文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年7月7日】現在、中国本土の学校教育は正常な状態とは言えず、いろいろ乱れた現象を露呈しています。多くの学校はまるで「刑務所」になったようで、安全を理由に生徒の活動空間を制限し、生徒は学校で仕方なく長時間座らざるを得ない状況にあります。受験志向の詰め込み教育を行なって授業の時間も長く宿題も多くて、小学生でも深夜まで宿題を書くことが今の中国で普遍に存在しています。生徒の成長に協力してもらうという理由で、学校側は保護者に多くのプレッシャーをかけ、そのため親子関係が悪化するケースが多々存在しています。生徒が心身ともに疲れて、心が狭くなり気性も激しく、人格までねじ曲がるケースが多々存在して、自殺事件も時々発生しています。
そのような外部環境の下で、大法弟子はどのように子供を教育すれば良いでしょうか。幸い、多くの大法弟子は道徳の育成を重点にして、子供の無邪気な本性を保ち、なるべく社会の汚染を受けさせないように工夫して、子供も師父と大法を尊敬して、学問と品行ともに優れた大法子供弟子に成長しています。一方、保護者は自分の事で忙しく、子供の教育に充分な時間を割いておらず、結局子供はゲームに心を奪われる例もあります。大法弟子の家の子供達が皆たくましく成長することを願い、今まで見た、気づいた問題点を書き出して、子供の教育問題について同修たちと切磋したいと思います。
問題1、子供の学法だけを重視し、法理を運用して修められるか見落とす
大法弟子である保護者は、みな子供の学法を重視しています。しかし、勉強と生活の中で子供は真善忍の法理で自分を修めることができるかどうか、往々にして見落としています。保護者は、如何に自分を修めるかを子供に指導しなければならないと思います。
一つ例を挙げましょう。美ちゃんの祖母は修煉者で、母は修煉していません。祖母の指導の下で、美ちゃんは『轉法輪』を熟読して『洪吟』の詩も多く暗唱でき、本当に有り難いことです。しかし美ちゃんは怒りっぽい性格で、怒り出すとなかなか抑えられなくて、祖母が道理を説明して効果を収められなくて、ただ頭を左右に振るしかできません。
幼児教育の仕事に従事する学習者Aさんは、美ちゃんには怒りっぽい性格を直す願望はあるが、ただどう直せば良いかわからないでいると察知しました。ある日、タイミングの良い時にAさんは友達のように美ちゃんと世間話をして、「自分はどうしてかんしゃくを起こすか分かっていますか」と聞きました。意外にも美ちゃんは一気に5、6個の理由を話しました、自分自身の原因もあるし、外部環境の要因もあります。小さい子供にも分かっている一面があるのです。
そこで、Aさんは一つ一つ美ちゃんと一緒に分析して、このような情況に出会う時、どのような考え方と対処の仕方が正しいかを教えました。例えば、美ちゃんは母親から大きな影響を受けており、母親は焦りやすい性格です。それで、美ちゃんに「お母さんは仕事をしてとても疲れており、美ちゃんはお母さんに感謝する気持ちを忘れてはいけません。お母さんの真似をしてかんしゃくを起こせば、お母さんに負担をかけることになります」と言いました。また、何か一人で解決できないトラブルや悩みがある時、言葉で言い表すことができないため、せっぱ詰まって美ちゃんはかんしゃくを起こしたりするケースに対して、「自分で解決できないことに遭ったら、かんしゃくを起こすのではなく、信頼できる大人に助けを求めるのが良策です」とAさんは教えてあげました。嫌なことに遭っても怒らないでいられるために、どのように自分を抑えるかを美ちゃんはまだ知らないので、Aさんは美ちゃんと一緒に怒るシーンを想定して、怒りを抑える方法を探りました。結局、良い方法を見つけたのは美ちゃん自身です。つまり、怒りが胸の中でこみ上がってきたら、自分に「私は可愛い美ちゃんだ、小魔女のような怒る美ちゃんは早く消えて」と言い聞かせることでした。
これこそ内に向けて探すことではありませんか? 大人でさえ内に向けて探すことを覚えるには一苦労しなければならないのに、まして子供はなおさらです。保護者にとって、根気良く子供を指導して、肝心な時に子供に付き添って一緒に経験し、一緒に乗り越え、細心の注意を払うことが必要です。予想通り、数週間経って美ちゃんは大きく変わり、友達はみんな「美ちゃんは優しくなった」と驚きました。
中国国内のような極めて悪い教育環境の下で、子供は1日8時間も学校にいて、一人ですべてに直面しています。もし子供に法理を運用することが分かっていなければ、学校の出来事の良し悪しを判断できなくなります。家に帰っても、子供の微かな変化に保護者は毎回気づくとは限らず、従って肝心な時に子供をサポートできないことも発生します。
大法は私たちの修煉を指導する偉大な法理で、異なる次元に異なる内包があります。子供は学法だけできてもまだまだ物足りず、生活の中で法理を運用することもマスターしなければなりません。どのように子供を真・善・忍の道へ導くかも、大人にとって修煉の重要な一環となります。子供に学法や『轉法輪』の暗記などをさせるだけで、法理の運用の仕方を教えなければ、子供が自分の力で法理を悟ることは相当難しいと思います。
問題2、「子供が学法さえすれば、すべては師父に任せられる」と保護者は思う
周囲の同修からよく「子供は学法さえしっかりすれば、すべては師父に見守られている」と聞いています。その言葉には一理あります。大法弟子の家に生まれる子供はたいてい使命を背負ってこの世に来るので、当然師父に見守られています。小さいにもかかわらず学法もして、多くの法理と立身処世の道理も分かって、天目を開いた子供もいます。
そのため、子供に学法さえさせれば、ほかのことは「自然に任せる」と思う修煉者がいます。その結果、子供は同年代に比べて知識の深さと広さが足りず、常人社会においての常識、例えば人に接したり物事に対処する時の道理、進退の礼儀、人間関係を築くことが分かっていない恐れがあります。
伝統教育の手本、例えば『弟子規』に、子供が気前良く、礼儀を知って謙虚な人に育成することは家庭教育の基本とされています。生活と社交の一般常識を備えた上で、子供ははじめて複雑な物事を理解でき、自分を高める方法を知り、修煉の道理を理解することができます。
子供に神伝文化、特に中国の正統文化の知識を学ばせるのも大法弟子の責任です。師父は「中国の歴史上の各時代に現れた英雄や、歴史の文明を造る中で現れてきた傑出した人物は実は人間のために各種の思考様式、今日のこのような人類の思考構造と思考方式の基礎を築いています。これは人間という生命の種の思考構造を造る過程であり、とても偉大なのです。これは長い歳月の中で人類が自分の身をもって体験してからはじめて、各種の物事と文化の内涵を認識することができるという工事です」[1]と説かれました。子供に創世主の偉大さを教えることを通じて、きっと子供に大法の奥義をもっと理解させやすくなると思います。
その反面、もし保護者が「すべてを師父に任せる」となると、ある意味で保護者として果たすべき責任を放棄するのと同じです。放棄した部分は共産党の教育体制に埋められることになり、それは1日少なくとも8時間です。現在の中国の学校で教えている知識や価値観は皆ねじ曲がったもので、生徒は自由自在な想像力と思考力を失い、権力と利益に屈するように教えられ、大きくなったら中国共産党にコントロールされやすい馬鹿な国民になります。大法弟子の子供はある程度真相が分かっていますが、両親に放任される状態であれば、単純な子供は学校の洗脳をどのように防ぎ止められるのでしょうか?
共産党の洗脳と詰め込み教育から逃れるため、子供を国際学校に送る大法弟子もいます。しかし『悪魔が世界を統治している』が述べたように、人類社会全体は共産主義に制御され、急速に悪化しています。西方の教育体制もとっくに共産主義に浸透され、ひたすら生徒に「個性の解放」、伝統に反する価値観を教えています。そのような環境で成長した生徒は非常に自己中心的で、自分の権益を守る意識がとても高く、責任感が薄いのです。言っておきますが、中国国内で開かれた国際学校も受験志向の毒害を逃れることはできません。そうなると、国際学校はかえって東西双方の悪い部分を取り入れているともいえます。保護者として、くれぐれも子供に対する責任を疎かにしてはいけません。
修煉者として、自分のやるべきことを師父に押し付けてはいけません。師父は「私が言った言葉があります。つまり、大法があれば恐れるものはありません。大法の本を持っていれば、何も恐れないと理解してしまう学習者がいます。初期の頃、ある人は大法の本を手にし、車道を逆行し、『私は大法弟子なので、車に轢かれない』と言うのです。違いはどこにあるのでしょうか? 大法があって、あなたは学ぶことによって本当に大法を認識できたならば、それは本物です。本当に認識でき、真に修煉する弟子になれれば、それこそ大法があれば恐れるものはないということです」[2]と説かれました。
問題3、小さい時に聞きわけの良い子は、成長して親の言うことを聞かない
これは子供を持つ大法弟子を悩ませる問題で、法会の時に師父に質問したこともあります。
弟子:一部の大法弟子の子どもは小さいとき、一緒に法を勉強したり、煉功したりしていましたが、親はその時、子ども弟子の教育についての認識が足りず、法を実証するプロジェクトで忙しいため、子どもは修煉が分からないまま成長しました。大きくなって社会に入ってから修煉から遠ざかりました。彼らは大法と縁があるから、大法弟子の家に転生したのであって、法を正すことが今、終わりに近づいています。親は以前の教育の間違いをやり直す機会がまだあるのでしょうか。
師父:難しいですね。他の人と同じように子どもに真相を伝えるべきです。私の子供だから私の言う通りにやりなさいと言っても、もう無理です。角度を変えて子どもに真相を伝えるべきです。つまりこういうことです。
このことについて私も身をもって知っています。神韻の草創期に、皆さんは神韻に対する認識が不充分で、「子どもがダンサーになって、引退後何をやればよいのか」と思っていました。しかし、師父は子どもを使い捨てにしないのです。ちゃんと子どもの将来を考えています。そのため、中学、大学、大学院を開校しました。当時、親は子どもを神韻に入団させることに躊躇し、子どもと離れたくないと思っていました。しかし、十二、三歳はちょうど技能を習得する時期で、体も柔らかいのですが、親は子どもと離れたくないと思っていたのです。十四、五歳になると、十五歳の子はもう手に負えなくなり、口答えしたり反抗するようになります。このままではダメだと分かり、山の方に送りたいと思ったわけです。(皆さん笑って)しかし、すでに体が硬くなり、山に来ても厳しいのです。このことは私もよく分かっています」[2]
師父のおっしゃった「十四、五歳」は、ちょうど子供の「思春期、反抗期」にあたり、子供が自分の人生哲学を築く時期です。修煉の視点から見て、その年齢の子供が親の言うことを聞かなかったら、親として自分の教育方法を反省しなければなりません。
一つ例を挙げましょう。愛ちゃんはとてもエネルギッシュな子供で、修煉者である母は多くの方法を使って(愛ちゃんに多く煉功させる方法も含めて)愛ちゃんにじっとしてもらいたがっていますが、全部失敗していました。だんだんと母は叱り口調になって「ほら、見てよ、あなたは一向に静かになれないのよ」と言い、愛ちゃんも不機嫌になって「私はもともとじっと座れる子じゃないのだ」と。それから母は内に向けて探し、今度こそ子供が心を静めることができない原因を見つけました。つまり母親である自分が心を静めることができていないのです。もし親が心を落ち着かせることができれば、子供はたいてい親の真似をしたがるので、あまり多く説教しなくても、子供は自然に良くなります。そこで、母は愛ちゃんを怒ったりせずに、ただ自分を厳しく律して、適切なタイミングで愛ちゃんを上手に教え導くと、いつの間にか、愛ちゃんがじっと座っていられる時間は長くなりました。
子供に対して、親はよく要求し、または責める態度で接していませんか。自分に対して厳しく要求していないのに、子供に厳しく要求していませんか。師父はこのように説かれました。「大法弟子は社会の隅々で修煉しています。どの業界に身を置いても、文化、ビジネス、芸術、政治、学生であってもその環境で修煉することができます。皆さんに考えてほしいのですが、この環境そのものは人類社会が大法弟子に提供した修煉の場ではありませんか? あなたの執着心を表出させるための環境、要素を提供し、あなたにすべての向上の機会を提供しています。このことが大きいので、人類社会全体がお寺になったのです」[3]
大法の法理によると、子供の教育でどんな問題に遭遇しても、大法弟子である保護者は修煉者としての視点から物事を考えて解決方法を決めるべきです。子供にただ要求を言い出して、法理を以て子供に押しつけたり責めたりするやり方は、硬直且つ賢くないとしか言えません。子供は小さい時は親の言うことを聞きますが、14、15歳になって自らの考えを持つようになったら、親の言うことに従わなくなり、頑固に自分の道を歩もうとして、親に対抗したり口応えをしたりします。
大法弟子の子供は成長したら人類社会のエリートになる人間で、重要な使命を担っています。師父の慈悲深い済度に応えられるように、大法弟子である保護者は子供の教育を重視して、自分をしっかり修めながら子供を修煉の道へ導かなければなりません。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『二〇〇四年ニューヨーク国際法会での説法』
[2] 李洪志師父の経文:『二〇一八年ワシントンDCでの説法』
[3] 李洪志師父の経文:『世界法輪大法デーの説法』