でしばらく気落ちすることもありましたが、他の仲の良い友人が応援してくれ、私は再び真相を伝える場所へ行き、最後には円満に活動を終えました。

 ある休暇の時期、仲の良い若い同修何人かと一緒に宿舎に住んでいた頃、台湾から来た中国の学生に真相を伝えていましたが、その頃はまさに、同修たちと共に邪悪を取り除き、人を救う過程でした。またある時、会議室で中国の学生と1人の中国共産党委員会の書記である年長者が座っているその向かいに、私たちは一列で座って、真相を伝えたことがありました。その年長者は、最初から独断的に話をし、間違いなく、私たちを「転化」させるためですが、私たちは止むことなく真相を伝えました。最後には、中国の学生たちは、それぞれ認識の程度は異なりますが、大法の真相を理解しました。年長者に至っては、まだ話し終えていないにもかかわらず、「逃げる」ように会議室を出ていきました。私たちは継続して彼に話しましたが、彼はとても恐れているようで、私たちに最後まで話させませんでした。しかし、最も喜ばしいことに、私たちのあらゆる方向からの善の勧めにより、最後にはある中国の学生が三退しました。

 大学の研究所の授業にも、私はしっかり取り組むように努めました。最後には、たくさんの優秀な成績を収め、短時間の自習で研究所の試験に合格しました。興味深いことに、大学の頃に、各方面の知識を学習することは一種の享受だと確信しました。なぜなら、自分の視野を広げ、法を実証する能力も増えたからです。また、本を読むことも苦痛には感じなくなり、しばしば、図書館で1日10時間本を読むこともあり、時間があれば読書、学法、法の暗記をし、時間がきたら発正念をし、帰り道は充実感で満ち溢れていました。

 二、社会人の時期

 社会人になってから、私は一生懸命働き、誠意をもって人に接し、仕事上での評価も比較的良く、また、大法の真相を主任や同僚に伝え、彼らの普遍的な賛同を得ました。しかし、社会の腐敗堕落した環境は、学校の比較的単純な環境とは大きな差異があり、仕事の場面では、しばしば各種の権力の争いや、利益の略奪を見ました。単純に直接人と接することを堅持することは簡単ではありません。しかしどうあっても、私は全てに対して、師父の要求に従って行なうよう努力しました。

 ある一時期、主任は私に対して意図不明の不満を持ち始め、頻繁に理由もなく怒り、罵るようになりました。初めはどうしたらいいか分からず、とても辛く感じました。なぜなら、私から見るととても良い主任だったのに、なぜ突然このように変わってしまったのか分かりませんでした。後に、私は修煉者の角度から観察し、常人の思惟はより複雑で、人生において形成された観念が非常に多いことに気づき、私のためを思って、各種の複雑な観念により、私を厳しく教育し始めたのだと分かりました。最終的に私は、全く主任の観念に準じて物事を行なえていなかったと気づき、このように段々と矛盾が起こったのも、原因の一つだと分かりました。

 師父は、「実は、あなたがいくら聡明で、ずる賢くても、結果は同じです。たとえば、とても不器用な人がいて、あなたはこの人が非常に愚かで、非常に単純だと思い、一方非常にずる賢い人がいるとします。結局、人生の道をどのように歩んでも結果は同じです。決してその人がずる賢いから、なんらかの変化が生じることもなければ、その人が単純だから、変化が起きることもありません。ずる賢くなれば、自分を悪くするだけです。業を造る中で下へ落ちてしまい、自分と周りの環境が緊張した関係になれば、自分の心は更に複雑になります。複雑になった考えは自分をさらに悪くするだけです」[3] と説かれました。

 問題は、修煉における理を常人に要求していたことで、はっきりとはしませんが、自分の中に気づかない常人に対する執着心が確実にあり、それは、この人のここがよくない、あの人のあそこがよくないなど、心の中で他人の欠点ばかりを見ていました。欠点を見る度に、私は苦痛に感じるようになり、これが原因で私にとって仕事に行くことはとても苦痛になり、更には、仕事を辞めて大法のプロジェクトだけに参加したいとさえ思いました。

 しかし、自分でも辞職することは逃げることだと分かっていました。修煉の過程において、身をもって感じたのですが、遭遇した困難は絶対に避けることはできず、再び遭った困難は必ず乗り越えなければなりません。これは修煉における大きな試験であり、この試験を突破できれば大きく向上します。そこで、私は自分に他人の良い点を多く見て、欠点はあまり見ないよう要求しました。現に、主任はとても善良な人で、私に知られないようこっそりと物を送ってくれたことがありました。そして、修煉者とは異なる次元である常人は、異なる人生観を形成すると分かりました。また、能力のある常人を崇拝しないこと、情は極力薄くすることで、慈悲心が生まれると分かりました。さらに、自分はそそっかしい性格があり、これも改め、取り除かなければなりません。そして、人や物事に対して細心の注意と、慎重さをもって尽力することで、信頼を得ることができ、さらに多くの責任を担うことができ、主任や同僚の仕事を手助けすることができます。

 それからしばらくたった後、圧力は急に消え、仕事の環境は再び正常に戻りました。師父は、弟子の執着心を取り除き、心性を高めるために各種の方法を利用されますが、同時に私たちもまた、業力を消さなければならないのだと今回のことで体感しました。それは、坐禅する時の脚の痛みと同じように、業力が押し寄せて来た時はとても辛いのですが、しばらくしてそれが過ぎれば、和らぐようになります。重要な点は、関を突破することは避けられないということです。でなければ、今回の業力は消去されず、次の機会に新しい試練として追加されるかもしれず、それはより難関になるでしょう。

 三、媒体を活用し、法を実証する

 法を正す時期の修煉を始めてから、私は文章を書くという方式で法を実証しました。往々にして、天象の変化はある種の社会形態として出現します。私は常人の政治社会学の専攻を応用し、はっきりと真相を伝えるよう調整したので、読者の反応は上々でした。最近、動画を制作するプロジェクトが追加されました。その動画は、「香港が『反送中(「逃亡犯条例」改正反対運動)』のデモをし、超国家主義に反対しているが、中国共産党は逆に、『デモ隊が警察を攻撃している』、『デモ隊は暴徒である』と中傷する嘘の内容の新聞を作っており、これは、六四天安門事件における『学生は暴民である』というような中共の中傷や、法輪功への迫害時に起きた天安門焼身自殺事件で、法輪功学習者を『焼身自殺』、『殺人』といったレッテルを貼り(実際は1人も自殺していない)、中傷した新聞を作った情況と全く一致している。全ては、インターネットを封鎖することで、真相から隔離し、同時に、嘘の内容や歪曲した事実を作り、是と非を逆転させ、また、虚言や恨みの宣伝を拡散し、中国の民衆に、法輪功に対して恨みを持つよう仕向けたものである」といった内容です。動画は非常に多くの視聴者から歓迎され、「いいね!」ボタンはいつも1000以上押されており、数万人が見ています。

 プログラムを行なう過程も一つの修煉の過程です。私の性格は、普段は穏やかに見えますが、それは多くのことに対して気にかけていないからです。しかし、自分が本当に心に留めていることに遭遇した時は、私は一瞬にして強硬に変わり、完璧主義が凄い勢いで、外からコントロールされます。特に、明確に真相を伝えることは、私にとって大変大事なことであるので、これにより、私と共同で作業する同修を苦しめることになりました。例えば、私は、出来上がった動画を見て、いったいなぜこの画面はこのようになっているのか、なぜあの字幕はあのようになっているのかなどと頻繁に怒り、最後には、私が求める効果になるよう、どうしても変えると言って聞きませんでした。私は悟ったのですが、修正してはいけないということではありません。なぜなら、私は動画の制作担当なので、責任があるためしっかり行なわなければなりません。しかし、その過程で怒ったり、焦ったりすることは、間違いであると悟りました。これに関連して、私と共同で作業する同修は年齢が若いにもかかわらず、私の短気な所を修煉上の課題として寬容に理解し、包容することができ、私よりもしっかりしていると感じています。最近、プログラムを行なう過程であらゆる方面において進歩していると感じることができ、脚本の表現力もさらに増し、私も心を修めることを自分に要求するようにしています。私たちの共同作業は、更にチームワークが取れていると感じます。

 私たちの動画に対して、頻繁に中国の視聴者のコメントがあります。共産党の宣伝で洗脳された影響により、人民は私たちをとても敵視しています。私は人民を大切にしているので、中共イコール中国ではないと、はっきり彼らに伝えることに尽力しています。中国共産党が1949年に創立されて以来、絶えず、各種の政治運動が発生しています。例えば、整風運動、三反五反運動、反右派闘争、文化大革命、六四天安門事件、法輪功への迫害などでは、毎回人を殺すことで、懲らしめてきました。神州大地(中国の美称)は血で河を成し、至るところに浮かばれない亡霊が彷徨っていました。『九評共産党』という一冊の本によると、約8000万人もの中国人が共産党による各種の運動で殺されたと推定されています。共産党の歴史を広げてみると、まさに殺人の歴史と言え、この70年は血と涙の歴史です。

 中国共産党は人の身体を殺すだけでなく、中国人の精神の価値までも消滅しようとしました。共産党は人民に「党を母親のように慕いなさい」、「党は母親より親しいものだ」などと共産党を母親のように思うように脅迫し、度重なる政治運動における階級闘争により家庭や親戚、友人の間で仲たがいさせるよう扇動し、また、夫婦間で一線を画すことや、父と子の争い、学生の先生への批判、甚だしきに至っては、先生を殴り殺すといったように、邪悪組織が提唱する暴力闘争、憎悪の意念が多くの人々の性格を捻じ曲げました。

 この種の共産党の精神形態と中国の伝統文化は対立しています。中国は代々、儒教、釈迦牟尼、道教を崇拝し、天命に従うことを重んじ、古代の皇帝は「天の子」と称され、天の理に従うのがよいとされていました。しかし、共産党は「傘をさす和尚は、法もなければ神もない(傘をさす和尚は毛沢東のことで、やりたい放題だという意味。毛沢東の独裁ぶりを表した言葉)」と唱え、虚言の是認、憎悪と闘争の哲学は、70年来の各種の政治運動を通して、中国人の精神を奥底まで破壊し、多くの人の良知を壊し、甚だしきに至っては、中国の正統な文化を消滅させました。一つの民族の文化はこの民族の根本であり、中国の根本たるものを失ったのです。今となっては、ますます堕落へ辿る一方です。

 共産党の真相をはっきりと伝える時、中国人は法輪功を罵ることがあります。しかし私は反って、これは法輪功の真相を伝えるとても良い機会だと思っています。彼らの反応や罵倒は怖くありませんが、彼らが疑問を持っていても質問をせず、全くしゃべらないとなると、反って彼らの心を開くことがとても難しくなるため、これだけは危惧するところです。罵る人は、逆に真相を伝えやすく、彼らに真の正邪を認識してもらい、三退を選んでもらうことができます。

 もう一つ、長きにわたって参加している媒体の分野があり、それは神韻の取材です。神韻が台湾に巡演にきた1年目から、毎年取材に携わっています。主流社会の観客に取材するため、取材時のプレッシャーは小さくなく、修煉状態が追いついていなければなりません。学法や煉功が足りない時は、取材の結果は思うようになりません。結果を求める心を徹底的に放下した時、取材の対象はまるで段取りされているかのように、一人また一人と現れます。自分の求める心や自我を顕示する心をきれいに除去し続け、毎回、幾分かの自我を放下すれば、取材は自然に上手くいきます。

 印象が最も深く残っているのは、ある年の取材の時、私は比較的大きな病業の関に遭い、歩き続けることが困難でした。記憶では当時、台北の会場だけでなく、協調人は基隆の会場にも取材に行くよう私に言いました。その時、これが私の使命であると分かっていましたが、内心ではとてもためらっていました。昔の基隆の列車の駅から公演会場までに、ある橋がありました。橋を歩く時、私は苦しくてどうしようもありませんでした。毎回の一歩が、一つの大きな試練で、私は心の中で、「私は師父に向かって歩いている、師父に向かって歩いている」と考えながら、一歩一歩目的地へ進んでいきました。奇跡的なことに、会場へ着いた途端、正常に回復し、人からは何ら変わった所がないように見え、また、その日の取材は、大変良い結果に終わりました。

 四、国外で法を実証する

 2004年、休暇期間を利用し、米国の法会に参加しました。ちょうど、マンハッタンで真相を伝える人手が必要であったので、私は留まることにし、マンハッタンで法を実証しました。私たちが真相を伝え始めたその頃、邪悪の要素がとても多く、外に出れば、雨はどしゃぶりで、暴風が吹き荒れることが頻繁にありました。そういう時は、私たちは発正念をしてから、真相を伝え始めると、まもなく天気は晴れになりました。ある日の深夜、夢か現実か意識がはっきりしない時に、邪な魔の手が私の右手をつかみ、その途端全身が動かなくなり、私は直ちに師父の発正念の口訣を心の中で叫び、しばらく対峙した後、邪な魔は去っていきました。私はすぐに起きて座り、身辺の同修に、つい先ほど邪悪に出くわしたことを言いました。

 その当時、私たちは拷問展を優先してサポートしていましたが、この件があってから、英語が話せる他の同修と毎日、マンハッタンの商店街の道に沿って真相を伝え、どの店舗の商店においても、私たちは店員に大法の真相を伝え、なぜ私たちがここに来たのかを話しました。後に、私と同修は二つの街道を手分けして行ないました。最も感動したのは、ある寝具を売る大型の商店で、私の真相を聞き終わった後に店員が、「長い間、まさにこの真相を待っていた!」と感激しながら言いました。この時、衆生はみな、法のためにこの世に来たのだと深く感動しました。

 この2、3年、真相を伝える手助けをしに香港へ行きました。今年の4月末、反迫害運動に参加するために香港へ赴いた約70人の台湾と日本の同修が、入境を拒否され、不当に本国へ送還された旨を、新聞で読み、強い怒りを覚えました。大法弟子は人を救うために香港へ赴いていますが、しかしながら、香港政府は、中共の支配下で法治と司法の独立を放棄し、大法弟子を差別、迫害し、衆生が救われるのを妨害しています。5月の香港での法輪大法デーの祝賀パレードの際には、邪悪を除去し人々を救うと決意し、すぐに参加の申し込みをしました。申し込みをする際は爽快感がありましたが、申し込みをし終わった後、恐怖心が徐々に出現し始めました。丸1週間、私は各種の負の面の観念を否定し続けました。私が思うに、執着心があることは怖いことではありません、怖いのは執着心と向き合わないことです。私は、屈服しないと決心し、執着心が出現すれば正念で消滅しました。悪いことを良いことに変え、妨害は大法弟子の修煉の過程にし、発正念をしっかり行なうことで、各種の良くない心を取り除きました。この恐怖心は飛行機に搭乗している時もありましたが、不思議なことに、税関に到着すると、私は師父がそばにおられるのを強く感じました。そして、私の他の空間にいる非常に巨大な神体が、税関入国管理局を覆い、この一瞬で、恐怖心は完全になくなりました。パスポートを確認される時も、私はとても落ち着いており、すぐに通過できました。

 次の日の午後、大法弟子のパレードが盛大に行なわれました。両側に多くの共産党組織の人々が、わめき立て妨害してきましたが、私たちは、叫んで妨害する人々が喉をいため、声が出なくなるように、また、拡声器が壊れ、これらの人々がつくる業力がこれ以上多くならないようにと発正念をしました。パレードがある通りに到達した時、ある集団の拡声器が壊れました。拡声器の出す音は途切れ途切れで、内容がはっきりと聞き取れませんでした。

 大通りの傍には、多くの衆生が集まり、私たちのパレードを見ていました。私は全ての善の念を彼らに集中させ、条件が許せば、彼らに微笑みました。彼らに大法弟子の親切な姿勢を見てもらうため、道の傍にいる衆生と適時にコンタクトをとるといったことや、更には手を振ることを提案しました。

 煉功は身体を鍛えるわけではないので、パレードの半分が過ぎた頃、私はとても疲れを感じ始めました。傍にいた同修の励ましにとても感謝しています。更に感動したのは、1台のバスが私の近くを通った時、車上の「頑張れ! 自分を超えろ」という広告が目に入り、私はすぐに師父が弟子を励まして下さっていると分かり、すぐに歩き続ける力が湧いてきました。またある時は、風が急に強くなって、私たちが持っている旗が向かい風を受けると、とても前進しにくくなります。私は風神に、大法弟子を助けて下さいと交流すると、毎回、風は勢いを失っていきました。弟子に神通を与えて下さった師父に感謝申し上げます。

 結語

 20年来、自分はまだ常にしっかり行うことができていないと感じ、恥ずかしく思います。しかし、終始ゆるむことはありませんでした。これは師父への尊敬と堅い信念を持っているからで、もし師父に対して不敬な念が頭の中に浮かべば、それがわずかであっても、私はすべて厳粛に根絶します。師を敬い、信じることは、私にとって自分への最も厳格な要求であり、どんなことが起ころうとも、必ず師父についていきます。

 この数年来、弟子の修煉の道を一歩ずつ按排して下さっている師父の無量の慈悲を感じることが多く、師父の大いなる恩に何をもっても返すことはできませんが、願わくは、尊敬なる師父が笑っていて下さるよう、更に精進し、より多くの人を救います。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『カナダ法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [3] 李洪志師父の著作:『各地での説法八』「米国首都での説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/10/31/395250.html)
 
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