自分の執着心を取り除き 「自分に勝つ」
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年3月3日】30年前に大学に行かずに自習していた私は、「自分に勝つ」という1編の文章を書き、さらに深く先生の評価を受けました。この文章の大体の意味は「自分の事業を成就させ、しっかりとした意思を以って、自分の怠けと意気地なさに勝たなければならない」という内容でした。

 1979年に私は高校を卒業し、大学を受験することが出来ず、寂しさと苦悶を抱きながら、当時の生産隊(訳注:人民公社の基礎となった農村の生産組織)に戻り、農民になりました。このことで、私は一生苦しくて疲れ果て、汚くて貧乏な農民になりたくはなく、将来の見通しが立たない中で、文章を書く練習をし始めました。さらに農業大学の内容を自分で学び、私が人に抜きん出るためのこれが唯一の希望でした。家では、黒く乱れた工場の建物の中で、真夏や真冬の下でも、蚊や虫に差されようとも、この一縷の望みのために、私は頑張って耐えてきました。この一心が岩をも透し、ついに5年後には、ふるさと文化教室の教師として選ばれ、私の文学作品も新聞で発表されました。

 ここまでのことを書いたのは、私が今(2020年2月)修煉しているからで、また「自分に勝つ」という問題に直面しているからです。そして今日(2020年2月)の「自分に勝つ」とあの時の「自分に勝つ」は、一概には論じられません。あの時の「自分に勝つ」は、自分の利益を獲得するためでしたが、現在(訳注:2020年2月)の「自分に勝つ」は大法の偉大さを実証するためであり、自分の歴史的使命を実現するため、自分の責任を全うするため、さらに多くの衆生を救い済度するためだからです。

 あれから5年が経ち、全世界統一時間での煉功を続けてすでに5年になり、途切れたことはありません。アラームが鳴って夢から目覚め、寝ぼけまなこで冷水で顔を洗うと元気が出てきます。しかしアラームが鳴った時に眠くて疲れ、本当にまた寝たくなるのをこらえ、毅然として起き上がります。常人は利益のためならばなお一層力強くなれるのに、私は大法を実証するためになぜ出来ないのでしょうか? 座禅している時に音楽がまだ止まっておらず、足が痛くなって降ろしたくなります。一つあればその二があり(訳注:座禅の時に足を下ろしてしまったら、他のことでもおろそかになってしまう)「自分」を放任するわけにはいきません。

 妻の「ぜんそく」はすでに30年以上になり、1年の内に数日もよい日はありません。時には発作が起きれば呼吸が苦しくなります。そして、法を学び修煉した後、自分の人心に勝てないために、頑固な病は依然として解決しませんでした。しかし、全世界統一の朝の煉功に参加して「ぜんそく」は完治しました。

 私はわけがわからず、今日足が痛くなり、来る日も来る日も足が痛くなり、その後は腰痛だったり頭痛がしたりしました。これは邪悪が妨害しているのだと私にはわかりました。師父は邪悪を利用して私を試されていましたが、修煉の心を鈍らせなければ、いつの間にかそれがなくなりました。そして、自分の利益が損失を受ければ、自分の業力によるものだとわかりました。他の人に利益を償還し、余裕をもって歩み、身内が私を責めて私に向かって怒れば、私が精進していないのを師父がご覧になり、私を「棒喝」なさっているのだ、と私にはわかりました。

 私は今日(訳注:2020年2月)この万古に出会えない大法に、大法に出会うことができ、本当に私の命にとって、大きな大きな幸運です。私には怠ける理由はなく、円満成就しない理由もありません。もし、私が「自分」に打ち勝つことが出来なければ、それは私たちの生命の中で永遠の心残りとなります。私はこのような心残りを抱くことは絶対に出来ません。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/2/20/399830.html)
 
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